第68話「逃げた猫」

 庭の真ん中に大きな梅の木があり、いつもは時間がゆっくりと流れる川西松子の自宅だが、この日は少し違っていた。朝から引っ越し業者が行ったり来たりしている。長男の圭司が関西に転勤で、一人暮らしを始めることになったのだ。

 やっと荷物運びが終わり、一人になったところでお茶でも飲もうかと思った松子は、ようやく異変に気がついた。猫のしーちゃんがいない。

「しーちゃん! どこにいるの?」と、長い廊下や階段を駆け上って家中を捜しまわる。しかし、しーちゃんはどこにもいなかった。知らない人が大勢来たので、驚いて逃げてしまったのだろう。

 松子は外に出て「しーちゃん! しーちゃん!」と大声で捜してみた。近所の人たちが驚いて「どうしたの?」と聞いてくる。猫がいなくなったと知らせたが、誰も見てはいないと言う。

 その後しばらく、遠くの方まで捜してみたが、残念ながら見つからなかった。ふと頭にひらめいた松子は、急いで電話をかけ、「今から行きます!」と告げて外に飛び出した。

 松子がやってきたのは、少し歩いたところにある零美の店だった。占い好きの松子は、何か気になることがあると、すぐに零美に相談する。自分のことや家族のこと、友だちのことに至るまで、とにかく何かあれば零美先生に、というのが松子の定石なのだ。

「川西さん、どうしたんですか?」
「しーちゃんがいなくなったの!」

 走ってきたのか、息を切らせながら叫ぶ松子に、零美はコップに水を入れて渡した。松子は「ありがとう」と受け取って、一気に飲み干した後、大きな溜息をついた。

「どうしよう先生、あの子がいなくなったら私……」

 松子は顔面蒼白で、唇が震えている。小さい頃からしーちゃんを育て、実の息子よりも可愛がっていた猫だ。両目に涙をいっぱい溜めている松子を見ていると、零美までもらい泣きしそうになる。

「さすがの先生でも、猫の行先まで……わからない、よね?」
「えっ? ああ……でも……」

 零美は、奥の部屋から顔を覗かせている和美を見た。和美は、母の視線からその願いを感じ取り、そろりそろりと歩いてきた。

Sponsered Link



「まあ、可愛い黒猫ちゃん!」

 松子の声は、さっきまでの暗く沈んだ状態から、一気に急上昇した。そして、床にしゃがみ込んだ松子は、両手を広げて和美を呼び込んだ。少し戸惑いながらも、和美は空気を察して松子の元に行った。

 松子に頭を撫でられた和美は、床に寝転んだ。愛らしい和美の姿に、松子は一時しーちゃんがいなくなった悲しさを和らげていた。

「いつからここに?」
「つい最近です」
「お名前は?」
「和美です」
「和美ちゃん? 娘さんの?」
「はい」

 松子は、生前に何度か和美に会っていたが、和美は覚えていなかった。亡くなった娘の名前を飼い猫につける零美の気持ちを、松子は思いやった。三年経っても、まだ悲しみが癒えないのだなあと。

 零美は松子の思いやりを感じたが、少し複雑だった。外見は猫だけど、中身は和美なのである。でも、説明するのもどうかなあと思い、言わないことにした。

 しばらく寝転がっていた和美が、体を反転させて起き上がった。そして猫語で零美に話しかけた。

「このおばさんの猫がいなくなったんでしょ? 写真があったら私が捜してくるよ」

 もちろん、松子には通じないが、零美には通じていた。零美も、捜せるとしたら和美しかいないだろうと思っていたのだ。

「川西さん、しーちゃんの写真、ある?」
「もちろんあるわ」

 松子はそう言って、財布の中に入れているしーちゃんの写真を出した。零美はその写真を防水名札ケースに入れ、和美の首に落ちないように紐で結わえた。

「この子が今からしーちゃんを捜しに行きます。和美、頼むわね」

 和美はにゃんと返事をし、外に出て行った。

「先生、大丈夫かしら?」
「あの子に任せましょう」

 外に出た和美は、まずは聞き込みをすることにした。出会った猫たちにしーちゃんの写真を見せ、行方を知らないかを聞いて回る。テレビの刑事ドラマを観ていたので、地道な捜査が基本だと和美は知っていた。

