第52話「駆け落ちした女」

 日曜の朝、ゆっくりと起きてきた木田勇人は、テーブルの上に置かれた朝食の横に封筒を見つけた。眠い目をこすりながら手に取ってみると、手紙が入っていた。

「好きな人ができました。彼と一緒に旅に出ます。麻衣のことはよろしくお願いします。お世話になりました」

 妻の梨花が残した置手紙だ。封筒には、署名と判が押された離婚届が入っていた。「そ、そんな」と呟きながら、勇人は床に膝から崩れ落ちた。

「お母さんは?」

 娘の麻衣が起きてきた。まだ五歳の麻衣に、何と説明したら良いのか。勇人の頭の中でいろんな言葉が飛び交っていた。

「ちょっと用事が出来てね。出掛けちゃった。お利口で待ってようね」
「うん」

 あどけない麻衣の笑顔に、ほんの一時だけ癒された。しかし、これからの事を考えると、どうして良いかわからなかった。寝起きの頭では、うまく考えがまとまらない。とりあえずは麻衣にご飯を食べさせ、自分も朝食を摂らなければ。それだけしか思いつかなかった。

 大阪を出た木田梨花は、一緒に逃げてきた橋本英雄と東京で住むことにした。十歳年下で二十二歳の英雄は、娘の麻衣が通うスイミングスクールのコーチだった。仕事が忙しい勇人に構ってもらえず、寂しかった梨花の心の隙間に、英雄が入り込んできたのだ。

 鍛え上げられた肉体と、顔がアイドル並みの勇人は、子どもたちを通わせる母親を次々と虜にしていった。自分を女として見てくれなくなった勇人よりも、女心を知り尽くしている勇人に本気で恋をしてしまったのだ。

 独身時代に貯めた二百万を持って東京に来た梨花は、英雄と暮らすアパートを借りた。そして英雄と暮らし始めて三日後の事。梨花がアルバイトの面接から帰ってくると、英雄の姿はなかった。服も荷物も一切ない。

 「もしや」と思い、スーツケースに入れていたお金を確かめてみると、思った通り、全てなくなっていた。「やられた……」と呟いた梨花は、右手で床を思い切り殴った。

 慌てて部屋を飛び出し、辺りを見回してみるが、英雄の姿はない。梨花はそのまま行く当てもなく、足がむくまま歩きだした。

 最初からお金目当てだった英雄に対する憎しみ。単純に騙されてしまった自らの愚かさ。そして大阪に残してきた夫と娘に対する申し訳なさ。様々な思いが込み上げてきた。

 しばらく街を彷徨った梨花の目に飛び込んできたのは、「よろずお悩み解決所」の文字。その言葉の響きが何故か気になった梨花は、ドアを開けて声をかけた。

「こんにちは……」

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 それは消え入るような声だったが、零美の耳にはしっかり届いていた。素早く入り口に駆け寄った零美は、頭を下げて「こんにちは」と挨拶をした。

「お客様は、ご予約の方ではありませんね。鑑定のご依頼ですか?」
「鑑定?」
「占いをやっているのですが」
「ああ、そうですか……。ちょっと、お話を聞いてもらいたい、です……」

 思いつめた梨花の顔を見た零美は、「どうぞ」と招きいれた。席に着いた梨花にコーヒーを出し、「どうしましたか?」と優しく尋ねてみた。

「わ、私、とんでもない事をしました……」
「とんでもない事と言いますと?」
「夫と五歳の娘を置いて、家を飛び出してきたんです」
「それは、家出ですか?」
「いえ……若い男と駆け落ちしたんです」
「ああ……」

 零美は、若い男と駆け落ちという言葉に良いイメージはしなかった。決して楽しくはない相談事だ。占い師をしていると、いろいろな相談がある。

好きな人との相性を観るのは楽しいのだが、このような相談は心が重くなってしまう。しかし、だからと言って嫌な顔は出来ない。本人にとっては一大事なのだから。

「では、今はその方と一緒にいらっしゃると言う事ですね?」
「いえ……その男は……お金を持って逃げました」
「えっ?」

 思わず零美は、開いた口が塞がらず、そのまま固まってしまった。若い男と駆け落ちして、挙句の果てにはお金を持ち逃げされてしまう。見れば自分と大して年齢が変わらない梨花に、かける言葉が見つからない。

「いつ家を出たんですか?」
「三日前です」
「では、ご自宅に戻った方が良いのでは?」
「えっ? でも、離婚届を置いてきましたし」
「多分、まだご主人は出してませんよ」
「……」
「と言うか、きっとご主人は、あなたの帰りを待っていますよ」
「そ、それは、本当ですか?」
「はい」
「信じて良いのでしょうか?」
「だって、五歳の娘さんがいらっしゃるのでしょう? 待っていないわけありませんよ」
「でも……」
「ご自宅はどちらですか?」
「大阪です」
「新幹線代あります? なかったらお貸ししますよ」
「い、いえ、そんな。なんとかありますから大丈夫です」
「じゃあ、今日帰りましょう」
「で、でも……」
「早い方が良いんです。今日が良いんです。絶対!」

 零美に強い口調で言われた梨花は、「わかりました」と小声で答えた。「善は急げです」と言って梨花を立たせ、追い出すように店の外に連れ出した。

「いってらっしゃい」
「……ありがとうございました」

 梨花は深々と頭を下げた。「早く」と零美に急かされた梨花は、振り返って走り出した。

「お母さん、まだかなあ」
 おもちゃで遊ぶ麻衣の呟きが、夕食の準備をしていた勇人の胸に刺さるように痛かった。すると、麻衣が突然立ち上がり、「お母さんだ!」と言って玄関に走った。その直後、インターホンが鳴った。

 急いで玄関に向かった勇人がドアを開けると、申し訳なさそうな顔をした梨花が立っていた。

「お母さん!」

 麻衣は梨花に抱きついた。梨花も、三日ぶりに麻衣を抱きしめた。その様子を微笑ましく見ながら、勇人は梨花に言った。

「お帰り。随分長い買い物だったね」
「……ごめんなさい……」

 下を向く梨花の手を取って、勇人はこう言った。

「さあ、三人でご飯を食べよう」

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投稿日:2019年1月3日 更新日:

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