夜の繁華街を通る一台の高級車。黒い車体からは、中に乗っている人物の背景が想像できる。彼らの住む世界は、一般市民とは一線を画している。
運転を任されているのは、後ろに座る柳田寛治を兄貴と慕う室屋光だ。毎日喧嘩に明け暮れていた光。危うく命を落としそうになったところを、寛治に助けてもらった。以来、寛治に憧れてこの組に入った。
寛治の横に座る田所幸樹は、この界隈を取り仕切る田所組の組長だ。世渡り上手で、上手く他の組との共存に成功している。
彼が経営する闇カジノなどの商売が順調で、小さな組ながら他の組から一目置かれる存在だった。柳田は、田所の右腕として常に行動を共にしている。
赤信号に引っかかった光が車を停車させると、横に並んだバイクの男が運転席の窓をノックした。「何だ?」と思った光が窓を開けると、フルフェイスの男はいきなり発砲。
頭を撃ち抜かれた光は即死。「野郎!」と叫んで柳田が車外に飛び出すと、男に腹を打たれた。「ううっ」と柳田がうずくまっていると、立て続けに男は田所に発砲。二発の銃弾を浴びた田所は、その場でぐったりとして動かなくなった。
通行人たちの叫び声をかき消すように、男はバイクのエンジン音を鳴らして走り去った。通行人の通報により、救急車とパトカーのサイレンが聞こえてくる。薄れゆく意識の中で、変わり果てた二人を見つめる柳田の目は潤んでいた。
襲撃事件から三か月後、柳田は零美の店を訪れていた。
「先生、私が何者かわかりますか?」
「そうですねえ。特殊な職業の方でしょうか?」
「先生のような堅気の方とは住む世界が違います。汚れた裏社会の人間です」
見た瞬間から、何となくそうかなとは思っていたが、映画やドラマなどで見る同業者とは違う、優しそうな印象だった。
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「そうですか。でも、身形もきちんとされてますし、穏やかな顔をされていますので、とてもそのような方には見えませんが」
「穏やかな顔……。そうですか。そう見えますか。確かに、今は穏やかな気持ちです」
「今は? と言いますと、ちょっと前まではそうではなかったと?」
「はい。気持ちが固まりました。親分と弟分の仇を討とうと思います」
「と言うことは、お二人とも亡くなられたんですか?」
「はい。今日ここに来たのは、二人が私のことを恨んでやしないかと思いましてね。先生は、亡くなった人と話が出来ると聞きましたんで」
「私の場合、誰とでも話ができるわけではなく、波長の合う人でないと難しいのですが」
「そうですか。じゃあ、私らみたいな世界の人間は難しいかも知れませんね」
悲しそうな顔をする柳田を見て、零美は申し訳なく思った。せっかく来てくれたのに役に立てず。
「すいません」
「いえ、いいんです。ところで先生、私らみたいな極道の行き着く先は、やっぱり地獄ですかね?」
「地獄、ですか? 私は宗教家ではありませんので、天国や地獄があるかどうかははっきりとはわかりません。それに、極道だからって、悪い人ばかりではないと思うんです」
零美は実際そう思っていた。ヤクザと言われる人の中にも、堅気の人には手を出さず、任侠に生きる人もいるはずだと。男が男に惚れるとはそういうものだ。
「じゃあ先生、先生は敵討ちをどう思いますか?」
「どう思うかと言われましても……」
「人を殺しに行って、自分も殺されるわけですから、普通の人はしないでしょ。先生みたいな立場の人なら、やめたほうがいいって止めるんじゃないですか?」
「私は、ここに来られる相談者の味方でいたいと、いつもそう思っているんです。柳田さんがもう決心していらっしゃるのなら、全面的に応援します。もちろん、一般の人には迷惑がかからないようにしてもらいたいですが」
「それはもう、約束します。私も古い考えの人間で、任侠に憧れているものですから」
「人間いつかは誰でも死ぬわけですから、悔いのない生き方をした方が良いと思うのです。柳田さんが覚悟を決めていらっしゃるわけですから、私もその生き方を尊重します」
「ありがとうございます。最期に先生みたいな人に出会えて良かった」
そう言って、柳田は店を後にした。そしてその足で、田所と光を殺した神田組の事務所に車で向かった。
神田組事務所前に車を乗り付け、拳銃の他に用意しておいたものを腹に巻き付けた。深く息を吸った後、車を飛び出して事務所に入っていく。途中、警備していた若い組員に発砲。そのまま事務所に突入した。
一斉に拳銃を向けられるが、柳田はジャンパーの上着を開き、腹に巻き付けたダイナマイトを見せた。柳田の「はははは」という高笑いの後、大きな爆発音が街中に鳴り響いた。
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