青山美菜が母の夏子に連れてこられたのは、坂道を上った所にある一軒家だった。狭いアパート暮らしだった美菜は、二階建ての大きな家を見上げて「ここが新しいお家?」と母に尋ねた。
「そうよ。今度はお部屋がいっぱいだから、美菜のお部屋も出来るね」
「わーい」
すると玄関が開いて、泉谷一平が「いらっしゃい。よく来たね」と笑顔で出迎えた。「よろしくお願いします」とお辞儀をした美菜が顔を上げると、一平の後ろにもう一人の男性の姿が見えた。
「美菜ちゃん、あなたにお兄ちゃんが出来るのよ」
「わーい、お兄ちゃんだ! 嬉しいな。私の名前は美菜です、よろしくね」
「達夫です。こちらこそよろしくね」
達夫はニコッと笑い、美菜の頭を優しく撫でた。達夫の白い歯が光った。五歳の美菜にとって、九歳年上の達夫は輝いて見えた。この時にもう、美菜は達夫に恋をしていたのだ。
土曜日の午後、お気に入りのトレンチコート風ワンピースを着た美菜が、零美の店にやってきた。
「こんにちは」
明るい声が零美の耳に心地良く響いた。「はーい」と返事をして入り口に向かうと、大きな瞳を輝かせて、満面の笑みを浮かべた美菜が立っていた。
「ご予約の泉谷美菜様ですね。お待ちしていました」
「泉谷です。よろしくお願いします」
美菜は零美に促されて席に着いた。「泉谷さんはコーヒーなんて飲みませんか?」と聞かれた美菜は「私、コーヒー飲めます。もう大人ですから」と胸を張った。その仕草が可愛くて、思わず「フフフ」と笑った。
コーヒーと一緒に、チョコレートを二個添えて出すと「わあー、私チョコレートが大好きなんです」と美菜が言った。感情が素直に出せる美菜の天真爛漫さが、零美にとっては心地良かった。
「泉谷さんの気になる事は何でしょうか?」
「はい。実は好きな人がいまして、その人との相性を観てもらいたいんです」
「わかりました。あなたとその方のお名前、生年月日を書いていただけますか?」
「はい」
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若い女の子らしく、丸みを帯びた文字で書かれた名前と生年月日を基に、二人の命式を出してテーブルの上に並べた。
「この人も泉谷さんっておっしゃるんですね。お二人はどのような関係なんですか?」
「あっ、この人は私の兄です」
「えっ? お兄さんですか?」
「はい」
零美には、堂々と胸を張って答えた美菜の真意がわからなかった。兄と妹の相性を観るとはどういう事なのか?
「お兄さんって……、好きな人がお兄さん?」
「はい」
「それは、兄弟愛って事かしら?」
「いえ、恋人としてです」
「えっ?」
美菜は笑って答えた。「何か問題ありますか?」といった表情だ。
「でも、お兄さん、なんでしょ?」
「はい。兄と言っても、血の繋がらない兄妹なんです」
「えっ?」
「兄は父の連れ子で、私は母の連れ子。十三年前に、妻を亡くした父と夫を亡くした母が再婚して、その日から私たちは兄妹になりました。でも私は、兄に初めて出会った時に一目惚れしまして、私の初恋の人なんです」
「はあー、そうなんですかあ」
零美はようやく理解した。確かに二人は血が繋がっていない。そして、実際に連れ子同士で結婚したカップルもいる。彼女たちが結婚する事は何の問題もないのだ。
「あのー、お兄さんの気持ちはどうなんですか?」
「はい。兄も同じ気持ちです。流石に兄は、最初からではありませんでした。まだ私は五歳でしたから」
「と言う事は、お兄さんは十四歳だったわけですね」
「はい。私がずっと、将来はお兄ちゃんのお嫁さんになるって言い続けてきまして。最初は本気にしていませんでしたが、高校生ぐらいになってから本気で考えだしたみたいです」
「そうなんですかあ」
現在十八歳の彼女と二十七歳の兄。法律上では結婚は可能だ。命式を観ても、自己主張の強い彼女と控えめな兄。可愛い妹の言う事なら、どんなわがままでも笑って許してくれそうだ。お互いの不足な点を補い合う、理想の組み合わせである。
命式の上では問題はないが、彼女の両親はどうなのだろうか? いくら血の繋がらない連れ子同士だとは言え、両親は許してくれるのだろうか? そこの所が気になった。
「お二人の気持ちは、お父さんお母さんはご存知なんですか?」
「それはまだ、言ってないんですけど……」
「言ったらびっくりするんじゃないですか?」
「多分そうですね。でも、きっとオーケーしてくれると思います」
「そうなんですか?」
「だって、父も母も、兄と私の事を小さい時から見てきているわけじゃないですか」
「はい」
「良い所も悪い所も、みんな知っているわけですもんね」
「確かに」
「どこの馬の骨かもわからない人よりも、よっぽど安心じゃないですか」
「そうですね」
「それに、兄の母は私の母ですから、嫁姑の心配がありません」
「それはそうです」
「お父さんが娘を嫁に出す時に、泣かなくて良いじゃないですか。これからもずっと一緒にいるわけですから」
「なるほど」
彼女の話はいちいち納得出来た。こうやって兄も説得されたのかも知れないと思うと、少し可笑しくなった。彼女なら、きっと両親を説得するに違いない。零美が「頑張ってくださいね」とエールを送ると、「任せてください」と笑って胸を叩いた。
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