ファッション業界に彗星の如く現れ、今や時代の寵児となった泉川弘。年商1000億円ほどの巨大グループの頂点に君臨している。
そんな彼がこだわるのは、いかに効率的に生産するか。一日は二十四時間、全ての人に等しく与えられているが、その二十四時間をいかに価値あるものにするかということ。
「君は今、どんな生産的生活をしているのか?」それが彼の口癖である。一つ一つの行動を生産的に選択しない限り、無駄ばかりが消費されてしまう。それはその人にとって不利益であり、マイナスにしかならない。
社員一人一人に、生産的生活を求めている。それが会社全体の発展につながり、ひいては日本の発展、世界へと広がっていくのだと。
彼の周りの人間関係においても、常に取捨選択の連続だった。自分にとって損か得か。あるいは会社にとって損か得か。それによって、人間関係を整理していく。
彼は、日本人特有の義理人情とは無縁だった。不必要な人間は容赦なく切り捨てる。その判断基準は、彼独特のものだった。
メリットとデメリットを天秤にかけ、少しでもメリットが優位ならば良しとする。例えば、ある飛びぬけた才能を持っていれば、たとえ他のことが出来なかったとしても構わない。その人を生かすために、必要な人材を補充すれば良いと考える。
そのように、非情なほどの合理主義者の彼なのだが、人生の中でどうしても納得できないことがあった。それは彼の妻、陽子のことだった。
泉川の父親は、親から受け継いだ小さなレストランを一大チェーン店にまで発展させた、経済界でも有名な事業家である。次男の彼は、父親の遺産を前借りして会社を興し、今では父親以上の成功者になった。
陽子の実家は、エネルギー関連の会社を全国的に持っており、出身県における長者番付では常に上位にランクインするほどである。大きな屋敷には数人の家政婦が住み込み、陽子はお嬢様として何不自由ない生活をしてきた。
泉川と結婚した今でも、父親の会社の取締役として、株式と月に数十万円の収入を得ている。当然、値札も見ないで買い物をし、値札をつけたままの洋服やブランド品は倉庫にいくつも放置されたままだ。
泉川個人の会社名義で自宅ビルを所有しているが、最上階とその下の階を家族で使い、さらにその下には家政婦や運転手が住んでいる。
料理、洗濯、掃除などの家事は全て家政婦任せで、陽子は全く何もしない。陽子専属の運転手を付き人のように使い、ショッピングやエステに通う日々だ。
そんな妻を見ていて、泉川はいつも疑問に思っていた。彼女は果たして、生産性があるのか、ということだ。
確かに結婚する時は、陽子の実家の財力や人脈を計算に入れていた。それほど美人ではないのだが、言うほど不細工でもない。足りないところは服や装飾品が引き立ててくれる。
彼女が仕事に関わることはないし、料理だって腕の良い家政婦がいる。ただ、妻がいれば、仕事の人間関係で親密になれるということが大きかったのだ。
しかし、今や泉川は、欲しいものは何でも手に入れられる状態になった。三十を過ぎて肌荒れも見えてきた彼女より、若くて美しい女性はすぐにでも手に入るのである。
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それなのに、どうしてお前は結婚生活を続けているのか。それが、泉川が自分に問いかけたい一番の疑問だった。
その答えを得るべく、彼は零美の店にやってきた。占いに関して、それほど興味があったわけではないが、尊敬する取引先の社長から「是非行ってみたら」と言われたことがきっかけだった。
先入観を持たれるのも嫌なので、カジュアルな服装で、仕事も自営業といった感じで伝えた。席に通され、コーヒーを出されて軽くお辞儀をして話を切り出した。
「先生、私の仕事は何だと思いますか?」
「そうですねえ……」
名前を言うと正体がわかるかと思い、川田徹という偽名にしていた。名前は知られていても、顔を知る人は少ないだろう。そう思ってのことだ。
「すごくやり手の経営者の方だと思います。おそらく、かなり大きな会社ではないでしょうか?」
なかなか鋭い。やはり、あの社長が勧めるだけはある。泉川は少し緊張してきた。
「会社名は言えませんが、おっしゃる通り、一応大きな会社として知られてはいます」
「そうでしょうね。体から発するエネルギーが強いですから」
「そうなんですか」
「はい。びんびんと伝わってきます」
そう言われて、少し嬉しくなった。今まで、いろいろな修羅場をくぐり抜けてきた自負があったからだ。この時点で、かなり零美のことを信用し始めていた。
「それは光栄です。実は今日は、私と妻のことを観てもらいたいのですが」
「わかりました。では、お二人の生年月日を教えていただけますか?」
零美は泉川の言われた通りに入力し、命式を彼の前に置いた。
「妻は、どうですか?」
「奥様は、財運が強いことと、基本的に強運の持ち主です」
「そんなに凄いんですか?」
「はい。あなたが成功できたのは、奥様のお陰と言っても過言ではありません」
「えっ?」
零美の言葉は、あまりにも予想外の言葉だった。現在の成功は、自分自身の努力のお陰だと信じてきたのに、それが妻のお陰だったとは。
「それは本当ですか?」
「はい。確かにあなたにも財運はあり、運も人並み以上に強いものがありますが、奥様の比ではありません」
「そうですか……。実は、妻と別れようかとも考えていたのですが、それはやめた方が良いということなんですね?」
「はい。別れない方が得策です。別れるのは、賢明な判断ではありません」
「……わかりました」
言葉に力を込め、真剣な表情の零美を見て、正しいことを言っているように思えた。この人の言う通りにしよう。泉川はそう思った。
深々とお辞儀をして、泉川は店を出た。自宅に戻ると、陽子は煎餅をぱりぱりと音を立てながら食べていた。口をもごもごさせながら「お帰り」と言われ、少しむっとしたが「ただいま」と返事をして書斎に入った。
おもむろにパソコンを立ち上げると、泉川はあるファイルを開いた。それは、整理すべき人間を書き連ねたものだった。
常にボーダーラインぎりぎりにあった陽子の名前。しばらく腕組みをして考えた後、意を決した泉川は、静かに陽子の名前をリストから消した。
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