第57話「鏡が嫌いな女」

「先生、私って頭が変なんでしょうか?」

赤坂美智子は、頭を両手で押さえながらそう言った。彼女の両目からは大粒の涙がこぼれている。それはまさに、決壊したダムから溜まっていた水が放出されるかの如くだった。

「赤坂さん、順を追ってお話してくれませんか?」

夕方になって急にやってきた彼女の訴えに、まったく事態が飲み込めない零美は戸惑うばかりだった。しかし、彼女の哀願する表情を見る限り、恐ろしく緊急で困った問題であろう事は想像できた。

「さあ、これでも飲んで」

困った時のホットココアを彼女に渡した。ひどく神経が過敏な時には、ホットココアが最適なのだ。

「ありがとうございます」

カップを受け取った手が小刻みに震える。中身をこぼさないように両手で押さえている。端正な顔は青ざめている。虚ろな目は焦点が定まらず、どこかの空間を見つめていた。

零美は黙ってチョコレートを差し出した。彼女はホットココアを一口飲むと、カップを置いてチョコレートに手を伸ばした。ホットココアもチョコレートも、当然どちらも甘い。

糖分を補給すると、抗ストレスホルモンであるセロトニンが分泌される。セロトニンは幸せホルモンとも呼ばれ、極度なストレスにさらされている人には効果的なのだ。

ホットココアを半分ほど飲み、チョコレートを二個食べた後、落ち着いた彼女は少しずつ話を始めた。

Sponsered Link



「私は子どもの頃から、美智子ちゃんは可愛いねと言われて育ちました。家族や親戚だけではありません。近所の人たちからもそう言われていました。

小学校の学芸会では、主役はいつも私でした。みんなも、主役は私がするものだと思っていたんです。

中学校では学校一の美少女と言われていました。ラブレターもたくさんもらい、他の学校の生徒にも知られていました。

高校生になって、読者モデルにスカウトされました。モデルの子たちはみんな可愛かったのですが、その中でも私は一目置かれる存在でした。

大学生になると、いろんなミスコンの大会で優勝しました。性別問わず、男子からも女子からも人気があったんです。

それなのに……」

彼女の言葉が急に止まった。唇が震え、目が泳いで視点が定まらない。零美がホットココアを飲むように促すと、頷いて一口流し込んだ。そして再び言葉を続けた。

「私、病気で目を手術する事になったんです。幸いにもドナーが見つかって、手術は成功したんですが、それからなにか、私の目に見える世界が変わっていったんです。

モデルとしてデビューしたんですが、それまでは私よりも綺麗な人なんていなかったはずなのに、周りのモデルたちが私よりも綺麗に見えるんです。

それがどんどんストレスになってしまって、私の顔が変わっていったんです。周りの人は何も変わってないって言うんですけど、私だけしか気づかない顔の変化があったんです。

どうやって言葉で表現したらいいのかわからないんですけど、確かに私の顔は変わってしまいました。私の知っている自分の顔じゃなくなったんです。

なんだか、誰かが私の顔を乗っ取ってしまったんじゃないかって思うようになって……。白雪姫の継母が白雪姫に嫉妬したように、綺麗な顔の私を妬んだ誰かが、私に呪いをかけたんじゃないかって……。

それからの私は、鏡を見るのが嫌いになりました。いくら鏡を見ても、本当の私を映してくれないからです。

本当の私を映してくれない鏡が憎くなっていって……。もう、そんな鏡なんて見たくないって思って……。

それでもう耐えきれなくなって、目の前にあった鏡に金づちを叩きつけたんです。胸に突き刺さるような大きな音がして、波に光が反射しているみたいに欠片が散らばっていました。

その後は、家にある鏡という鏡を割って回りました。無言で鏡を割っている私を見て、母はやめてと叫んでいましたが、私は母を振り切って外に飛び出しました。

外はもう真っ暗でしたが、私は金づちを持ったまま住宅街を走っていました。途中で、自転車やオートバイ、自動車のミラーを見つけては、狂ったように叩き割っていきました。

そして商店街に着いた時、ショーウインドーには、金づちを持って立っている私の姿が映っていました。それは、自分の姿なのに自分ではない、得体の知れない恐怖が襲ってきて、街中に響くほどの金切り声で叫んだんです。

気がついたら、目の前の自分に向かって金づちを振り下ろしていました。そして、ガラスの割れる大きな音と共に、警報音が鳴り響いたんです。

茫然としていた私は、男の人たちに抑えつけられて……。その後の事はよく覚えていません。

後で聞いた話によると、私のドナーになってくれた方が、精神異常で自殺した女の子だったみたいで、手術をしてくれたお医者さんが謝っていました……」

一連の出来事を淡々と話していた彼女だったが、急に肩を震わせ、両足を左右に動かし始めた。そして、まだ少し残っていたホットココアが、波打つように揺れ出した。

「先生、そんな事ってあるんですかね……? この目に、その女の子の苦しみが込められているんですかね……? 先生、私はこれからどうしたらいいんですか……? ねえ……、ねえ……、ねえ……、先生―――!」

そして突然、彼女は立ち上がった。その際、ホットココアのカップが床に落ちて真っ二つに割れた。濃い色の液体が周りを侵食していく……。

彼女は後ろを振り返り、走って外に飛び出した。零美は声をかける事も出来ず、ただ茫然と見送るしか出来なかった。その後の彼女の消息は定かではない。

『雨の中の女 神野 守 短編集 第1巻』amazonで販売中!

https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYRKPL2/

Sponsered Link



投稿日:

執筆者:

以下からメールが送れます。↓
お気軽にメールをどうぞ!

こちらから無料メール鑑定申し込みができます。お気軽にどうぞ!
お申込みの際は、お名前・生年月日(生まれた時刻がわかる方は時刻も)・生まれた場所(東京都など)を明記してください。
ご自身のこと、または気になる方との相性などを簡単にポイント鑑定いたします。何が知りたいかを明記の上、上記までメールを送ってください。
更に詳しく知りたい方には有料メール鑑定(1件2000円)も出来ます。

最新の記事をツイッターでお知らせしています
神野守(@kamino_mamoru)





  • 50現在の記事:
  • 35657総閲覧数:
  • 239今日の閲覧数:
  • 162昨日の閲覧数:
  • 1410先週の閲覧数:
  • 5573月別閲覧数:
  • 17455総訪問者数:
  • 102今日の訪問者数:
  • 120昨日の訪問者数:
  • 840先週の訪問者数:
  • 2616月別訪問者数:
  • 105一日あたりの訪問者数:
  • 2現在オンライン中の人数:
  • 2018年8月14日カウント開始日: