事故物件のバイト

「よーし、東京に行ってビッグになってやる!」

 俺の名前は佐藤利男(さとうとしお)、二十歳。単調な田舎暮らしが嫌になり、東京にやってきた。高校を卒業して就職したけど、すぐに辞めて、アルバイトを転々とした。別にやりたい事はないけど、東京に行けば良い仕事が見つかるだろう、そんな軽い気持ちだった。

 とりあえず住む所を探そうと、不動産屋に入った。「いらっしゃいませ」銀縁眼鏡に七三分け、たぶん三十代くらいの高橋さんが笑顔で声をかけてきた。

「お部屋探しですか?」
「はい」
「ご予算は?」
「出来るだけ安く……」
「と言いますと?」
「出来れば、二万円代とか……」

 恐る恐る言ってみたが、そんな部屋があるはずない事はわかっている。「ありますよ」「えっ?」予想外の返答に声が裏返ってしまった。

「月二万円の部屋です」
「どうしてそんなに安いんですか?」
「事故物件ってご存知ですか?」
「事故物件?」
「前に住んでいらっしゃった方がその部屋で亡くなると、次に住む人はなんか嫌ですよね。でも、住む人がいないと大家さんが困りますから、出来るだけ綺麗にリフォームして、安くても良いから貸し出すんです」
「なるほど……」
「もしかして、霊感とかあります?」
「霊感、ですか?」
「亡くなった方の霊が視えるとか」
「いえいえ、そんなの見た事ありません。全くの鈍感なもので」

 頭をかいて笑うと、彼は意味深な笑みを浮かべてこう言った。

「ここだけの話なんですが、事故物件に一か月住んでもらうだけで、三十万円を差し上げますよ」
「えっ、住むだけで三十万? 本当ですか?」
「はい、本当です。実は、事故物件を取り扱う場合は、お客様に事前に説明しないといけないんですよ。でもそれは、前の住人が亡くなった場合の話なので、一か月でも他の方が住んでくれれば、その説明をする必要がなくなるんです」
「へー、そうなんですか……」
「いかがですか? 一か月そこに住むだけで三十万円、良い仕事だと思いませんか?」
「そうですね。じゃあやります、その仕事」

 そして俺は、高橋さんに連れられて事故物件の部屋にやってきた。

「どうです、綺麗なもんでしょ?」
「そうですね。本当にここで人が亡くなったんですか?」

 そこはフローリングのワンルームで、広さは十畳ほど。床も壁も綺麗で、トイレとお風呂は別、文句のつけようがない。

「床も壁も全部新しくしていますからね」
「本当にここに住むだけで三十万ですか?」
「そうです。良い仕事でしょ?」

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 やけにニコニコしている高橋さんに、気になっている事を聞いてみる。

「その、亡くなった方は、病気だったんですか?」
「いいえ」
「じゃあ……自殺?」
「いいえ」
「もしかして……他殺?」
「はい」

 やっぱり……。いくら霊感ゼロとは言え、殺人事件の部屋に住むのは気が重い。

「亡くなったのは三十歳の女性。犯人は夫でした。夫の浮気に腹を立てた奥さんが包丁を手にしたんですが、もみあっているうちに夫が刺してしまって。証拠隠滅のために奥さんの体を細かく切り刻んだらしいですよ」
「切り刻んだ?」
「怖いですよね。ほら、そこのお風呂場で」
「そうですか……」
「じゃあ、今日から一か月間、よろしくお願いします」

 鍵を渡しながら、満面の笑みを浮かべる高橋さんに、「やっぱりやめます」とは言えなかった。エアコン完備、カーテンもついているし、布団も用意してくれた。冷蔵庫、洗濯機、テレビまである。仕事が見つかるまで、貯金を切り崩すつもりだった俺にとって、この上なく良い話である事には違いない。とりあえず、一か月我慢しよう。

 夕食はコンビニ弁当で済ませた。風呂は……今日はやめておく。まあ、とりあえず、寝る事にしよう。初めての一人暮らし、静まり返った暗い部屋で寝れるかな?

 でも、切り刻むなんてひどいな。結構、血がドバっと出たのかな? 奥さん、どの辺で倒れたんだろ? まさか、今俺が寝ている、この辺り? 頭の中で、当時の状況が再現されそうで怖い。嫌だ嫌だ、もう寝よう。俺は布団を頭から被った。

 布団に入ってから、どのくらい時間が経っただろう。なかなか寝つけない。スマートフォンで時刻を確認する。夜中の十二時五十分だ。うーん、困った。とにかく寝よう。

 しばらくして、寝れそうだなとうとうとしていると、右手の小指に違和感が。「痛い!」何か嫌な感じがして飛び起きた。見ると、小指の根元から血が流れている。焦って周りを見渡し、テレビの横にあったティッシュで血を止めた。よく見ると、ボックスティッシュの横には何故か、救急箱があった。「あれ? 前からあったっけ?」と思ったが、とりあえず絆創膏を貼って包帯も巻いた。

 次の日の夜、やはり寝ていると急に痛みを感じ、見ると右手の薬指が切れている。そして次の日は中指、その次の日は人差し指……。十日経って、両手両足の全ての指が切れた時、俺はようやく理解した。十一日目、高橋さんに電話して部屋に来てもらい、包帯だらけの体を見せて、もうこの仕事を辞めたいと告げた。

「そうですか、やっぱりあなたでもダメでしたか。今日までご苦労様でした。三十万円は払えませんが、これは私からのほんの気持ちです」

 手渡された白い封筒の中には、二万円が入っていた。寂しそうにニッコリと笑う高橋さんの後ろで、長い髪を垂らしている青白い顔の女性が、口角を少し上げているのが見えた。俺は「ありがとうございました」と頭を下げ、足早に部屋を飛び出した。

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