電話で予約していた佐川美奈子が現れた。予定より五分遅れたため「すいません、おそくなりました」と言って頭を下げた。
零美は頭を横に振り、「いえいえ、大丈夫ですよ。どうぞ奥の方へ」と言って席に着かせた。
「佐川さんのお悩みはどんな内容ですか?」
「実は息子がカルト宗教にハマっていまして、どうしたものかと悩んでいるのです」
彼女の息子は二十五歳の会社員だった。友人に紹介されて教団のセミナーに参加し、それ以来日曜日の礼拝に参加しているらしい。
「息子さんの名前と生年月日を教えていただけますか? それと、写真などもありましたら見せてください」
彼女は紙に、息子の名前と生年月日を書いた。零美はそれをパソコンに入力、出力された命式を持って戻ってきた。彼女はスマホ内の息子の画像を探して、「これが息子です」と言って見せた。
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「息子さん、真司さんはですね、とても論理的思考をされる方ですね。そう簡単には宗教を信じるとは思えないんですよ」
「はい、確かに理屈っぽい人間ですね。ああ言えばこう言うって感じで、なかなか言う事を聞かない子でしたよ」
「そういう人が信仰を始めるって言うのは、何か動機があったんですかね?」
「あ、それは、高校時代の友人がその宗教にハマってしまったようで、彼を連れ戻すために行くって事は言っていました」
「なるほど」
「だから、あの子がそのままのめり込んでしまうなんて、想像もしていなかったんです」
零美は、息子の写真をじっと見つめた。それから感じられるメッセージと、命式から読み取れるものをパズルのように組み立てながら、彼の行動の意図を探っていった。
「まずですね、息子さんは、人に言われたからって信じる人じゃないんです」
「確かに。天邪鬼って気がします」
「まあ、天邪鬼って言ったら可哀想な気がしますが……。物事をですね、一般的な人とは違った目線で見ているんですよ」
「それはどういう?」
「斜め上って感じですかね?」
「斜め上、ですか?」
「はい。息子さんって、自分を特別視しているんですよ」
「特別視って?」
「人真似って言うのが嫌いな人なんです。例えば、スポーツなんかでコーチから、こうやってみろって言われるとするじゃないですか。昔から良しとされてきた事を押しつけられるって言うか……。そういうのが嫌なんですよね。もっと良いやり方があるんじゃないかって考えちゃう人なんです」
彼女は、拳を作った右手を左手の掌にポンと当てて「あー、そうそう」と言った。
「あの子はですね、本っ当に口答えが多いんですよ。昔っからこうなのよって言うと、それは本当に正しい事なのか、間違っているかも知れないじゃんって言うんです。その根拠はどこにあるのって言うのが口癖ですね」
そう言って、深い溜息をついた。子育ては大変だったろうなあと、この母親につくづく同情した。
「そうだったんですか。それは大変でしたね」
「はい、あの子のせいで寿命がかなり縮みましたよ。ハハハハハ」
大きな口を開けて笑う彼女に合わせて、零美も愛想笑いをした。
「まあ、そんな息子さんの事ですから、宗教にのめり込むなんて考えられません」
「そうなんですか」
「はい。信仰って言うのは、まさにこの教えを信じる事で救われますよって事なんです。息子さんのような天邪鬼が、そう簡単に人が作った理屈を信じると思えますか?」
「いえ……」
「友人を連れ戻すと言うのが最初の動機だったとは思いますが、この写真から感じられる今の気持ちは、ちょっと違う方向に行っているような感じです」
「違う方向って、それはどういう?」
「楽しんでいるんですよ」
「楽しむ?」
「息子さんは頭が良い人なので、すぐにいろいろな矛盾に気がついていると思うんです。その教団の教えの内容だとか、その教祖の言動や立ち振る舞いだとか、そういうのをいちいちチェックしていると思うんですよ」
「はあ……」
「息子さんは研究者タイプなんですね。まずは疑問を持って仮説を立てる。その仮説を実証するという過程を楽しむと言うか……。おそらく、その教団に入っているのも、研究のためじゃないかと思うんですね。
どうして人は洗脳されるのか、どんな言葉で洗脳しているのか、教祖はどんな人間なのか、本当に真理を見つけたのか、それとも金儲けの手段として考えているのか……。
私が考えるにですね、教祖と呼ばれる人たちって、最初は真剣に人々の救済を考えていたと思うんですよ。
でも、だんだんといろんな人が入ってくるうちに、その教祖を利用しようとする人も入ってくるわけです。段々とうまく誘導していくって言うか……。教祖を洗脳していくって言うか……。そう考えると、教祖自体も洗脳の被害者かも知れませんよね。
物事って、表面だけ見ていては真実が見えてこないと思うんですね。私も、相談に来られる人たちの表面的な悩みではなく、根本的な真実を見つけようとしています。そういう点では、息子さんの気持ちがよくわかる気がするんです。
まあ、結論としては、そんなに心配いらないかなと思うんです。息子さんの場合は、誰かに洗脳されるタイプじゃないからですね」
そう言ってニコッと笑う零美を見て、彼女は「わかりました。安心しました」と答え、納得して帰っていった。
宗教が悪いわけではない。実際、信仰で救われている人もいる。ただ、これが絶対正しいと言って強要すべきではないのだ。信じる自由もあれば、信じない自由もある。その人の幸せは、その人が決めるべきなのだ。佐川真司ならこう言うに違いない、と零美は心の中で考えていた。
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