第62話「ベビーカーの女」

 産婦人科の病室にいた三木由紀子は、死刑宣告にも似た事実を告げられた。それは、九か月の間お腹の中で育ってきた子どもが、死産だったということだ。

 最初は意味がわからなかったが、医師や看護師の表情から、それが他人事ではなく、自分の身に降りかかった現実だと悟った時、由紀子は大声を上げて泣いた。その声は、静まり返った病院中に響き渡った。

 しかし由紀子には、まだやらなければいけないことがあった。それは、死んでしまった我が子の分娩だった。母親にとって、これほど辛い作業が他にあるだろうか?

 ある日の午後の昼下がり、食後に零美が横になってうとうとしていると、猫の和美が顔を舐めだした。「お母さん、お母さん」と甘える和美に気づいた零美は、優しく頭を撫ぜてあげた。

 傍で見ている和彦には、和美の言葉は「にゃー」としか聞こえない。実は母娘のスキンシップなのに、猫と飼い主の触れ合いにしか見えない。零美も和美も、その状態を密かに楽しんでいた。

 しばらくして、突然インターホンが鳴った。そしてドアが開いて「こんにちは」という声が聞こえた。零美は和美に「ごめんね」と言って立ち上がり、急いで入り口に出ていった。予約はなく、突然の訪問者だった。

 入り口には、ベビーカーを押した若い女性が立っていた。零美が笑顔で「こんにちは」と声をかけると、大きな白いつば広の帽子を被った女性が笑顔で小首を傾げた。

「お客様は鑑定希望の方ですか?」
「はい。三木由紀子と言います」
「では、こちらへどうぞ」

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 そう言って中へ招き入れた零美は、ベビーカーを見て驚いてしまった。乗っていたのは、人間の赤ちゃんではなく人形だった。

 大きな黒い瞳が印象的な、可愛らしい女の子の人形だった。白いフリルのついた服を着せ、白い靴下を履かせていた。

「この子、名前は咲良って言います。まだ生まれて四か月なんですけどね」

 そう言って、由紀子は微笑んだ。何と言ったら良いのかわからなかった零美は、黙って微笑みを返した。

 席に着いた由紀子に、「どうぞ」とコーヒーを出した。由紀子は「ありがとうございます」と頭を下げ、「この子にはミルクがありますから」と言って哺乳瓶を見せた。

そして「ミルク欲しいの? はいはい、待っててね」と言って、人形の口に哺乳瓶をあてて飲ませる仕草をした。その光景を、零美は黙って見守った。

 その後、由紀子は人形を抱き上げて、げっぷを出させる仕草をした。そして「げっぷ出たね、良かったね」と言って、再び人形をベビーカーに乗せた。

「すいませんね、お待たせしました」と笑顔で言う由紀子に、零美は「あっ、いえいえ……」と言葉を返した。その後、由紀子が本題を切り出した。

「今日こちらに伺ったのは、この子の性格とかを占ってもらおうと思いまして」
「ああ、はい。性格ですね」

 性格と言われても、人形の性格など零美にわかるはずがない。とりあえず、生年月日を聞いてみた。

「咲良さんの生年月日を教えていただけますか?」
「はい」

 由紀子は紙に生年月日を書きだした。これが何の数字なのか、人形の製造年月日なのか、と想像しながら、パソコンに入力して命式を出してみた。

「えーっと、咲良さんはですね、とても芸術的センスがあるように思います」
「えっ、そうですか。じゃあ、絵とか、歌とか?」
「はい。美しいものに興味があったり、自分で文章や絵を創作したり、音楽を聴いたりするのが好きだと思います」
「私もそうなんです。じゃあ、大きくなったらピアノを習わせたら良いかも知れませんね」
「はい。良いと思います。後は、人のために尽くすのが好きな方ですね」
「ああ、私もそうなんです。似てますねえ。やっぱり親子なんですね」

 由紀子はそう言って、人形を見ながら目を細めた。零美には心なしか、彼女の目が潤んでいるように見えた。

 何かの事情で、生まれてくるはずの我が子を失ってしまったのだろう。その事実を受け止められずに、こうして母子を疑似体験しているのではないか。零美も同様に、娘の和美を失った母親であるから、彼女の気持ちは痛いほどよくわかった。

 生まれてくるはずだった我が子の未来を想像して、一時楽しい時間を過ごした由紀子は、満足した顔をして帰っていった。零美は最後まで、人形であることを気づかない振りをしていた。

 すると、奥でじっと座っていた和美が、「お母さーん」と飛びついてきた。零美はソファーに座って、和美を胸に抱きかかえた。

 たとえ姿は猫でも、和美とは実際に話が出来る。和彦や他の人にとっては、猫と飼い主の触れ合いにしか見えないが、零美にとっては紛れもなく、母娘の触れ合いなのだ。

 和美をしっかりと抱きしめた零美は、「もうどこにも行かないでね」と和美に言った。零美の頬を、涙の雫が伝っていた。

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投稿日:2019年1月13日 更新日:

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