第13話「甘い誘惑」

「上司の命令」という言葉は、いつの世でも怖いものだ。サラリーマンの僕にとって、上司の命令に背く事は会社に盾突くと同じ事を意味し、下手をすればクビになるかも知れない。早くお金を貯めて百合と結婚出来る日を夢見ているのに、クビにでもなったらどうしたらいいんだ。
しかし、百合とのキス以上の関係は、結婚するまで我慢しようと決めているのに、どうしてこんな好きでもないおばさん上司の体を触らないといけないのか? たとえ「これが仕事だ」と言われても、僕は百合を裏切る事は出来ない。

それは誰でも、男子としての本能で異性の体に興味を持っている事は世界共通である。たとえ実年齢は40近いおばさんであったとしても、日々の節制のたまものか、それとも若い男のエキスを吸い取っているからなのか、20代かと見紛うほどのしなやかな肢体だ。さらには年齢を重ねた大人の淫靡さも兼ね備えている。
もし僕が特定の彼女がいない男子であったなら、こんなに迷う事なく河合課長のお望みの仕事をこなすことだろう。上司の機嫌を損ねたくないというのは、部下であれば誰でも考えることではないか。

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しかも、黙っていれば百合には知られる事はないかも知れない。河合課長だって他人には知られたくない秘密なのだから、僕に必ず口止めをするはずである。墓場までウソをつき通せばいいだけの事。
そして、彼女の火照った体を鎮めてあげるのは喜ばれる行為ではないか。人の嫌がる事はしたくないが、人の喜ぶ事なら出来るだけしてあげたいというのが僕のモットーだ。僕が少しだけ我慢すれば、この人は満足して帰っていくだろう。少しだけ自分の心にウソをつけばいいのだ。

だが、僕はこのウソをつくというのが一番苦手な事なのだ。人に対しても自分に対しても正直でありたい、これだけは譲りたくない一点である。

河合課長を見ると、目がとろんとしている。さっきの怖い言葉を言った人とは思えない、優しい表情をしている。まるで10代の少女のようでもあり、一方で母親のようでもある。
いつもこんな目で見つめてくれれば、もっと好きになれるのだが。

「さあ、どうかしら石川君。決心は出来たかしら? そんなに難しく考えなくてもいいのよ。何も取って食べようっていうわけじゃないんだから。ただあなたの手の感触を確かめたいのよ。」
「で、でも課長、僕は今日までなんの経験もありませんし。彼女の体だって触ったことないし、裸だって見た事がないんです」

「あら、そう。真面目ね。見た目もそうだけど、中身も真面目なのね。偉いわ。あなたの事は入った時から見てたけど、いつも感心してたのよ。人の嫌がる事は率先してやるし、頼まれた仕事も期日までにちゃんと終わらすものね。いつもちゃんと見てるのよ。部長にだって君はよくやってるって報告してるわ」
「えっ、そ、そうですか? あ、ありがとうございます」

「私が気に入った人はみんな出世してるのよ。あなたもきっと出世できるわ。私の言う事さえ聞いてくれればね」
「は、はい…」

この出世という言葉に男は弱い。これ以上ない殺し文句である。という事は、主任も係長も、みんなこの修羅場を経験したのだろうか?そういえば、主任も係長も僕も、タイプ的には似ているかも知れない。真面目でおとなしく、歯向かわないで言う事を聞く。忠犬ハチ公タイプというのだろうか?
男よりも男っぽいこの人は、男性を支配して言う事を聞かせる事で、征服欲を満たしているのかも知れない。色欲と征服欲の両方を同時に満たす事が出来るのがこれなのか。

逆らわずに言う事を聞くのは、僕にとってはそんなに苦になる事ではない。それで将来が保証され、給料が上がるのなら、それはそれで百合も喜んでくれるかも知れない。ゆくゆくは課長、そして部長にだってなれるかも知れない。
そしたら百合は課長夫人、部長夫人だ。百合のためと思えば、ここは言う事を聞くべきなのか?

ずっと両手で握られていたので、右手が少し汗ばんできた気がする。そして河合課長は、その右手を今度は自分の左頬に当てだした。

「ねえ、私の肌はどう? 柔らかいかしら? いつもお手入れしてるのよね。あなたの彼女さんと比べてどう?」
「あ、いや、あの、えっと、そうですね、とても柔らかく感じます」

「お上手ね。どこで覚えたのかしら。あなたの言葉で私も感じてきちゃうわ。ねえ、困ったわ。どうしたらいいかしらね?」
「すいません。ど、どうしたらいいのか僕もわかりません」

「そんな事ないでしょう。あなたも立派な大人の男性。私も立派な大人の女性。ねえ、わかるでしょう。大人の男女ならみんながしている事よ」

河合課長は、左頬に当てていた僕の右手を少しずつ少しずつ横に這わせるようにして、赤いルージュを塗った唇に当てた。柔らかい唇の感触が指先から伝わってくる。しっとりした生温かい吐息が僕の指にかかっている。あっ、という声が漏れ聞こえた。
上唇と下唇を開けたり閉じたりさせて、中指の第一関節と第二関節の間を行ったり来たりさせている。時折河合課長の舌が、上下の唇の間から出たり入ったりしている。

「どうかしら? もう決心はついたかしら?」

そう言って、片手で器用にブラウスのボタンを外した。それまで以上に白いブラジャーが露わになった。そして僕の右手をゆっくりと谷間に誘導していく。

「す、すいません!」

僕は大きな声を出して右手を引っ込めた。呆気に取られて声が出ない河合課長を横目に、机の上のカバンを取って一目散にその場から逃げ出した。
ドアを閉め、エレベーターも待たずに非常階段を駆け下りていった。エレベーターを待っているうちに、河合課長が部屋から追いかけてくるかも知れないと思ったからだ。

1階のフロアーまで来て、たくさんの人がいた事に安心した。さっきまでとは別世界だった。

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