「君が居ないと僕はダメなんだ」
「そんな台詞、他の女の子にも言っているんでしょ?」
「そんなことない。君以外の女性を好きになんかなるものか!」
「本当?」
「本当だよ。僕と付き合ってください」
「わかりました」
君塚徳郎の熱心な告白に、崎本ゆきは根負けした。芝居がかった台詞は、二人とも舞台役者なので気にならない。以前に舞台で恋人役になり、それ以来二人の仲は急速に近くなった。
劇団に入った時から、ゆきは徳郎のことが気になっていた。寡黙で、積極的に人と話す方ではない。どこか陰があって訳ありなところが、好奇心旺盛なゆきの興味を引いた。
普段は寡黙な徳郎だが、酒を飲むと熱くなる。誰彼構わず、胸に秘めた演技論を語り出す。そのギャップがまた、ゆきには魅力的に感じられた。
ゆきは、徳郎との相性を観てもらうために、零美の店にやってきた。長い間徳郎を見てきたので、悪い人ではないことはわかる。しかし、自分から話をしない徳郎の本性を知っておきたかった。
「お電話した崎本ゆきです」
「お待ちしていました。どうぞ」
零美に導かれるまま、ソファーに腰を下ろした。コーヒーを持ってきた零美に「ありがとうございます」とお辞儀をする。
「崎本さんの気になることとは何でしょうか?」
「最近付き合い始めた彼との相性を知りたくて。あまり自分の話をしない人なので、どんな人なのか知りたいなというのもあります」
「わかりました」
零美は二人の命式を出して、テーブルの上に並べた。
「これがお二人の命式です。相性は良いと思いますよ」
「そうですか。良かったです」
「彼はナイーブで繊細ですね。傷つきやすいという感じです」
「確かに、線が細くてひょろっとしていて、頼りない感じがします」
「俳優をやっていらっしゃるとのことで、まさに表現者って感じです。天才肌と言うか、役が乗り移ったように演じるんじゃないですか?」
「そうですね。本当に、いろんな人を演じることが出来るので、この人凄いなって思います」
「彼は自我が強くないので、すごく疲れると思いますね」
「見ていて大丈夫かなって思う時もあります」
「そうですね。あなたは強い人ですから、あなたが彼を守ってあげる感じですね」
「なるほど」
「彼はふわっと浮いている感じなので、あなたがしっかりと地に足をつけて、彼が飛んでいかないように掴まえてあげてほしいです」
「わかりました」
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零美の説明で、だいたい徳郎のことがわかってきた。彼に演技の才能があることはわかる。その才能を開花させることに、少しでも力になりたい。ゆきはそう思った。
同棲を始めたアパートに戻ると、徳郎が壁に向かってうなだれていた。
「どうしたの?」
「僕には才能がない……」
すっかり自信を失くしている。いつもとは違うように感じた。
「そんなことないよ。さっき、よく当たる占いの先生が、徳郎さんは才能があるって言ってたよ」
「いや、そんなことない。……本当に僕は……」
ゆきは、肩を震わせている徳郎の背中から、自分の両手を回して抱きしめた。
「私が居るから大丈夫。心配しないで」
「……本当に、いつまでも一緒に居てくれる?」
「うん。ずっと一緒に居るよ」
「本当? 信じて良いの?」
「もちろん」
「ありがとう……」
徳郎はそう呟き、ポケットから手錠を取り出した。そして、自分の手とゆきの手を繋いだ。
「えっ? 何これ?」
「一緒に死んでくれ」
そう言って、徳郎は側にあったガソリンを頭から被った。冷たいガソリンがゆきの顔にもかかる。
「えっ? うそ? やだ! やめて!」
「これで、僕と君は永遠に一緒だ」
ポケットからライターを取り出した徳郎は、覚悟を決めて火をつけた。
「ぎゃーーーー!」
一瞬で火だるまになった徳郎。「いやーーーー!」と叫びながら、ゆきは固まったまま動かない徳郎を引きずって外に飛び出した。
「助けてーーーー! 誰かーーーー! 助けてーーーーー!」
その声を聞いた住人たちが、ゆきの元に集まってきた。「救急車!」「消火器!」誰かが叫ぶ。自分の部屋から消火器を持ってきた住人たちが、一斉に消火剤を噴射した。
しばらくして、救急車が到着。徳郎はすでに息をしていなかった。重度の火傷を負ったゆきが、救急車で運ばれて行く。
騒然とする戸外とは対照的に、二人の部屋は静まり返っていた。部屋の片隅には、一冊の本が置いてあった。それは、才能が枯渇して無理心中を選ぶ主人公を、徳郎が演じる舞台の台本だった。
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