第88話「浮気した夫に復讐したい女」

平日の午後、その女性は予約もなく「いいですか?」と言って入ってきた。昼食を食べた後、食後のコーヒーを楽しもうと思っていた零美は、「ちょっとお待ちください」と叫んでから、急いで入り口に駆け付けた。

「こんにちは」と挨拶をした彼女は、小首を傾げて意味深な笑顔を見せた。彼女が発する冷たい波動が、零美の心を不安にさせた。

「今日は何かご相談ですか?」
「少し、お話を聞いていただいてもいいですか?」

大きな瞳を上目遣いにする仕草は、男性ならば可愛いと思ってしまうだろうが、零美には逆に、何か思惑がありそうな予感がして心が凍る思いがした。彼女から伝わる底知れぬ怖さにたじろぎながらも、好奇心旺盛さ故の怖いもの見たさで「どうぞ」と中へ招き入れた。

ソファーに座った彼女に「コーヒーでもいかがですか」と声をかけると「是非いただきます」と言って笑った。顔は笑っているのに、何故彼女を不気味に感じるのかはわからなかったが、とりあえずいつものように豆を挽いた。

彼女のための淹れたてのコーヒーと、先ほど飲みかけていた自分のコーヒーを持って席に着いた。彼女は左手で右ひじを押さえながら、軽く頭を下げて「ありがとうございます」と言った。

冷めたコーヒーを電子レンジで温め、ようやくゆっくりと飲める事に満足しながら「ところで、お話って何でしょうか?」と切り出した。彼女は黙って零美の目を見つめた後、コーヒーを一口飲んでから話し始めた。

「実はですね、夫が浮気したんです」

そう一言言うと、じっと零美の目を見つめた。その後の言葉が出てこないので「そうですか。大変ですね」と伏し目がちに返答した。その言葉に心がこもっていなかったのは、普通の浮気相談者が見せる裏切られた悲壮感が感じられなかったからだった。

「しかも、相手は妊娠したそうで」
「えっ?」

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浮気して、しかも相手が妊娠をした、その事だけで充分驚きに値するのだが、それ以上に驚いたのは、彼女が淡々と話をしている事だった。夫に対する恨み言を言うどころか、口元には淡い笑みさえ浮かべている。彼女が何故そんなに平然としていられるのか、零美には不思議でならなかった。

「ひどいでしょ。浮気したうえに更に妊娠させたなんて。許せますか?」
「許せません」

許せますか、の言い方も、一般的な浮気された妻の態度ではなかった。あまりに落ち着いていて、どこか他人事のような話し方だった。初めて会うタイプの人間だったので、心の中では激しく動揺していたのだが、悟られまいと必死に隠していた。

「許せませんよね。そこで私、決めました」
「はい」
「主人に復讐します」
「えっ? 復讐?」

思わぬ言葉に声が裏返ってしまった。長い髪をゆるい巻き髪にして、大きな瞳につけまつげをして可愛らしさを強調している、どこにでもいそうな若い女性である。とても復讐なんて物騒な言葉が出てくるとは思えなかった。

「はい、復讐です」
「復讐って、どうするつもりなんですか?」
「聞きたいですか?」
「はい」
「先生、他言無用ですよ」
「絶対に誰にも言いません」

ここまで念を押されると、かえって興味が湧いてくる。最初は、彼女の醸し出す雰囲気に得も言われない恐怖心があったが、よく考えてみれば不倫夫が全面的に悪いのであって、同じ女性として彼女の復讐を応援したくなってきた。

「私ね、彼女に会ったんです」
「彼女って、浮気相手で妊娠した……」
「そうです」
「会ってどうしたんですか?」
「こっちは浮気の証拠が揃っている。夫だけでなく、あなたからも慰謝料をとる事が出来る。だけど、あなたもある意味被害者だと。あなたを責めないから、代わりに復讐の協力をしてほしい、と頼みました」
「そうですか。そうしたら何と?」
「すいませんでしたと謝って、協力しますと言ってくれました」
「そうですか。それは良かった。ところで、彼女には何をしてもらうんですか?」

いつの間にか、彼女を応援する気になっていた。悪いのは夫なのである。数分彼女と言葉を交わすうちに、すっかり彼女に魅了されてしまった。どんどん話に引き込まれていく。そんなカリスマ性を持ち合わせた女性だった。

「私はね、夫と離婚するつもりです」
「はい」
「でもね、彼はお金を持っていないから、慰謝料は期待出来ないんですよ」
「はい」
「それで、彼女にお金を借りてもらおうと思います」
「お金を?」
「はい。その際、借金の連帯保証人は夫です。彼女はお金を払えないので、当然ながら夫に支払うよう請求します」
「でも、ご主人は支払えないのでは?」
「そうです」

そう言った彼女の右の口角が上がった。その仕草が、冷徹な彼女の内面を映しているように感じられた。次の言葉が気になる。

「マグロ漁船ってご存知ですか?」
「マグロを獲る船ですよね」
「はい。借金を返済させるためにマグロ漁船で働かせて、半年ぐらいは帰れません」
「……」
「夫は、頭は悪いけど体は丈夫なんですよ。元ラグビー部ですしね。だから、体で稼いでもらおうと思って」
「……」
「それで、マグロ漁船だと海に飛び込んで逃げる人がいるらしいんですよ。だから、ナマコ漁船がいいみたいなんです」
「ナマコ?」
「はい。ナマコの場合はロシアなどの寒い海に行くので、逃げる事ができなくて確実にお金を回収出来るみたいなんです」
「……」
「そっちの方がいいですよね?」

そう言って、今度は大きな口を開けて笑った。冷たく甲高い声が、店内に響き渡っていた。大声で笑った事でもう満足したのか、彼女は鑑定料をテーブルに置いて帰っていった。

彼女が帰っていった後、しばらく呆然と座りながら考えてみた。彼女の話はどこまでが本当なのだろうか? もしかしたら、最初から最後まで作り話だったのかも知れない。

もし彼女が本当に実行するのなら、サイコパスとは彼女みたいな人を言うのではないか、零美は天井を見上げながら漠然と考えていた。

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