今日やるべき仕事が早めに終わった池迫治美は、同僚や上司に見つからないように気をつけながら、私的な作業をしていた。
職場のパソコンを使っているので気が引けるのだが、少しぐらいは良いだろう。自分だって、そこそこ会社の役に立っているのだからと自己弁護をしながら、治美はツイッターにログインした。
最近始めたツイッターの面白さにハマってしまった治美は、自宅はもちろん、行き帰りの電車の中でもスマートフォンは手放せない。
四十も近い三十七歳、最近は目がチカチカする。ドライアイ、いわゆるスマホ老眼と言われるものだろう。そのため、パソコンが使える時は、パソコンでツイッターをしている。
ツイッターでの名前は「ハル」。恥ずかしがり屋なので、ツイートはしないでもっぱら見るだけ。特に好きなのは、猫や動物の写真や動画。それと、心に響いた言葉には、いいねやリツーイトをしている。
そんな治美だったが、自分でもびっくりするようなことを始めた。特定の人と、ダイレクトメッセージでやりとりをしているのだ。
三十七年間、一度も両想いになったことはない。好きな人が出来ても、一方的に片思いをするだけで、告白する勇気はない。
そんな治美が大胆になれたのは、インターネットは匿名性が高いから。本名や顔を晒す必要はない。アイコンにしても、自分の好きな画像を使えるのが嬉しい。
治美は、お気に入りの絵師に可愛い女の子の絵を描いてもらった。実際の自分とはかなりかけ離れてはいるが、心は永遠の十代なのである。
きっかけは、趣味のアニメだった。その人が、自分の好きなキャラクターを熱心に呟いていたので、フォローして、いいねやリツイートを繰り返していたところ、相手からダイレクトメールが届いた。
いつもなら、知らない人からのダイレクトメールは無視していたのだが、趣味が同じだったこともあり、送られてきたことが素直に嬉しかった。
初めのうちは、お互いに相手の反応を探りながら、恐る恐るやりとりをしていたのだが、慣れてきてからは、親しい友だちのような関係になっていった。
お互いに、顔も年齢も知らないが、言葉遣いや文面などから勝手にイメージを膨らませていった。たぶん、自分と同じくらいの年齢ではないかと。
占いが好きな治美は、彼との相性を占ってもらおうと思い、会社の同僚が一度観てもらったという零美の店にやってきた。
「こんにちは」
「どうも。お待ちしておりました。どうぞ」
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席に通されてコーヒーを出された治美は、「ありがとうございます」とお辞儀をした。
「池迫さんの気になることは何ですか?」
「実は、ある方との相性を観てもらいたくて」
「では、あなたとその方の生年月日を教えていただけますか?」
彼の誕生日は、プロフィールに記載されているが、生まれ年まではわからなかった。
「誕生日はわかるんですが、何年生まれかまではわからないんです」
「そうですか。それではなかなか判断が出来ませんね。では、その方のお写真などがあれば見せていただけませんか?」
「……実は、ツイッターで知り合った人なので、本名も顔も知らないんです」
治美は困った顔をしながら、「それでも何とかなりませんかね」という顔をしている。そこで零美は、占い師である自分が判断できる材料が無い時に、必ず相談者に聞くことを治美に尋ねた。
「当事者であるあなたが、インスピレーションや直感で感じたことが、かなり信頼できるものだと私は考えています。どうですか、その方とご自分は、相性が良さそうだと思いますか? それとも、あまり良くないなあと思いますか?」
そう聞かれた治美は、自分の胸に尋ねてみた。趣味が合うし、話していて楽しい。相性が悪いとは思えないし、出来れば良い相性であってほしいと願っている。
「私はどちらかと言うと、相性は良い気がするんです」
「そうですか。では、あなたの直感が正しいと、私は思います」
そう言って微笑む零美の顔を見て、治美の確信は高まった。
「実は、彼も東京に住んでいまして、会ってみませんかというお誘いを受けたんですけど、先生はどう思いますか?」
「会ってみる、ということですね?」
「はい」
「池迫さんは、会ってみたいと思っていますよね」
「……はい」
「じゃあ、会ってみたら良いと思います」
零美の言葉に勇気をもらい、治美は彼に会うことにした。そして一週間後の日曜日、治美は高まる胸を押さえ、彼との待ち合わせ場所にやってきた。
「あ、あの……もしかして、ジュンさん、ですか?」
それらしき男性の後姿に声をかけた。すると「えっ?」と言って、彼が後ろを振り返った。
「……もしかして、ハルさん?」
「はい」
短髪でさわやかな顔。思っていたより優しそうな感じだった。しかし、治美はすぐに、彼の秘密を見破った。それは、正反対ではあるが、自分と同じ悩みの持ち主だったからだ。
「ジュンさんはもしかして……女性、ですよね?」
短い髪に白いTシャツ、ズボンはジーパンを履いていて、男性のような恰好をしているが、声は明らかに女性である。胸は、サラシのようなもので潰しているのだろうか。
彼は恥ずかしそうに下を向いて頷いた。でも、彼も治美の秘密に気づいたようだった。何と言っても、声が不自然なのだから。
「実は私も……ほら」
治美は、首に巻いていたスカーフを外して、喉仏を見せた。いつかは完全な女性の体になりたいと思っている治美なのだが、まだ男の体のままだ。
「私、工事はまだなんですけど、ジュンさんは?」
「僕もまだ、女のままです」
「じゃあ、もし二人が一緒になったら、子どもを作ることが出来ますね」
「ははは、そういうことになりますね」
身長百七十八センチの治美と、おそらく治美より二十センチは低いジュン。周りの人たちにはおかしなカップルに見えていただろうが、治美とジュンはお互いに、ある意味理想の相手に思えたのである。
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