強豪ひしめく神奈川県大会の決勝マウンドには、大野七恵のクラスメイトの草野翔平が立っていた。七恵は吹奏楽部の一員として、母校の勝利を願って必死に演奏していた。
九回裏ツーアウト、あと一人アウトで甲子園大会出場が決まる。翔平の投げたストレートを相手校四番打者がバットに当てた。ボールは快音を上げながらレフトに上がった。
そのボールをレフトが難なく捕球しゲームセット。翔平は勝利投手となり、母校を甲子園へと導いた。七恵は友人たちと喜びながら、翔平の姿を目で追っていた。
甲子園では、翔平の力投空しく、三回戦であえなく敗退。泣きながら甲子園の土をかき集めている翔平の姿を、七恵はアルプススタンド応援席から、目を真っ赤に腫らして見つめていた。
日曜の午後、友人と遊びに行った帰り道、河川敷を七恵が歩いていると、「大野さん」と後ろから声をかけられた。七恵が「えっ?」と振り向くと、そこにはランニングをしていた翔平が立っていた。
「草野君。自主練してたの?」
「うん。ピッチャーは足腰が大事だからね」
そう言って翔平は、自分の太腿をパンッと叩いて微笑んだ。七恵は翔平の事が好きだ。特に笑顔が大好きだった。しかし、自分の気持ちは恥ずかしくて言えない。
七恵は、背が低いのがコンプレックスだった。背が高い翔平と並ぶと、やっぱり様にならない。友人たちは、背が低い方が可愛いよって言ってくれるが、それでも七恵は気に入らなかった。
甲子園で活躍した翔平は、学校中の注目の的であるばかりか、全国的な有名人になった。そんな翔平と一緒に居る姿を見られるのが恥ずかしかったが、その反面、ずっと片想いだった七恵にとって、二人っきりで話すなんて夢みたいだった。
「……草野君は、プロに行くの?」
思い切って聞いてみた。翔平と話をするなんて、こんなチャンスは滅多にない。勇気を振り絞った。
「うん」
「行きたい球団はあるの?」
「指名されたらどこでも行くつもり」
「そうなんだ……」
「大野さんは大学はどこ?」
「私は、英語が好きだから、東京外大か筑波に行きたいなと思って」
「そうなんだ。大野さんなら頭が良いから行けるよ」
「それはどうかわかんないけど、将来は英語を活かせる仕事がしたいな」
「夢が叶うと良いね。僕もプロで頑張るから、お互い頑張ろうね」
そう言って、翔平はまた走り出した。七恵は翔平の後姿を見送りながら、夢のような時間の余韻にしばらく浸っていた。
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大学四年生になった七恵は、友人から紹介された零美の店にやってきた。「昨日お電話してくださった大野七恵様ですね。お待ちしていました。どうぞ」とお辞儀をした零美に、緊張しながら深々とお辞儀をした。
席に案内された後、「相性でしたね。その紙にお二人のお名前と生年月日を書いていただけますか?」と言われたので、零美が用意したレモンティーを一口飲んで書き始めた。
「草野翔平さんって、聞いた事ある名前ですけど、有名人でしたっけ?」
七恵は、パソコンに入力しながら聞いてきた零美に「野球の草野選手です」と答えた。
「ああ、今や球界のスター、草野選手でしたか。お知り合いなんですか?」
「はい。高校のクラスメイトです」
「えー? すごい! 羨ましいです。仲良かったんですか?」
「いえ……。彼は女子から人気がありましたから、私なんてとてもとても」
「じゃあ、片想い、ですか?」
七恵は黙って頷いた。
「草野さんは、高校時代に付き合っている人はいなかったんですか?」
「はい。彼は野球一筋でしたし。それにシャイなのか、あまり女子と話をする事はなかったですね」
零美は、二人の命式をプリントアウトしてテーブルに並べた。
「確かに、俺が俺がと自己主張するタイプではありませんね。周りに気を遣う優しい人です」
「はい」
「でも、真面目で努力家なんですが、運気的には少し弱いかなと思うんですね」
「そうなんですか」
「逆に、大野さんは、すごく強い生まれなんですよ」
「ええっ? 本当ですか?」
「はい。すごく恵まれています。あなたのような人が側に居れば、草野さんの運気も強められていくんですけどね」
「そうなんですか……。でも、私なんて、彼に似合わない女だし……」
「それは、見た目ですか? 大野さん、充分可愛いですよ」
「でも、背が低くて……。彼は背が高いので、釣り合いが取れないって言うか……」
「いえいえ。背が高い男の人って、背の低い人がタイプだって聞いた事ありますよ」
「そうなんですか?」
「彼もきっと、あなたみたいな人がタイプじゃないのかなあ」
「本当ですか? 本当にそう思いますか?」
零美はそこまで自信はなかったが、七恵を応援したい気持ちを込めて言った。
「はい。本当にそう思います」
「えーーー。嬉しいですう」
両目を閉じて両手を胸に当て、しみじみと七恵は言った。
日本代表として国際大会にも選ばれた翔平は、外国の選手相手にも好成績を残した。その結果、メジャーリーグからの熱い視線を浴びるようになった。日本のマスコミも、翔平のメジャー挑戦に対して、好意的に報道するようになった。
外資系の会社で働いていた七恵は、休暇を取って実家に帰省していた。久しぶりに懐かしい河川敷を歩いていると、突然後ろから「大野さんじゃない?」と呼ばれた。
「えっ?」と驚いて振り返ると、そこには、背の高い男性が立っていた。サングラスに帽子を被っているので「誰だろう?」と思っていると、男性が「久しぶり」と言ってサングラスを外した。
「えっ? 草野君?」
そこに居たのは、高校卒業して以来の草野翔平だった。
「ここじゃ誰かに見られるから、車の所へ行こう」
そう言って翔平は、七恵の手を握って駆け出した。今や日本中で知らない人はいない大スターが、同級生とは言え自分の手を握っている。その事実が衝撃過ぎて、七恵は顔を真っ赤にしていた。
高級外車の助手席に座らされた七恵は、憧れの翔平と二人きりになった事が信じられなかった。「ちょっとドライブしない?」と言った翔平は、エンジンをかけて車を走らせた。
「なんかさ、これって運命の出会いじゃないかな?」
「運命の出会い?」
「そう。僕はたまたま実家に帰省していて、たまたま懐かしい思いで河川敷にやってきた。そしたら君が歩いていたんだ。驚いたよ。そして直ぐに声をかけた」
ゆっくりと話してはいるが、翔平が興奮しているのが七恵には感じられた。七恵は恥ずかしくて翔平の顔が見れなかった。
「大野さん。本当の事を言うとさ、僕は君が好きだったんだ」
「えっ?」と顔を上げて翔平を見た七恵。翔平は前を向いて運転している。
「僕は背の低い子が好きなんだよな。君は教室で輝いていたよ。でも、恥ずかしくて君に告白出来なかった。自分に自信がなかったしね。でも、今だったら言える。自信持って言える。今日君と出会ったのは、運命に違いないんだ。僕と付き合ってくれませんか?」
翔平の言葉は、レーザービームのように七恵の胸に突き刺さった。苦しくて息が出来ない程だった。翔平の横顔を見つめながら、自然と涙が流れた。
「……こんな私なんかで、良いの?」
やっとの思いで言葉を絞りだした七恵に、翔平は微笑みながら言った。
「僕と一緒にアメリカへ行ってくれないか。君の英語が必要なんだ」
七恵は、翔平の眩しい横顔が涙で滲んでよく見えなかったが、目を瞑ってこう言った。
「わかりました。よろしくお願いします」
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