卑弥呼の部屋

 朝焼けが、東の空を紅く染める頃、閑散としていた広場が賑わい始める。年老いた者から、母親に手を繋がれて眠い目をこする幼子まで、その地に住む全ての人々が一堂に会している。彼らが歩を進める度に、乾いた大地は砂埃を立てる。思わずそれが目に入った幼子は、眠い事も相まって、更に不機嫌な様子を見せている。

 その瞬間、幾人かの長老たちが、鋭い眼光を幼子の母親に向ける。彼女は、申し訳なさそうに立ち上がり、むずかる幼子の手を引いて、集団の最後列に移動する。その光景は、この時間が彼らにとって、どれほど重要な時間であるかを明確に物語っている。

 喉が渇いて咳をする者が目立つ。じっとりと汗ばむ彼らの額。朝の早い時間から、じりじりと照らす太陽が恨めしい。長い間、この地には雨が降っていない。

 大陸から伝わった稲作の技術は、人々の暮らしを劇的に変化させた。狩猟で移動を繰り返した時代は終わり、自給自足で安定した食料の確保が可能となった事で、一か所に定住をするようになった。人々は助け合って集団で暮らし、集落を形成していった。

 より多くの食料を得るために、土地を求めて国同士の争いが起こる。男子を王とする事で争い合うのであれば、女性を王に立てて人々をまとめようと、協議して女王に選ばれたのが卑弥呼である。

 雨が降らなければ作物は作れない。代々、神の言葉を伝える特別な能力を備えた、巫女の家系に生まれた卑弥呼のお告げを、人々は固唾を飲んで待っていたのである。

 「卑弥呼様のおな~り~!」

 その声と共に、一同は姿勢を正して頭(こうべ)を垂(た)れた。閉ざされていた卑弥呼の部屋の扉が開き、二人の従者を連れて卑弥呼が姿を現した。綺麗に洗われた白装束に身を包み、長い黒髪を一つに束(たば)ね、上向きのまつ毛で彩られた茶色の瞳は遠くを見つめている。しばらくじっと前を見据えていた卑弥呼は、閉ざしていた口を開いた。

 「安心してください。皆さんが待ち望んでいる雨が、これから降り出します。天の神が、私たちの願いを聞き入れてくださいました」

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 その途端、大歓声が沸き起こった。大声で神を称える者、天を仰いで涙を流す者、隣り同士で抱き合う者、それぞれが思い思いの方法で喜びを表現する中、一人の若者が「卑弥呼様~!」と叫びながら駆け出した。「ありがとう! 卑弥呼様!」と歓喜の声を上げながら壇上に上がろうとする彼を、屈強な男たちが取り押さえる。

 するとまた、違う若者が飛び出してきた。我も我もと駆け寄る若者たち。危険を感じた護衛の者が「卑弥呼様、お部屋にお戻りください!」と叫ぶ。卑弥呼は従者と共に、倒れるように自室に戻って扉を閉めた。

 閉め切られた部屋の中は、外界とは違ってひんやりとした空気が漂っている。一年中氷で覆われた洞窟から採掘してきた大きな氷柱が、部屋の四隅に鎮座している。乾ききった外界とはまるで別世界のこの部屋は、国で唯一、卑弥呼のために用意されたものだ。

 「卑弥呼様、お疲れ様でした」

 冷たい飲み物が注がれた器は、しっとりと汗をかいているが、それを差し出す従者の男の額には、一つの汗も見られない。腰だけに薄い布を巻いて微笑む彼の鍛え抜かれた筋肉は、細い体にしっかりと陰影を刻んでいる。彼の他に数名の若い男の従者たちが部屋にいるが、目鼻立ちが整った眉目秀麗(びもくしゅうれい)な者ばかりだ。

 「さあさあ、卑弥呼も汗を流してきなさいな」

 部屋の奥で、若く筋肉質な男の胸にもたれながら、卑弥呼の母は微笑みかけた。卑弥呼は彼女に一礼した後、浴室へと向かう。羽織っていた白装束を脱いで、従者の若者に手渡すと、裸身のまま立つ。ほどよく濡らした柔らかい布で、二人の従者が卑弥呼の全身を湿らせていく。従者は、卑弥呼の大事な部分もためらう事なく、優しい手つきで拭いていく。心地良い感覚が卑弥呼の知覚を刺激する。

 沐浴(もくよく)を終えた卑弥呼は、裸身を包み隠す事なく、生まれたままの姿で母の前に現れた。その母もまた、裸身を隠してはいなかった。ありのままの姿で母の前に立つ卑弥呼の目からは、一滴(ひとしずく)の涙が零(こぼ)れていた。

 「お母様、卑弥呼もお母様のような体になりたかった……」

 悲し気な顔でそう呟(つぶや)く卑弥呼。母は立ち上がって、卑弥呼を優しく抱き寄せると、耳元に口を添えて優しく語り掛けた。

 「ごめんね、卑弥呼。お前を女として産んであげられなくて……。巫女の家系として神に仕えてきた我が一族の中で、お前だけが男として生まれてしまったけれど、巫女としての才能はお前が飛びぬけていた。だからお前を、私の後継者にするために女として育ててきた。これは一部の者だけが知る秘密であり、決して外に漏らしてはいけない。いいかい、卑弥呼。お前は女なのよ。だってお前は、体は男でも、心は女でしょ?」

 白く柔らかい細身の体に、男のものをつけている卑弥呼だが、内面は女以上に女らしい。母の言葉にしっかりと頷(うなず)き、男である事を封印する卑弥呼は、柔らかなベッドの上で待つ若い男の従者の隣に横たわる。その姿を、優しい笑みを湛(たた)えながら見つめる母。

 「雨だ!」

 部屋の外で誰かが叫んだ。卑弥呼の予言通り、空から雨が降ってきた。歓喜に湧く外の様子などお構いなく、額に薄っすらと汗を滲(にじ)ませながら、卑弥呼は恍惚(こうこつ)な表情を浮かべていた。

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