第52話「思い出せない男」

「こんにちは」

低い男の声がした。「誰だろう?」と入り口に駆けつけると、薄汚れた灰色のコートを羽織った中年男性だった。予約の客ではない。

「……えーっと、どちら様でしょう? 占いのお客様ですか?」

零美は、強面の顔と頑強そうな体から醸し出す雰囲気に気後れしながらも、とりあえず声をかけた。

「俺は誰かに追われているみたいなんだが、何故追われているのかわからないんだ。俺の過去を視みてくれるとありがたいんだが……」

未来を視てとはよく言われるが、過去を視てと言う客は珍しい。何とも訝しく思ったが、「わかりました。どうぞ中へ」と男を招き入れた。

「コーヒーでもいかがですか?」と尋ねると、「いや、結構」と言った。男は、来た時から嵌めたままの手袋を外そうとしない。帽子やマフラーもつけたままだ。

「お客様のお名前は……!?」
「……」

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名前を聞いても無反応だ。壁に掛けた絵を見ている。その絵は、山が見える田園の絵だった。遠く離れた出身地の光景でも思い出しているのだろうか?まあ、一見の客だ。もう二度と会う事もないだろう。名前など知らなくても結構だ。

「先ほど追われているとおっしゃいましたが、追いかけてくる人はどんな人なのかわかりますか?」
「そいつは男なんだが、見たところ、四十代後半じゃないかな。いつも居るわけじゃないんだが、気がつくと遠くから俺を見ている。俺は独身だし、浮気調査を依頼する女もいないんだ。だから余計、不気味で怖いんだよ」

この男は、極力目を合わせないようにしている。何かを隠しているのだろう。太い黒縁メガネの奥には、輝きを失った虚ろな目が見える。視点が定まらず、心ここに在らずと言った具合だ。

「お仕事は?」
「ああ、日雇いの仕事さ」

「人に恨まれるような事は?」
「そうだなあ、若い頃は血の気が多かったから、すぐにキレてケンカばかりだったなあ。そう考えると、俺にボコボコにされた奴は恨んでいるかも知れないねえ」

「口よりもすぐに手が出るタイプですかね?」
「うん。カッとなっちまうと手がつけられねえかもな。後先考えずに行動しちまうもんだから、後悔する事ばっかりだ」

そう言う男の目が潤んでいるように見えた。

「お若い頃に起こした事件を、ずっと引きずっていらっしゃるように視えます」
「若い頃の事件かい? いろいろありすぎて思い出せねえなあ」

「一家団欒の様子が視えますよ。とても幸せそうです」
「それは子どもの頃かい?」

「いえ、奥さんと子どもさんたちのように視えます」
「そうかい? 俺は結婚してたのかなあ? 今は独りだから別れちまったって事か!? 思い出せねえんだよなあ……」

零美の目に視えていたのは、目の前の男が妻と子どもたちに囲まれて、幸せそうにしている様子だった。この男は、以前に結婚して家庭を持っていたのではないだろうか? その事さえ思い出せないとは、記憶喪失と言ったところだろうか?

「俺にも、そんな幸せな時間があったって事かい!?」
「はい。とても幸せそうなイメージで視えています。この頃だけは明るい色で、それ以外はダークなイメージが感じられます」

「そうだろうなあ。それが俺の本当の人生だよ。幸せなんて俺には似合わねえんだよ」

吐き捨てるようにそう言った。確かにこの男は、真っ当な人生ではなかったのだろうが、零美には根っからの悪人には思えなかった。妻や子どもたちと過ごしていた頃を視る限り、その時間は間違いなく幸せだっただろう。間違いなくこの男も、人を愛する心は持ち合わせていたのだ。

人は誰でも、思い出したくない過去がある。忘れてしまいたい、消し去りたい過去があるものなのだ。それは忘れたままの方が良いのではないだろうか? 

「ごめんなさい。どうして追われているのかまではわかりませんでした」

きっとこの人は、その嫌な過去を思い出さない方がいいのだ。生きるための本能が、忘れさせようとしているに違いないのだから……。

「そうか……。悪かったね、先生。……ありがとう」

彼はそう言って、料金を払って帰っていった。彼には、帰る家はあるのだろうか? そう思いながらも、口には出さずに見送った。

彼が出て行って数分後、一人の男性が入ってきた。銀縁のメガネの奥には、獲物を追うような鋭い目が光っていた。もしかしたら、彼を追いかけているその人なのかも知れない。零美は恐る恐る声を掛けた。

「あの……」
「すいません。私はこう言う者です」

彼は胸ポケットから黒い手帳を取り出した。警察官だった。

「今の男は、手袋を外してテーブルやコップなどを触りましたか?」
「いえ、ずっと手袋は嵌めたままでした」

「そうですか……。何を話していたんですか?」
「過去が思い出せないから視てほしいと……」

「なるほど、そうですか……。どうもありがとうございました」と言って、彼は急いで店を飛び出した。

それからしばらくして、あの男が逮捕された事をニュースで知った。古賀正志は、妻と子ども二人を殺害し、十五年間逃亡した挙句の逮捕だった。逮捕の決め手は、素手で触った缶コーヒーに付いた指紋だった。彼は事件の真相を思い出したのだろうか? 零美は少しだけ言葉を交わした彼の事を思いやった。

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