第75話「復讐の彼方にあるもの」

「先生、復讐の彼方にあるものって何でしょうね?」
「復讐の彼方?」
「誰かが復讐を果たしたとして、その復讐の先にあるものは何だろうと思って……」
「それは、その人の心に何が残るのかってことですかね?」
「そうですね。その人の心に平安が訪れるのか、それとも虚しさだけが残るのか。先生はどう思いますか?」
「うーん……」

 白が基調の店内で、テーブルを挟んで向かい合う二人の会話は、とても重苦しい話が続いた。零美の前に座るその女性は、およそ復讐とはかけ離れた雰囲気をしていた。

 彼女の名前は小田美春。二十歳の大学生だと言う。長い黒髪に切れ長の瞳、和服が似合いそうな美人である。そんな彼女の口から、どうして復讐という言葉が出てくるのか。

「申し訳ありませんが、私はまだ、誰かに復讐したいという強烈な願望を持ったことがないので、正確なことは言えません。小田さんはもしかして、そういう気持ちを抱いていらっしゃるんですか?」

 零美は率直に尋ねてみた。そういう思いを持っているからこそ、彼女はここに来たのだろう。二十歳の彼女がどうしてそんな思いを抱くのか、その理由が知りたい。

「私の母は、ある人の愛人をしていました。その人は今、大物政治家になっています。すでに正妻がいた彼は、いつか妻と別れて君と結婚すると言っていたそうです。私の母は、結婚までしてほしいとは思っていませんでした。ただ、時々会ってもらうだけで良かったのです」

 淡々と母のことを話す美春。その顔に表情はない。表情のない美人ほど怖いものはない。

「しかし、彼が正妻と別れることはありませんでした。正妻の実家は地方の名士で、代々政治家を輩出してきました。やはり政治家だった義父が、一人娘に婿をとって跡継ぎにしたのです。ですから、別れられるはずがないのです」

 そう言って美春は、小さく唇を噛んだ。彼女の奥歯には、相当の力が掛かっていることが想像できる。自分の言った言葉に、思わず悔しさが込み上げたのだろう。零美は少し、唾を飲み込んだ。彼女の緊張が伝わってくるのだ。

「やがて母は私を身籠りました。彼には知らせないつもりでしたが、選挙が近かった彼は、スキャンダルに備えて、私の母の行動を監視しておりました。そして妊娠を知り、堕ろすように母に迫ったのです」

 美春の表情が少し険しくなった。いよいよ核心に迫ってきたのだ。聞いている零美の方が喉が渇き、カップのコーヒーを少し口に含んだ。気のせいか、彼女の眉毛が吊り上げってきたように零美には見えた。

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「それで、どうなったんですか?」

 黙って話を聞いていた零美が、急かすように彼女に問いかけた。口をつぐんで黙って聞くというのは、結構疲れるものだ。言葉を出すことで、少しは楽になるのである。

「母は産むつもりでした。妻になれなくても良いのですが、お腹に宿った私だけは諦めたくなかったのです。私さえいれば、母は生きていけると思ったそうです」
「そうですよね、本当に」

 零美は相槌を打った。和美を身籠った時、零美自身もそう思ったからだ。女とは、母とは、そういうものなのだ。我が子さえいれば、他に何がなくても生きていける。それが、男と女の違いなのだろう。

「ところが、彼は許しませんでした。政治家にとって、スキャンダルは命取りになる。大きくなる前に、スキャンダルの芽は摘んでおかなければならない。彼の義父は、大臣をいくつも経験しましたが、どうしても総理にはなれませんでした。それゆえに、彼はどうしても、総理になることが悲願だったのです。それは、一族の悲願でした」

 一族の悲願。その言葉には、一種異様な響きがある。一族の歯車に組み込まれた男には、選択の余地がない。

「中絶に同意しない母には、容赦ない行為に及んできました。階段から突き落とされそうになったり、駅のホームから落とされそうになったり、私たちの存在を消そうとしていたのです」

なんと、この平和な日本で、そんなことが本当にあり得るのか。零美は信じられない思いだった。しかし、真剣な表情の美春が作り話をしているとは思えない。

「それで、お母さんは大丈夫だったんですか?」と零美が尋ねると、美春は寂しそうな顔で、「結局……母は流産しました」と答えた。そう言って俯く彼女に、かける言葉が見つからない。

 我が子さえいれば生きていけると思っていた母親。それが、我が子の父親によって殺された。どれほど悔しかっただろうか。無念だっただろうか。

「母は、生きていく希望を失って、自ら命を断とうとしたそうです。それで、橋の上から飛び込もうとした時、偶然通りかかった男性に助けられました。その男性によって傷ついた心を癒し、母はその人と結婚、私が生まれたのです」
「そうだったんですか……」

 良かった。母親は自殺を思いとどまったのだ。優しい男性に出会い、そして彼女が生まれた。ハッピーエンドのような気がするが。

「では、誰が復讐を望んでいるんですか?」

 零美は率直な疑問をぶつけてみた。すると、彼女はじっと零美の顔を見つめて言った。

「それは……私の姉です」
「お姉さん? お腹の中で亡くなった?」
「はい」
「……どういう意味ですか?」
「姉の怨念が、私の中で生きているんです」
「……」
「姉が復讐したいその男には息子がいます。実は今、私はその息子と付き合っているんです」
「えっ?」
「愛する子どもを失う絶望感を、あの男にも味わわせてやるつもりです」

 そう言って、口角を少し上げる美春の体には、間違いなく姉の怨念が宿っていた。

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投稿日:2019年1月26日 更新日:

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