第32話「お礼を言いたかった女」

「和彦さん、ちょっと来てー!」
零美に呼ばれた和彦は、机に向かって作業していた手を止め、「はいはーい」と返事をして店の方に出てきた。零美は和彦に問いかけた。

「和彦さん、中学校の同級生で水谷裕美さんって覚えてる?」
「えっ、水谷さんって、あの、ミステリー研究会の水谷さんかなあ…」

くるりと背を向けた彼女は、何やら独り言を言っている。そして再び振り返り、「そうだって」と言った。
「そうだってって、何がそうなの?」

和彦には、何が何だかわからない。零美は思わず笑ってしまった。

「ごめんなさいね。実はこちらに、あなたの同級生の水谷裕美さんがいらしてるのよ」
「えっ!? こちらにってどちらに?」彼女が延ばす右手の方を見ても、そこには空間が広がっているだけだった。

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「水谷さんは亡くなっていらっしゃるの。長らくご病気を患っていらっしゃったそうね」

「そう言えば…」と和彦は記憶を辿った。彼女はたしか、心臓の持病があるような事を聞いた覚えがある。入退院を繰り返し、学校も休みがちだったような気がした。

「その水谷さんが、どうしてここに来ているんだい?」

素朴な疑問を零美にぶつけた。中学を卒業して以来、彼女とは連絡もとっていなかったし、どうして今頃ひょっこり現れたのか、不思議で仕方なかった。

「あなたにどうしても、お礼が言いたかったんですって」
「お礼? 僕は何か、彼女にお礼を言われる事なんてしたかなあ……」

思い出してみるが、遠い中学時代の事なんて、とっくの昔に忘れてしまっていた。

「まあとりあえず、こちらに座ってみたら。積もる話もあるでしょ」
積もる話も何も、どうやって会話しろと言うんだと和彦は思ったが、促されるまま零美の隣に座ることにした。

「水谷さんね、人生の大半が病院のベッドの上だったそうよ。それで最近になって、不自由な肉体から抜け出して、やっとあなたを訪ねて来れたんですって」
「なるほど、死ぬという事は一見、嫌な事のように思えるけど、体の不自由な人にとっては肉体がない方が楽なんだね」

和彦は、本当にそこに水谷裕美の霊がいるのかどうかわからないけれど、零美の言う事に妙に納得していた。

「あなた、小笠原康介警部って覚えてない?」
「えっ、小笠原康介警部だって? どうして君が知っているんだい、その名前を」

「彼女が教えてくださったの」

小笠原康介警部は、和彦が中学時代に書いていた推理小説の主人公の名前だった。彼が初めて書いた小説「小笠原警部の捜査事件簿」に登場するキャラクターなのだが、零美が知っているはずはなかった。和彦はその小説を失くしていたからである。

「あの小説はどこにいっちゃったのか、探したけど見つからなかったんだ」
「それはね、水谷さんが持っていたんだって。覚えてない!? あなたが彼女にあげたんでしょ?」

はて、そうだったのか? 和彦はおぼろげな記憶を辿ってみた。彼女とは一年の時だったかクラスが一緒で、ミステリー研究会でも一緒だった。彼女は時々入院していたから、何か読み物でもあればと小説は貸してあげた事は覚えている。しかし、自分が書いたものも貸していたのか。そうだったらちょっと恥ずかしいな。内容は覚えていないが、きっととんでもない駄作に違いない、と和彦は思った。

「あなた忘れちゃったの?」

零美にそう言われて「申し訳ない」と頭をかく和彦だった。零美が話しかけるその水谷という同級生がいるであろう空間を見るのだが、霊感のない和彦には全く見えなかった。和彦は、中学時代のまだ若々しい彼女の顔をそこに当てはめていたが、零美が見ているであろう三十を過ぎた彼女の顔を見てみたいという欲求が強くなっていた。彼女には、年齢を重ねた自分の顔が見えているのだろうから、それがちょっと悔しかったのだ。

「水谷さんはね、あなたが書いた小説を、何度も何度も読んでいたんですって。あなたが考えた小笠原警部は、優しいキャラクターだったみたいね。彼の語る言葉には人格が表れていて、その一言一言にとても励まされたそうよ。小笠原警部の奥さんが病気で入院していたみたいで、よく病院に見舞いに行っては奥さんを笑わせていたって、水谷さんは言ってるわ」

その言葉で、おぼろげに覚えていた小説の内容が、だんだんはっきりと思い出されてきた。そうだ、主人公の小笠原警部は「罪を憎んで人を憎まず」、犯人に同情して自白させ、自ら捕まえずに自首させる刑事だった。トリックなんて言うほどのものじゃなかったが、登場人物たちの背負っている背景に焦点を置いたものだった。それは多分、病気と闘っていた彼女への励ましの意味があったのかも知れない。中学時代の甘酸っぱい恋心のようなものもあったのかな、そう和彦は感じていた。

「水谷さん。その小説は、君がずっと持っていてくれたんだね。今思えば、君が僕の最初の読者でありファンだったような気がする。君を喜ばせるために一生懸命書いていたんだと思う。君のお陰で、僕は今こうして小説家として生きていく事が出来るようになったんだ。本当にそう思う。礼を言うよ、ありがとう」

和彦は、見えない空間に向かって頭を下げた。そして、両目からつーっと一筋の涙が流れてきた。何とも言えない温かいものが胸の中に感じられ、とても心が嬉しかった。

「良かったね」と言って、零美が背中を撫でてくれた。僕を訪ねてきてくれた彼女のお陰で、自分の小説の原点を思い出す事が出来た、素直にありがとうと和彦は思っていた。と同時に、ふと気になってしまい、涙を拭って顔をあげた。

「ところで、その小説は今どこにあるのかな? もう一度読んでみたいんだ」

その疑問に、通訳者の零美が答えてくれた。
「あのね、水谷さんは亡くなる前に、その小説を編集部宛てに送ったそうよ。そろそろ担当の小森さんから電話があるんじゃないかって言ってるわ」

すると、その言葉が終わると同時に、和彦の携帯が鳴った。電話の相手は小森氏で、編集部に小包が届いているとの事だった。

「ありがとう、わざわざ送ってくれたんだね。本当にありがとう」

涙腺が弱い和彦は、笑いながら泣いた。そして、彼女の分まで一生懸命に生きていこうと思った。

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