第93話「支配的な夫」

 都内のとあるマンションの一室。固く閉ざされたカーテンの内側では、毎晩のように暴力が繰り返されていた。

 一流企業に勤める金沢圭太は、家族以外の人の前では評判の良い父親である。いつも笑顔で、挨拶も欠かさない。しかし、妻と小学四年の息子の前では、恐るべき暴君に変身する。

 頭の良い彼は、他人から気づかれないように、体に暴力の痕跡を残さなかった。その代わり、言葉の暴力で精神的に追い詰めていくのだ。

 妻の明恵が何気なく言った言葉や行動に対し、執拗に言葉で攻めてくる。時には大声を出し、時には低く冷静な声で。

 実は圭太には悪意がない。「間違っていることを正してやる」寧ろ、感謝してほしいと思っているぐらいだ。だからこそ質が悪い。

「君はどうして、こんな簡単なことが出来ないんだ!」
「す、すいません」

 夕食のおかずの味付けが、圭太の好みと違っていたことが原因だった。フローリングの床に正座をして謝る明恵を見下ろしながら、明恵の間違いを正していく。「これは、君の何事に対してもいい加減な態度で取り組むことが、起因しているのだよ」と。

 低く冷静な口調で始まった説教は、次第にエスカレートして音量が増していく。息子の裕太は、父の話が続く間は食卓の席に着いたまま、食べることが許されない。ただじっと、姿勢を正して前を向いていなければならなかった。

 そして最後に、「理解したのか!」と目を吊り上げて叫んだ後、頭を床に擦りつけて「申し訳ありませんでした」と謝る明恵の前を素通りし、ごみ箱にそのおかずを捨てて「外で食べてくる」と言って家を出た。

 圭太が出掛けたのを確認した明恵は、裕太を抱きしめて泣いた。「裕ちゃん、ごめんね」と、何度も何度も泣きながら謝った。そして裕太も、「うわーーーーん。お母さーーん!」と、母にしがみついて泣いた。

 圭太が大阪に出張で戻らない金曜日の午後に、明恵は零美の店を訪れた。

「電話で予約しました、金沢明恵です」
「お待ちしていました。どうぞ」

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 専業主婦のため、凍るような自宅にいることが多い明恵は、穏やかな笑顔で迎えてくれた零美を見ただけで心が癒された。人は何も言わなくても、笑顔だけで充分なのだ。

 明恵の心の温度が、零美の胸に伝わってくる。まるで美しい雪女のように、触れるもの全てを凍らせてしまうような、そんな感じにさえ思えた。

 温かいココアを用意し、彼女に出した。「ありがとうございます」と礼を言い、明恵はカップを両手で包み込んだ。「温かい……」ほんの少し、彼女の口元が緩んだように見えた。

「今日は、どのようなご相談ですか?」
「はい。夫のことで相談があります」
「では、ご主人とあなたの、お名前と生年月日を教えていただけますか?」

 零美は、圭太と明恵の命式を出してテーブルの上に置いた。

「ご主人は、かなり強気な方ですね」
「はい」
「自分が正しいと思っていて、悪く言えば周りを見下すところがあります」
「そうです」

 持っていたハンカチを握りしめる明恵。

「まあ、それだけ頭も良いし能力が高いので、しょうがないと言えばしょうがないのですが」
「そうですね。人並み以上の生活が出来るのも、あの人のお陰ですから」

 伏し目がちに話す明恵。夫とは対照的に、自信がないように見える。理論理屈で論破されてしまい、反論すら許されないのだろう。零美は明恵が哀れに思えた。

「ご主人と暮らすのは大変じゃないですか?」
「ええ……。でも、もし別れたとしても、私一人では子どもを育てていけませんから。それに、夫の実家は資産家なので、息子に相続させてあげたいんです」
「それで、自分が我慢すれば良いと……」
「そういうことです」

 もう、全て悟っているかのような言い方だった。

「夫の性格は、ずっとこのままですよね?」
「そうですねえ。完璧主義で真面目なご主人は、奥様も息子さんも自分の一部と考えていますから、もし別れないのでしたら、今後も従っていくしかないと思います」
「わかっています。それが私の生きる道ですから」

 顔を上げて背筋を伸ばした明恵の顔から、少し笑みがこぼれた。自分の境遇を知っている人がいる。それだけで彼女は満足なのだ。

 深々とお辞儀をして帰っていく明恵を、零美は見送った。結局、彼女を苦しみから解放してあげることは出来ないが、幸せになってほしいと心から願った。

 翌日の夕方、圭太が大阪から帰ってきた。明恵は、圭太の好物のおかずを用意していたのだが、やはり味付けが気に入らないようだった。

 床に正座した明恵は、うなだれたまま圭太の話を聞いていた。時間が過ぎれば嵐は去る。それまではひたすら待つだけ。そんな心境だった。

 すると突然、「うっ」という小さな声が聞こえて、圭太が床に倒れた。背中には、まな板の上に置いていた包丁が刺さっていた。

 刺したのは裕太だった。小さく震える裕太を、明恵は強く抱きしめた。自分は納得出来ても、裕太は納得など出来なかったのだ。「裕太、ごめん……」裕太を抱きながら明恵は泣いた。

「うううっ……」と小さく呻いている圭太。明恵はそれを確認し、刺さった包丁をぐっと押し込んだ。血まみれの包丁は心臓に達し、圭太は絶命した。

「裕太、お父さんを刺したのはお母さんよ。お父さんを殺したのはお母さんなの。裕太は何もしていないの。わかったわね?」

 裕太は何も言わず、ただ黙って頷いた。一人息子の圭太が死ねば、義父の財産は裕太のものになる。だから私が殺したのだ。明恵は自分にそう言い聞かせた。

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投稿日:2019年2月13日 更新日:

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