「先生、私、未来が視えるんです」
青白い顔をした彼女はそう言った。髪は腰の辺りまで伸びていて、上着、スラックス、靴に至るまで、全身を白系統でまとめているその姿は、まるで古代の卑弥呼か現代のシャーマンを思わせる風貌である。
昼下がりの午後、彼女は予約もなしに入ってきた。「ちょっといいですか」と言った後に、未来が視えると言い出したのだ。突然の告白に戸惑う零美であったが、未来が視えるという話には興味があった。
「じゃあ、とりあえず中に入りませんか?」
そう言うと、彼女は軽く頭を下げ、音もなく歩きだした。そしてソファーに座ると、真っすぐに前を向いて微動だにしなかった。細身の体で体重はあまりないのだろうが、それ以上に重さが感じられず、確かにそこに居るのに存在感がなかった。
まだ暖かい季節なのに、店内には冷たい空気が張りつめていて、少しでも動くと切れてしまうのではないかと思うほどに緊張感があった。ここは確かに零美の店なのだが、すでに彼女に支配されているかのように思われた。
「あの……お飲み物は……」
「結構です。さあ、先生も座ってください」
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完全に主導権は彼女のものだ。いつもの零美ならば、まずはコーヒーを用意する間に生年月日を書いてもらい、命式を出すという一連のプロセスがある。言わば、スポーツ選手が試合前に行うルーティーンのようなものだ。そこからリズムが生まれてくるのである。
しかし、そのルーティーンを遮られ、まるで私がこの店の主とでも言いたげな誘導に、少しの苛つきと恐怖に似た感情が感じられた。「この人はこの世の者なのか?」と言う疑問が生じてきた。
「先生のお噂は聞いております。是非一度お会いしてお話したいと思っておりました」
「ああ、そうですか。それは光栄な事です」
出来るだけ平静を装って応対した。見たところ年齢も同じくらいなのに、見透かされた感じが妙に鼻について嫌だった。
「先生は、未来を予言する事が出来ますか?」
「予言……ですか?」
「はい。神の言葉を預かる預言ではありませんよ。未来に起こる出来事を言い当てる予言の事です。先生は、占いを通して神の言葉を伝える能力はあるのだろうと私は思っています。でも私が言いたいのは、まだ起きていない未来は視えるのかな、と言う事なのです」
全く以って、真っ直ぐ前を向いたまま視線を動かそうとしない。瞬きさえもしていないように思える。能面のように表情のない顔を見ていると、より一層人間離れした存在に思えてくるのだった。
「いえ……私にはそんな、未来の出来事を言い当てるなんて出来ません」
緊張感に堪え切れなくなった零美は、視線を逸らしてそう答えた。それは一種の敗北感のように感じられた。目の前の彼女の口角が少し上がったのが見えた。
「普通の人には出来ませんよね、ふふふ……」
見下した様な物言いが癇に障る。段々と腹が立ってきた。どうしてこの人の話に付き合わないといけないのか? 悩みの相談に来たわけでもあるまいに……。
営業妨害ではありませんか、もう帰ってください、と言う言葉が喉まで出かかったが、やっとの思いで飲み込んだ。その感情が顔に出てしまったのか、再び彼女の口角が少し上がって見えた。
「では、あなたの視える未来と言うものを教えていただけませんか?」
零美は精一杯感情を抑えて言った。こんなに感情を揺さぶられたのはいつ振りだろう。少しの恥ずかしさを感じながら前を見ると、彼女は目を瞑っていた。
「……では、予言を始めます」
そう言って彼女は、目を瞑ったまましばらく沈黙した後、おもむろに目を開いて話し始めた。
「今日、この近くで、交通事故があるでしょう……」
「……」
「大きな車が走っているのが視えます……」
「……」
「その前に、一人の女性が飛び込む姿が視えます……」
「……」
「その女性は車に轢かれ、大きく宙を舞っているのが視えます……」
「……」
「残念ながら……息絶えてしまった彼女の……姿が視えます……」
「……」
「救急車のサイレンの音が聞こえてきます……」
「……」
「先生が、その場に立っている姿が視えます……」
「……」
そして彼女は立ち上がり、軽く頭を下げて帰っていった。結局、彼女の名前も聞く事はなかった。
零美は思った。名前も連絡先も言わずに帰ったので、例え予言が当たらなかったとしても文句のつけようがない、という事だ。彼女は何をしに来たのか、その真意はわからなかった。ただの冷やかしか、時間潰しだったのか。
それとも、自分がトラックに飛び込むつもりなのか? 自殺する前にここに来て、予言などと言ってからかったのか?
あるいは……彼女は既に……この世の者ではない……のか?
零美があれこれと思考を巡らせていると、救急車のサイレンの音が聞こえてきた。さっき彼女が言った通りだ。零美は慌てて外に飛び出していった。
国道までやってくると、もう既に大勢の見物人が集まっていた。恐る恐る近づいてみると、白い服に長い髪の毛が見えた。「やはり自殺だったのか?」と思いながらさらに近寄ってみると、さっきの彼女とは違う女性が倒れていた。
「自殺じゃなかったのか?」「では、本当に予言が的中したのか?」「あるいは幽霊の予言?」様々な可能性が頭をよぎった。
すると、もう少し離れたところに数人の警察官の姿があった。その横には……さっきの女性がいた。近くにいた人の話によれば、彼女に押された女性がトラックに轢かれたのだそうだ。そして警察に「予言の通りにやった」と言っているという。
零美に気づいた彼女は、笑みを浮かべながら口を動かした。声には出さなかったが、その口の動きから「当たったでしょ」と言っているように見えた。
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