第71話「声が出なくなった少女」

 平日の午後、母親と一緒に出掛けるため、マンションの駐車場に立っていた片瀬莉奈の背中で、どさっと大きな音がした。その直後、莉奈の足元に赤い液体が飛んだ。

 何かなと思って莉奈が振り向いた先には、頭から血を流して倒れている女性の姿があった。驚いた莉奈が「きゃーーーーー!」と声を上げると、荷物を車に積んでいた母親の瑞希が「莉奈!」と叫んで飛んできた。

 息をしていない女性の横で座り込んでいた莉奈を、瑞希は抱きかかえて「大丈夫?」と聞くが、硬直した莉奈は声も出せない。

 瑞希は急いで救急車を呼んだ。悲鳴を聞いて駆けつけた住人たちで人だかりが出来た。救急車のサイレンとパトカーのサイレンが聞こえてくる。いつもは静かな住宅街が、騒然とした雰囲気になっていた。

 一週間後、零美の店に訪れたのは、どこかで見覚えのある女の子と母親だった。予約もなく突然の来店だ。母親の深刻な顔と女の子の無表情さが気になる。とりあえず席に着いてもらい、事情を聞くことにした。

 まじまじと顔を見直してみた零美は、忘れていた記憶を思い出した。公園で和美が体を借りた女の子だ。あの時とあまりにも表情が違うので、すぐに同一人物とは気づかなかったのだ。

 深刻な表情で押し黙っている母親に、「どうされたんですか?」と質問を投げかけた。するとようやく、母親の片瀬瑞希が事の詳細を話し出した。

「私の名前は片瀬瑞希で、この子は莉奈と申します。この近くのマンションに住んでいます。実はこの前、マンションで飛び降り自殺がありました。その現場を、この子が目撃してしまったのです」
「現場を、見たんですか?」
「はい。それはもう、五歳児が見るようなものではありませんでした」
「そうだったんですか……」

 瑞希の話し方から、どんなにひどい現場だったのかが想像できる。

「その日以来、この子は言葉が出なくなってしまったんです」
「言葉が……」

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 大きなショックを受けて、言葉が出なくなってしまったのだろうか。どうしたものだろう。零美は悩んでしまった。

 この莉奈と言う子は、和美に体を貸してくれた子だ。少なからぬ因縁がある。それを知ってか知らずか、母親が連れてきてくれた。

 何とかしてあげたい。どうすれば良いものか。思案を重ねていた零美だったが、ふと頭に閃いた。

 和美が体を借りる事が出来たのだから、和美なら何とか出来るかも知れない。そう思って、奥で寝ている和美の元に行った。

「和美、起きて」

 お気に入りのクッションの上で寝ている和美に声をかける。隣で仕事をしている和彦が「どうしたの?」と聞くので、「和美じゃないとだめなの」と答えた。何度か揺すっていると、大きなあくびをして和美が目を覚ました。

「どうしたの?」
「あなたにお願いがあるの。あなたじゃないとだめなのよ」

 ぺろぺろと前足を舐め、眠い目を擦る和美に、「ごめんねえ」と言いながら頭を撫でてあげる。

「あなたがお母さんと会った時、体を借りた女の子がいたでしょ?」
「うん」
「その子が今、困った状態なの」
「えっ、どうして?」

 驚いて顔を上げる和美。あの子の事を思い出したようだ。

「マンションから飛び降りた人がね、女の子の目の前に落ちて亡くなったの。それを目撃して以来、声が出せなくなったのよ」
「そうなんだ……」

 声が出せなくなったと聞き、和美は小さな胸を痛めた。言いたいことを伝えられないなんて、どれほど辛いことだろう。自分自身、体を失って以来、思いを伝えられなくなった。

 そんな自分のために、あの子は体を貸してくれたのだった。何とか力になってあげたい。和美はそう思った。「うん、わかった」と言った和美は、零美に抱っこされて店に行き、莉奈の前に座った。

「片瀬さん。この子は、不思議な能力を持っている猫です。この子がきっと、莉奈ちゃんを元に戻してくれると思います」

 そう言って、零美は和美を莉奈の膝の上に乗せた。莉奈は黙って和美を受け取った。

「莉奈ちゃん、その猫の頭を優しく撫でてみて」

 莉奈は零美に言われた通り、和美の頭を優しく撫でた。和美はうっとりとした顔で目を瞑っている。おそらく、猫の体から莉奈の体に移ろうとしているのだろう。零美はそう思った。

 しばらくして、莉奈の目が変わった気がした。そして口は動かさないが、和美の霊が莉奈の体の中から零美に語りかけてきた。

“お母さん、今、この子の体の中に入った。私の声、聞こえる?”

 零美は右手で小さくOKサインを出した。その間、莉奈は前を真っすぐ向いたままだ。そして何分間か過ぎたところで、動きがあった。

「……マ……マ……」

 小さくではあったが、ママと聞こえた気がした。「莉奈!」と瑞希が叫んだ。

「……マ……マ……マ……マ……マ……マ……」
「莉奈!」
「マ、ママーー!」

 莉奈は大きく母親を呼んで、横にいた瑞希にしがみついた。その時、驚いた和美が床に飛び降りて、急いで零美の膝上によじ登って来た。

 泣きながら抱き合っている瑞希と莉奈を見ながら、零美は和美を抱き上げて頬擦りをした。そして耳元で「ありがとうね」と小さく囁くと、和美が「うまくいって良かった」と答えた。

 温かい空気が充満している店内には、紛れもなく、二組の母子が存在していた。それを奥の部屋から見守っていた和彦の目にも、温かいものが流れていたのだった。

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投稿日:2019年1月22日 更新日:

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