第90話「友だちに彼氏を取られた女」

「先生、聞いてください!」
平日の夕方、荒々しく入り口のドアを開けて入ってきたのは、一度相談に来た事がある白川真帆だった。彼女があまりに興奮していたので、「とにかく入って」と言って店内に迎え入れた。

走ってきたのか、息を切らして苦しそうだったので、コップに入れた水を飲ませた。とりあえずソファーに座らせて背中をさすると、「先生!」と抱きついてきて胸に顔を埋めた。そのまま大きな声を上げて泣き出した彼女を、零美は黙って抱きしめた。

しばらくして落ち着いた彼女が「先生の美味しいコーヒーが飲みたい」と言うので、「ちょっと待っててね」と言ってカウンターに向かった。お気に入りの豆を挽いて淹れたコーヒーにチョコレートを添えて彼女に出すと、軽くお辞儀をして笑顔になった。

「先生、ありがとう」
「どういたしまして」

彼女は下を向いたり上を向いたりしている。何も言わずに黙っているので、零美もまたあえて何も聞かない。彼女が話し始めるまで、二人で黙ってコーヒーを飲んでいた。

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「あのね……」

ようやく彼女が口を開いた。「うん」と軽く頷いて、彼女が話しやすいように呼び水を差した。

「私ね、信じてた友だちに裏切られちゃった」
「……」

涙が零れないように上を向く。さっきあんなに泣いたのに、人の哀しみは涙を容易に生産するのだろうか。

「修司から、佳織の事が好きになったから別れたいって……」
「……」

「親友だと思っていたのに、信じられない……」
「……」

下を向くと、涙が零れないように急いでハンカチを当てた。その姿を見ているだけで、思わずもらい泣きしそうになる。

「修司くんって、前に来た時に相性観た人だったっけ?」と尋ねると、下を向いたまま黙って頷いた。零美は、パソコンに入っているデータの中から修司を検索して命式を出してみた。「なるほどね……」と呟く零美に反応して、彼女が顔を上げた。

「彼はね、愛情をたくさん持っている人なんです」
「はい」
「誰にでも優しい人です」
「確かにそうです」
「優しさから愛情に変わっていったと思うんです。これは、友だちが悪いね。彼のそういう所を見抜いていたと思う」
「そうなんだ……」

恋人と親友を同時に失った彼女が受けた傷は深い。

「先生」
「はい」
「私、人が信じられなくなっちゃった」
「そうね。そうなるわよね」
「先生、私もう、辛い……」
「うん。辛いよね」
「もう生きていられない」
「そうだよね」
「死にたい」
「うん……」

零美には、彼女にかける言葉が見つからなかった。生きていられない、死にたい、と言われれば、死ぬのはだめだと言いたくなるのが普通だが、あえて言わなかった。今の彼女には、否定の言葉よりも同調の言葉が優しいと思ったからだ。

様々な関わり合いの中で、人と人はぶつかり合う。そして傷つけ合う。精神的に強い人であれば、多少の傷を負っても平気な場合もある。しかし、同じ場所を何度も傷つけられれば、どんな人でも耐えられなくなるだろう。

そして精神的に弱い人であれば、一度の傷でも致命傷になり得る。感受性の鋭い人は特にそうだ。子どもの頃から少しずつ、小さな傷を負いながら、徐々に耐性をつけていくしかない。

白川真帆は感受性の鋭い女性である。喜怒哀楽を人一倍に感じやすい。元々傷つきやすいので、自分にとってこの人は敵か味方かを、瞬時に判断する能力に長けているのだが、一度気を許した相手に対しては、とことん信じてしまうところがある。

そのため、信じていた人からの裏切りは、普通の人が想像する以上にショックが大きいのだ。零美の心の中に、彼女の哀しみの感情が押し寄せてくる。その感情から侵食されるままでいるせいで、彼女の思いに同調する以外に術すべがないのだ。

「先生の優しさが嬉しい」
「そう?」
「うん。何も言わないでいてくれるから……」
「うん……」
「ただ話を聞いてくれるのが嬉しい」
「でも、かける言葉が見つからない、というのが実際のところかな」
「いいんです、それで。正論なんか聞きたくないんです」
「うん」
「ただ、やりきれない感情を吐き出したいだけなんです」
「そうね。だからあなたはここに来た」
「はい」
「私から言わせれば、よく私を頼りにしてくれたなって。それが嬉しかった」
「先生」
「はい」
「私、本音を言える人がいないんです」
「……」
「佳織の事を親友だと思っていたけど、自分の本心は言ってなかった」
「そう……」
「私、先生に会った瞬間にわかった」
「えっ? 何が?」
「この人には本心が言えるって」
「……」

彼女もまた、零美と同じような感覚の持ち主だった。人の心を見抜くところがある。おそらく、彼や親友の変化を少しずつ感じていたに違いない。それでも、信じたい気持ちが強かった。だからこそ、信じていたのに裏切られた憎しみが強いのだ。

「もう少し、ここに居ていいですか?」
「うん。気が済むまで居たらいいよ」
「ありがとう。私、先生を悲しませないために絶対死なないよ」
「そう、良かった……」

零美もまた、本心で分かり合える友だちがいない。そんな零美にとって彼女は、心と心の交流が出来る数少ない存在なのだった。お互いを必要とする者たちが、自然に出会うようになる。静かな店内に流れる心地良い時間が、傷を負った二人の心を癒してくれていた。

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