いつかの花火大会

 一日の仕事を終え、通い慣れた道を車で走っていると、微かに「ドン!」という音が聞こえた。少し遅れて遠くの空が光る。「花火か」ハンドルを握りながら一言呟いた。昨年はあいにくの雨で流れてしまったが、今年は無事に開催されたようだ。仕事でミスをして落ち込んでいた僕を、「元気出せよ」と励ますかのような打ち上げ花火が嬉しかった。

 車庫に車を停め、「ただいま」と玄関のドアを開ける。いつもなら賑やかな声が聞こえてくるのに、今日に限ってしんと静まりかえっている。リビングに入ると、テーブルの上に準備された夕食と置手紙が見えた。

 「けんちゃんとさっちゃん連れて、花火に行ってくるね」

 妻の美穂の字だ。そう言えば、今朝の出勤前に言っていた事を思い出した。数日前から今日の天気を気にしていた子どもたちの笑顔が浮かぶ。「良かったな」ぼそっと独り言が零れた。少しだけにやけ顔になった僕は、夕食の前に風呂に入る事にした。

 今日の仕事先はタバコの臭いがきつかった。気管支が弱い僕は、どうもタバコが苦手だった。でも、お得意様の前でそんな事は言えない。顔を引きつらせながら、息を止めて仕事をする。その場所に長い時間いたせいで、髪の毛に臭いがついてしまった。とにかく、この臭いを早くとりたい、それだけだった。

 髪を洗ってさっぱりとした気分になり、ゆっくりと湯船に浸かる。「あー……」思わず声が漏れる。湯船の端に頭を置いて、天井を見上げてみる。「花火と言えば……」そう呟いて、真っ暗な夜空に咲く打ち上げ花火を想像すると、過ぎた日の苦い思い出が蘇ってきた。
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 「今度の土曜日、花火観に行こうよ」

 電話越しに美奈子の声が響く。彼女の声を聞くのは一か月ぶりだ。些細な言葉の行き違いで大喧嘩してしまい、腹を立てた僕はそのまま連絡もしないでいた。この電話は仲直りの電話だったのだろう。気が収まらない僕は沈黙の後にこう言った。

「ごめん、仕事だから……」

 毎年七月の最終土曜日に開催される花火大会。仕事で車を走らせながらガラス越しに見た事はあるが、間近で見た事はなかった。今思えば、あの時に一緒に行けば良かった。仕事帰りでも充分間に合ったのに……。

 美奈子とは結婚するつもりだった。彼女もそのつもりで、僕のプロポーズを待っていたようだ。大きな瞳が印象的な可愛らしい女の子だった。しかし、外見の可愛らしさとは裏腹に、男勝りの性格をしていた。「男になんか負けるか」という気持ちが伝わってくる。年下のくせに強気で、自分が悪くても謝らない。

 どうも苦手な性格なのに、時折見せる優しさにころっといってしまう。顔の可愛らしさも相まって、腹が立つのに許してしまう僕がいた。でも、あの頃はどうしても許せない事があって、「こんなに傷ついているんだよ」と知らせたくて、わざと断ったのである。

 その電話があってから二週間後、彼女から「もう別れましょう」と電話がきた。別れるつもりはなかった僕は「ま、待って、会って話をしよう」と言い、二人の思い出が詰まった場所で会う約束をした。

 待ち合わせの喫茶店で待っていると、彼女が下を向いたまま現れて席についた。「何、飲む?」と聞くと「紅茶……」と答えたので、店員を呼んで注文をした。下を向いたまま黙っている彼女を見ながら、僕はコーヒーをブラックのまま飲む。「苦い」そう思った。

 紅茶が届いても、彼女は顔を上げようとしない。長い沈黙に耐えられなくなった僕は「あのさ……」と話を切り出した。「僕たち、どうして別れないといけないのかな?」質問を投げかけても返事はない。「僕が悪かったと思う、ごめん」頭を下げて謝るが、彼女の反応はない。

 僕は思わず語気を強めて「何か理由を言ってくれないとわからないよ」と言ってしまった。彼女はびくっと肩を震わせた後、バッグの中からハンカチを取り出して目に当てた。ハンカチの隙間から一筋の涙が零れた。「ごめん……」僕は謝って、コーヒーを口にした。

 結局、彼女は何も言わないまま、二十分くらい経った後に「じゃあ、元気でね」と言って席を立った。僕は慌てて会計を済ませて彼女を追いかける。僕たちがいたテーブルには、飲みかけのコーヒーと手つかずの紅茶が残されていた。

 すぐ横の駅に入り、改札を抜けようとする彼女。手を伸ばせば掴めたのに、僕には勇気がなかった。改札を抜けて振り返った彼女は、笑顔もなく僕を見つめた。僕は手を上げて「元気でね」と声をかけるのが精一杯だった。頭を下げて振り返った彼女は、人混みの中に消えていった。僕はしばらく、その場を離れる事が出来なかった。

 遠い日の思い出に感情が高まり、湯船でお湯に浸かったまま、僕の目から涙が溢れていた。きっと誰かが見ていたら、汗なのか涙なのかわからなかっただろう。僕はそのまま頭ごとお湯につかり、ぶくぶくぶくと泡を立てた。そして勢いよく立ち上がって、シャワーを浴びて風呂場を出た。

 冷蔵庫から缶ビールを出し、乾いた喉に勢いよく流し込む。ごくごくと飲んだ後、「はあーーーー!」と声を出した。その時、スマートフォンの着信音が鳴った。僕はビールをテーブルに置き、スマートフォンを開く。

 「花火、綺麗でしょ!」という文字と共に、花火を背景にした三人の顔が送られてきた。僕は思わずはにかんだ。どうしようもなく、妻と子どもたちが愛おしくなった。「君たちの方がもっと綺麗だよ!」と打ち込み、送信する。すぐに妻のお気に入りのスタンプが返ってきた。「この人で良かった」僕は一人で呟いた。

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投稿日:2019年3月22日 更新日:

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