芥川龍之介先生の書いた小説「一番気乗のする時」について考えてみたいと思います。このお話を書いたのは大正6年ですから、25歳の時でしょうか。
冒頭で「僕は冬が好きだから、11月・12月が好きだ」と書いています。その理由として、11月末から12月初めの頃、夜遅くに家に帰ってくると、何とも知れない物の匂いが立ち込めているからだと。それが、落ち葉の匂いなのか霧の匂いなのか、花が枯れる匂いなのか果実の腐る匂いなのかはわからない。だけど良い匂いがするそうなんです。
朝起きてみると、木々の葉っぱが落ちたせいで明るく感じます。そこに、百舌鳥(もず)や鵯(ひよどり)、鶺鴒(せきれい)などの鳥がやってきます。夏には白鷺(しらさぎ)が空を飛びますが、それがなくても冬も充分楽しめるそうです。
年末が近づいてくると、町は賑やかになってきます。そう言う時は、暗く寂しい町が余計に目について良いと言います。「須田町の通りが、非常に賑(にぎや)か」と書いていますが、現在で言えば東京都千代田区神田須田町になります。現在の万世橋周辺は、江戸時代から「中山道(なかせんどう)」など、8つの道が集まる交通の要衝で、明治後期には路面電車が開通、万世橋駅も開業して東京有数の繁華街でした。
「梶町青物市場(かじちょう・あおものいちば)の方へ曲がると暗くて静か。そういう所を歩いていると「鍋焼」とか「火事」などの俳句の季語を思い出す。門松が立っているような町を歩いていると、久保田万太郎の小説の中を歩いているようで気持ちが良い」と書いています。人で賑わう場所よりも、暗くて静かな場所の方が心が落ち着いて気持ち良いのはわかる気がします。
また、京都の12月についても書いています。京都に滞在している時に時雨(しぐれ)に遭(あ)いました。時雨と言いますのは、秋の末から冬の初めにかけてぱらぱらと降る「通り雨」の事を言います。東の空が赤く染まる「朝焼け」から、急に時雨れてきたので、それがとても風流だったのでしょう。
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奈良では、春日大社で時雨に遭いました。その時雨が晴れるのを待っている間に、神楽(かぐら)をやっていました。琴などの楽器を鳴らし、緋色(ひいろ)の袴をはいた巫女が舞う姿がとても優美でした。当時の春日大社はまだ修復がされておらず、全体が古ぼけて汚かったから、それが更に良かったんだと。芥川先生は、明るいとか賑やかよりも、暗いとか静かな雰囲気を好まれる方なんですね。
この頃、横須賀の海軍機関学校に勤めるようになり、鎌倉に住むようになった芥川先生は、鎌倉の冬についても話しています。夏には避暑地として観光客で賑わう鎌倉も、冬は人が少なくて非常に良い。そして、鎌倉を歩いている西洋人を見て、日本人よりも彼らの方が冬は高等であると言います。毛皮のコートにあごを埋(うず)めても、日本人は西洋人のように格好良く見えないからです。
そして、小説を書く上では、夏よりも寒い冬の方が良いと言います。火鉢にあたりながらぼんやりと考え事をするのが良いんでしょうね。雑誌の新年号の原稿は、11月から12月の初めくらいまでかかります。他の人が「寒くて大変だろう」と気にしてくれるそうですが、芥川先生本人は、書き出して脂(あぶら)が乗れば、火鉢の事も忘れてしまうほど熱中するようです。
しかも冬の間は、襖(ふすま)や障子を閉め切ってしまうので、アイディアや感性が外に逃げ出さない気がして安心するから、筆が進むそうです。でも、筆が進むからと言って、傑作が書けるかどうかはわからない。そんなオチをつける所もまた、芥川先生らしくて面白いですね。
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