第九話「百合の告白」

僕が下を向いたまま泣いていると、百合は僕の涙を両手で優しく拭いてくれた。そして、僕の左頰に右頰を当てた。
その後、母親が子どもに話しかけるように穏やかな口調で話し出した。

「私ね、慎吾君の計画、何となく直感でわかってた。だって、高瀬君みたいな人が私の事好きになるはずないもん。
それにさ、私の好きな人は高瀬君や工藤先輩みたいな人じゃない。
私が好きな人は漫画好きで、ミステリーが好きで、私の話を黙って聞いてくれた人で、私が悲しくて海辺で泣いてた時に隣りにいてくれた人。
その人は内気な性格だから、なかなか好きだって言えない。だからその人は、回りくどい事をしようとする。
高瀬君が別れたいって言った時に「来たな」って思った。だから私もその計画に乗ってあげようと思った。
そしてその人に来てほしいって涙声で電話をした。
来てくれたその人に、悲しんでいる演技をしてたら、本当に悲しくなってきた。
どうしてこの人は好きって言ってくれないんだろうって思ったら、どんどん悲しくなってきた。同時に腹が立ってきた。
だから、今日は絶対に好きって言わせようと思ったんだ。
悪いのは私だよ。私の方こそ騙してたんだ。ごめんなさい…」

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百合は僕の体を力強く抱きしめた。154cmの小さな体だけど、僕の体を力強く抱きしめた。
柔らかな胸が僕に当たっている。女の子とこんなに密着したことはない。僕たちは、体をくっつける事で心までくっつけようとしていた。

僕の頭の中は混乱していた。百合を騙していた事に対する罪悪感、百合に計画がばれていた事に対する悔しさ、どんな時にも冷静さを失わない自信があったのに感情のまま泣きだした事に対する恥ずかしさ、お互いが好きだった事がわかった嬉しさ、幾種類もの感情が僕の頭を制御不能にしていた。

百合がゆっくりと、僕の体を畳に倒していく。僕はされるがままに仰向けの状態になった。百合がゆっくりと顔を近づけてくる。僕の目を見つめたまま、彼女は視線を外さない。僕はかけていたメガネが気になって外したかった。近眼だけど、このぐらい近かったらメガネがなくても百合の顔ははっきりと見える。

「キスしていい?」

彼女の問いに僕は固まっていた。言うまでもなく、これが僕のファーストキスになる。今まで、妄想の中では何度も百合とのキスを経験していた。その時は決まって僕が「キスしていい?」と聞く方だった。しかし現実は違った。こんなに彼女が大胆な女の子だったとは思わなかった。

僕の立てた計画は、高瀬君にフラれた百合を慰めた後、友だちから徐々に徐々に距離を縮めていくというもので、それもそんなに簡単にいくはずがないと想像していた。
だって、百合が僕の事を好きだなんて考えてもいなかった事だから。そうとわかっていれば、こんなまどろっこしい事なんてしなかったのに。もっとさらっとさりげなく「僕たち付き合っちゃう?」みたいに軽く言えただろうに。

いつも僕は、最悪の結末になることを想定する。今回の計画だって、いろんな最悪の状況をシミュレーションしてみた。上手くいかずに失敗する場面を何度も何度も頭の中で映像化してみた。
それでもやろうと決断するまで、半年以上も時間がかかった。その間、こんな展開になるなんて思いもつかなかった。僕が監督なら「誰だ、こんな脚本書いたのは?」と文句を言いたいくらいだ。

果たして、ここでキスをするのは正解なのか? 彼女にとっても恐らくファーストキスだろう。百合のファーストキスの相手が僕でいいのか? もっと素敵な男性に出会えるかも知れない。お金持ちで美男子との出会いがあるかも知れない。それなのに僕で妥協していいのか?

他の人は、彼女はそんなに美人ではないと言うかも知れないが、僕は素材はそんなに悪くはないと思う。これからもっとたくさんの出会いがあるに違いない。それなのに、本当に僕でいいのか?

彼女の両親の顔が浮かんでくる。僕にも優しくしてくれる、とてもいいおじさんおばさんだ。正月には毎年お年玉をくれた。夏にはスイカを食べさせてくれた。僕がころんで膝から血を出した時、赤チンを塗ってくれた。
そんな彼女の両親に対して申し訳ないと思った。僕があなたたちの大切な娘さんのファーストキスを奪おうとしている。

僕の両親だって、百合の事を娘のように可愛がっていた。うちは男ばかりの3人兄弟で、両親は僕が女の子だったら良かったのにとよく言っていた。両親は百合がどんどん女の子らしく成長していくのを、自分の娘のように思って喜んでいたものだ。
百合には幸せになってもらいたいと思っているに違いない。それが、こんな頼りない男のものになっていいのか?おじさんおばさんやうちの両親は、それを納得してくれるだろうか?

まあ、たとえキスをしたからと言って、結婚まで発展する道理はないのだけれど、僕の妄想は、両親やおじさんおばさんたちの前で僕たちが結婚式を挙げる場面まで進んでいた。

こんなに一人でまだ見ぬ未来をどんどん妄想していく僕の脳内を百合が見たら、どんなに幻滅する事だろう。百合は僕を過大評価しているに違いない。もし僕の脳内をテレビで見る事が出来たら、燃え上がった感情がさーっと冷めていくに違いないのだ。

果たして今の僕は、どんな顔をしているだろう。顔面蒼白だろうか? 唇を震わせていないだろうか? 目をぱちくりとさせていないだろうか? とにかく彼女に確認してみよう。本当に僕でいいのかどうかを。

「あ、あの、あのさ…」

僕が言葉を発しようとした時、彼女が言葉を被せてきた。

「ねえ、キスしていい?」

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