すぐにいなくなるあいつ

「あんたも知っての通り、翔平(しょうへい)ってさ、すぐいなくなるんだよ。子どもの頃からずっと変わんない。覚えてる? 小学校の時、同じクラスの子たちとかくれんぼした事あったじゃない。私が鬼でさ、早いうちにみんな見つけたのに、あいつだけが見つけられなくて。あんたも一緒に探してくれたよね。それで、もう帰ったんじゃないって誰かが言って、家に電話したらお母さんが出て、だいぶ前に帰ってきて布団で寝てるよって言われて。後であいつに聞いたら、びっくりするかと思ってさ、だって。

 中学ん時だってそう。私が告白して、付き合おうってなって、初デートで映画観に行ってさ。半分くらい観てから、ちょっとトイレって言って立ち上がって、映画が終わっても帰ってこないからあちこち探しまわってたら、ゲームセンターでゲームしてた。なんか映画がつまんないから出てきたんだって。

 あの頃は、携帯なんて持ってなかったから大変だったよ。とにかく昔っから、すぐどっか行く奴で有名だった。学校の授業抜けだしたり、部活の練習も抜けだしたり。結局、怒られて、もうしませんって言うんだけど、すぐやるんだよね。でもさ、なんか憎めない奴でさ、先生や部活の仲間から愛されてたんだ。そんなあいつを、私も好きだったんだけどね。

 あいつさ、頭は悪いけど、顔が良いんだよね。特に笑顔が良くてさ。だから結構モテてたよね。高校ん時なんか、他の学校の生徒からもバレンタインのチョコもらってたし。とにかくモテてた。だから、すぐ浮気しちゃうんだよね。でも、あいつの本性がわかるとみんな引くから、すぐに振られちゃってさ。結局、私んとこに戻ってくるわけよ。ごめんなさい、もうしませんって言ってね。

 あー、そんな事言いながら、またどうせ浮気するんだろうなって私は思うんだけどさ。あいつの笑顔見ると、ついつい許しちゃうんだよね。その繰り返しなんだってわかってるんだけど、最終的には私のところに戻ってきてくれたから、だから許せたんだ……。

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 だけど、今度ばっかりはもう、帰ってこない……。帰ってこれないところに行っちゃった、私を置いて……。ひどいと思わない? ずっと待ってきた私を置いて、一人で行っちゃうなんてさ……。遠い遠い、空の向こう……。私の手が届かないところ……。もう二度と帰ってこれないところに……。ねえ真澄(ますみ)、今から私の部屋に来て、お願い……」

 最後は涙声になって、大塚香奈(おおつかかな)の電話は切れた。香奈の声にただならぬ雰囲気を感じた光浦真澄(みつうらますみ)は、急いで着替えを済ませると、自転車で彼女のマンションに向かった。

 もう四月とは言え、夜の街は冷える。冷たい風を額に感じながら、真澄は考えを巡らせていた。遠い遠い、空の向こう、二度と帰ってこれないところってなんだろう? アメリカ? ヨーロッパ? それとも、アフリカ? でも、いくら遠くと言ったって、帰ってこようと思えば帰ってこれるではないか。

 月? あいつ、宇宙飛行士だったっけ? 地球の運命でも背負って、イスカンダルにでも行ったのか? それとも、地球を侵略しに来た宇宙人の母船に、片道切符で飛び込んでいったのか? まさか……ね。飛行機を操縦できるほど、頭が良い奴じゃないし。地球の運命を任されるほど、責任感のある奴じゃない。って事は……まさか?

 自転車を走らせる五分間、あれこれと考えているうちに香奈のマンションに着いた。部屋番号を押し、呼び出しボタンでオートロックを開けてもらうと、エレベーターで五階まで上がり、彼女の部屋のインターフォンを鳴らした。開錠の音と共にドアが開くと、能面のような顔をした香奈が立っていた。

「香奈……」

 親友の姿を一目見ただけで、全てを理解した真澄は、次の言葉が見つからない。表情を変えずに踵を返してリビングに向かう彼女の後を追うと、床に倒れて顔を横に向け、口から血を吐いている翔平の姿があった。彼の背中には、料理好きな香奈が愛用している包丁が刺さっている。一か所だけでなく、何か所も刺された跡がわかる背中が痛々しい。

 血まみれの両手をだらんと下げたまま、香奈は真澄にこう言った。

「ね、わかったでしょ? 昔っから、すぐにいなくなる奴だったけど、今まではちゃんと私のところに帰ってきてたんだ。でも、もう無理。帰ってこれないよね、これじゃあ……」

 はははと力なく笑う香奈の瞳から、一筋の涙が頬を伝う。そんな親友を黙って抱きしめる真澄の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。

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