早朝から、空港にはたくさんの人が集まっていた。スーツ姿のビジネスマン、小さな子ども連れの家族たち、Tシャツにダメージジーンズを穿いた若者。その群衆の中で、竹内瑠璃と須藤真也は互いを見つめ合っていた。
ニューヨークに行って、本場のダンスを勉強したいと言い出した真也。二十歳から付き合い始めた真也と瑠璃は、同い年の二十五歳。ダンサーになりたい真也と歌手になりたい瑠璃。彼の夢を応援したい気持ちはあるが、離れ離れになるのが辛い瑠璃は、素直に応援出来ない。
「たった一年間だよ」
「一年って、結構長いよ」
瑠璃は、真也の胸に顔を埋めた。真也は、瑠璃の頭を優しく撫でた。
「瑠璃、日本に戻ったら、君に伝えたいことがあるんだ」
「えっ?」
それはもしかして、結婚してくれってこと、と瑠璃は聞きたかったのだが、もし違っていたら恥ずかしい。でも、きっとそうに違いない。だって五年もつきあっているんだもの。瑠璃は、そんな思いを巡らせていた。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。体に気をつけてね。着いたらメールしてね。それから……」
真也は、瑠璃が話し終わらないうちに唇を重ねた。大勢の人が注目したが、二人の目には誰も映っていなかった。
「加賀美零美先生でいらっしゃいますか?」
「はい。そうですけども……あなたは?」
「私は、守屋と言う者です。須藤真也から伝言を預かってきました」
「伝言、ですか?」
「はい」
零美は、守屋という男も須藤真也のことも知らなかった。突然現れた守屋。彼の魂は、肉体を失っていた。
「須藤自身は、直接あなたとコンタクトを取ることが出来ないようです。何度か挑戦したようですが。それで、私が代わりにあなたの元にやってきました」
「そうですか……」
零美自身、同じ亡くなった人なのに、どうして視える人と視えない人がいるのかわからない。しかし、誰彼構わず訪ねてきてもらっても困る。このぐらいの方が良いのかも知れない。そのように自分で解釈していた。
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「須藤は私の友人で、彼も私もニューヨークでダンスの勉強をしていました。ところが、つい先日、二人でドライブをしていたところ、誤って崖から海に転落してしまったのです。目撃者もいないので、私たちが死んでしまったことは誰も知らないでしょう」
「そうですか。それはお気の毒に……」
日本から遠く離れた所で、誰にも知られずに海に沈んでいるなんて。彼らのことを思うと、零美は胸が締めつけられるようだった。
「両親もいない私のことはどうでも良いのですが、須藤には恋人がいます。来月には帰ってくるだろうと楽しみにしている彼女に、彼のことを知らせてほしいのです」
「わかりました。でも、彼女の連絡先がわかりませんが」
「彼女の電話番号と、彼からの伝言を伝えますので、紙に書いてもらえませんか?」
「はい」
零美は、守屋の言う通りに書き留めた。その後、守屋は何度もお礼を言い、連絡係としての役目を終えて静かに消えていった。
そして今度は、零美が連絡係としての責務を果たす番だ。守屋から聞いた須藤の恋人に電話をかけてみる。
「もしもし、竹内瑠璃さんでいらっしゃいますか?」
「はい。竹内ですけど、どちら様ですか?」
「私は、占いのお店をしている加賀美零美と言います。ある人から伝言を頼まれまして、竹内さんに電話をしたのです」
「ある人、とは?」
「あなたの恋人の須藤真也さんです」
「えっ? 真也から?」
「はい。実は私、亡くなった方と話が出来るのですが、先ほど、守屋さんと言う方が訪ねてこられたのです」
「守屋さんって、ニューヨークの?」
「はい。須藤さんのお友だちだそうで」
「私も、真也から守屋さんのことは聞いています」
「その守屋さんと真也さんが、つい先日、車でドライブ中に、誤って崖から海に転落したそうなのです」
「えっ? 崖から海に?」
「はい。目撃者もいないとのことで、遺体もすぐには見つからないだろうと。それで、須藤さんがあなたに事故のことを知らせたいと。でも、須藤さんは私とコンタクトを取れなかったそうで、守屋さんに伝言を頼んだのです」
「伝言って……彼は何を頼んだんですか?」
「帰ったら結婚しようって言いたかったけど、ごめん。もう君には会えない。僕のことは忘れて、新しい人を見つけてくれとのことでした」
「ああ……」
真也からのメッセージを聞いた瑠璃は、そのまま床に崩れ落ちた。結婚しよう、やっと聞けたその言葉。だけどもう、それが叶うことはない。
「わざわざ……ありがとうございました」
そう言って、瑠璃は電話を切った。一年前まで真也と一緒に過ごした部屋で、瑠璃は大声を上げて泣いた。声を枯らして泣き続ける彼女の頭を、肉体から抜け出した真也の手が優しく撫でていた。
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