第11話「おしゃべりな女」

「先生、私の事、覚えていますか?」

店の入り口に立っていたその女性は、悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう言った。

「もちろん覚えていますよ。どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないんですけど……。話すと長くなりますが、良いですか?」
「さあ、どうぞ」

あんなに大柄で重そうだった彼女が、今日は軽やかに歩を進めている。零美は彼女の事情を把握していたので、会った瞬間に何が起こったかはわかっていた。それでも、彼女が自分の状況を甘んじて受け入れているので、「彼女らしいな」と思った。

「えーっと……、どうします? コーヒー、淹れましょうか?」
「そうねえ、どうしようっかなあ……。先生の淹れるコーヒー好きだから、とりあえずいただきます」

彼女も、豆に拘って飲むほどのコーヒー好きだった。この店には相談に来ると言うよりも、どちらかと言うとおしゃべりに来るような人だった。

だいたいは夫に対する愚痴が主なのだが、零美が聞き役に徹するのを良い事に、言いたい事を一方的に話して帰るといった感じだった。

コーヒーを淹れながら、複雑な感情を抱かざるを得なかった。悔しい思いと残念な思い、それと共に、自分の事を思い出して訪ねてきてくれた事に対する感謝の思いもあった。思わず涙が零れそうになるのを慌てて隠した。

「どうぞ」と彼女の前に差し出すと、「ありがとう」と微笑んだ。彼女は、湯気の立つコーヒーをじっと見つめていた。懐かしい香りを味わっているのだろうか。二人は黙ったまま、しばらく時間が流れていった。

「どうしたんですか?」

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その緊張に耐えかねて、零美がまず言葉を発した。いつもなら、きまって彼女が機関銃のようにまくし立てるのに、今日はその片鱗すら見せないからだ。

「ごめんなさいね、いつもの私じゃなくて。ちょっと感傷に浸ったみたい」

零美は何となく、彼女の気持ちを察した。目の前の彼女は、以前に警告した通りの結果を迎えたからだ。人は時として、自分を過信するあまり、アドバイスや助言に耳を貸さない場合がある。自分に限ってそうなるはずはない、と言う思い込みは、時に判断を甘くする。

この人に限ってそんな事するはずはない、と言うのも幻想だ。人を信じたい気持ちはわかるが、完全に信じてしまうのは責任の放棄である。起こってしまった結果を相手のせいにしてしまう、責任の転嫁だ。

広く世間では夫婦の場合、夫である男性が、妻である女性を守る事が当たり前のように認識されているが、妻だって夫を守る義務がある。一方的に夫に頼りきりではいけないだろう。

彼女の夫は無口で内向的だ。おしゃべりで外交的な彼女とは真逆の性格である。大学で難しい研究をしている学者であり、一人で思索するのが彼の仕事であった。

親同士が決めた結婚だとは言え、彼女は夫を愛そうと努力した。世間的に恥ずかしくない夫婦としての体裁を整えようと努力していた。そしてそれは、彼も同じ思いだろうと信じていた。

「ご主人がやったんですか?」

彼女は度々この店に来ては、夫との性格の不一致を相談していた。彼は普段は大人しく、とても我慢強い。しかし時に、溜め込んだ不満を爆発させてしまう。少しずつガス抜きをすれば大事にはならないのだが、そんなに器用な人ではないのだ。

彼女のくだらないおしゃべりは、彼にとっては有益なものではなかった。却って、大事な思索を中断させる不利益なものだったのである。

彼は彼女を傷つけまいと、思索中の話しかけをやんわりと禁じてきたのだが、「口から先に生まれた」と周りから揶揄されるほどの彼女には通じなかった。彼が聞いていようといまいと、独り言を言い続けるのだった。それは彼にとって、まるで工事現場の騒音でしかなかった。

夫の仕業かと問う零美に、彼女は黙って頷いた。

「あなたの体は今、どこに?」
「庭に埋められています」

その言葉を聞いた零美は、奥にいる和彦を呼んだ。「はいはい」と軽い返事をしながら、和彦が店に入ってきた。零美に誘導されるがまま隣りに座ると、起こっている事態が把握出来ないため、きょとんとした表情になった。

「どうしたの?」
「こちら、新藤ますみさん」
「えっ?」

何度も体験しているはずの状況なのだが、霊感のない和彦にとっては慣れないものだった。そこに居るでしょと言われても、見えないものは見えないのだ。とりあえず、零美に言われるまま、友人の川崎刑事に電話をかけた。

「加賀美だけど、川崎?」
「久しぶり。どうしたの?」
「うちの奥さんからの、いつものご依頼が来たよ」
「……ああ。いつものやつね。了解!」

和彦の友人である川崎刑事は、零美からの依頼と聞いてすぐにピンときた。警察が彼女の夫に事情を聞くと、すぐに犯行を認めた。計画性はなく、衝動的な犯行だった。いつものように、速やかに処理された事を彼女に伝えると、彼女は複雑そうな表情をした。

「あまり嬉しくないようね」
「私のせいで、夫の人生を台無しにしちゃったから……」
「でも、彼はあなたの命を奪ったのよ」
「私が先生の言う事を聞いて、もっと大人しくしていれば良かったのに、それが出来なかったからこうなっちゃったんだもん……」

彼女はそれきり黙ってしまった。口は災いの元を実感した彼女は、亡くなってからようやく、変わろうと意識し始めたようだ。それが零美には、とても寂しく感じられて仕方がなかった。

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