 『知らないわ』『知らないね』『知らねえよ』

 どの猫も知らないと言う。和美は疲れた。捜査がこんなに大変だとは知らなかった。和美は改めて、警察の人たちはすごいなあと思った。

 お腹も空いた。最初の頃の軽快な足取りは消え、歩く速度もゆっくりになっていた。この広い街に、本当にしーちゃんはいるのか?

 和美がとぼとぼと歩いていると、先の方に見覚えのある猫がいた。一軒家の前で、じっと座っている。茶色の毛並みが美しい猫だ。あれは確かえーっとと、考えを巡らした。そうだ、茶々だ。以前一緒に、優美と竜騎の間を取り持った猫だ。

『茶々!』
『……和美』
『元気だった?』
『……うん、まあ』
『あのね、あなたに聞きたいことがあるの。この猫なんだけど、見かけなかった?』

 和美は茶々に、首から提げたしーちゃんの写真を見せた。茶々はしーちゃんの写真をじーっと見つめた。

『この子がいなくなっちゃったんだって。あなた知らない?』
『……知ってるよ』
『えっ、本当? どこ? どこにいるの?』
『……そこ』

 茶々が振り向いた先を見ると、庭でエサを食べているしーちゃんがいた。

『しーちゃん!』

 和美が駆け寄ると、しーちゃんは驚いて身構えた。

『あんた、誰?』
『私は怪しい者じゃないの。あなたの飼い主さんに頼まれて、あなたを捜しに来たのよ』
『えっ、本当? 私、自分の家がわからなくなっちゃって、ずっと街を彷徨ってたの。それで疲れて休んでいたら、茶々がエサを分けてくれたのよ』
『そうだったんだ。ありがとう、茶々』
『……いや、別に』

 和美は茶々にお礼を言い、しーちゃんを連れて、零美と松子の元に戻った。しーちゃんを見た松子は、「しーちゃん、お帰り!」と言って抱きしめた。

 零美が和美を抱き上げ「和美、お疲れ様。ありがとうね」と言うと、和美は「お母さん、お腹空いた」と言って零美の指を甘噛みした。零美は「待っててね」と言い、とっておきの高級キャットフードを開けた。和美はそれを、貪るように頬張った。

『雨の中の女 神野 守 短編集 第1巻』amazonで販売中!

https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYRKPL2/

Sponsered Link



投稿日:2019年1月19日 更新日:

執筆者:

Sponsered Link




以下からメールが送れます。↓
お気軽にメールをどうぞ!

こちらから無料メール鑑定申し込みができます。お気軽にどうぞ!
お申込みの際は、お名前・生年月日(生まれた時刻がわかる方は時刻も)・生まれた場所(東京都など)を明記してください。
ご自身のこと、または気になる方との相性などを簡単にポイント鑑定いたします。何が知りたいかを明記の上、上記までメールを送ってください。
更に詳しく知りたい方には有料メール鑑定(1件5000円・相性など2人の場合は7000円)も出来ます。

最新の記事をツイッターでお知らせしています
神野守(@kamino_mamoru)


  • 2現在の記事:
  • 66829総閲覧数:
  • 0今日の閲覧数:
  • 38昨日の閲覧数:
  • 350先週の閲覧数:
  • 1000月別閲覧数:
  • 38750総訪問者数:
  • 0今日の訪問者数:
  • 31昨日の訪問者数:
  • 264先週の訪問者数:
  • 696月別訪問者数:
  • 38一日あたりの訪問者数:
  • 1現在オンライン中の人数:
  • 2018年8月14日カウント開始日: