「あーぁ」多少開いているとはいえ おちょぼ口から出たとは思えないあからさまなため息が聞こえた。「いい加減この箱新調してもらえないのかしら。窮屈よね?加え銚子は錆びてない?」長江銚子を持ち、気を引き締めなきゃと思いつつ口に出してしまった。「まぁね。でもお肌のひび割れとかないよう湿気を考えたら、素材としては桐箱がいいから今時文句も言えないのよ」三方を持つボスにたしなめられた。
いつもながら既婚者の落ち着きには敵わない。お歯黒で眉なしの面立ちの彼女の言葉は重みがある。本当は彼女が恐ろしく美形だという事実を知る人も少なくなった。口元の漆黒は、ホワイトニング以上の手間をかけなければその色が艶やかに見えないこともフッ素効果があることもおそらくは知られていないにちがいない。
最近では、私達は必要なく、シンプルにカップル婚で済ます。ひと頃は10段等もあったようだが7段まで飾る家庭はぐんと少なくなって久しい。雅楽隊の5人もジャーニーズジュニア顔負けだったのだが、ステージがなくなった。
私達3人が姫様お付きの優秀な管理職で、儀式を切り盛りしていること等知られていると思えない。平安の貴族階級が語り継がれている江戸時代はよかった。明治から昭和も穏やかさだったが、平成、令和までそんなことを期待してはいけない。厄介なお荷物としてリサイクルショップに並ぶ危機感さえある。
そういえば あの5人はどこだろう? 11歳から16歳までのミュージシャングループなのだ。去年は侍烏帽子(さむらいえぼし)がないと、謡い(うたい)の子が泣いていた。場を盛り上げる「はやし立てる」という意味がある囃子は、日本の伝統文化でユネスコ無形文化遺産。能楽のひとつで、拍子やリズムを取る音楽。
最近のテレビクイズ番組でもそんな問題はでない。「東大クイズ王はしっているのか?林先生!」と尋ねたくなる。リーダーの大太鼓の子は一文字口がその意志の強さを見せている。鼓打ち(つづみうち)の2人の子も 太鼓に付いたひも「調緒」を調整して音階を調節し、巧みな音色を出す。繊細で、まめなので固定ファンがついていた。
笛でメロディを奏で、「ヒシギ」という最高音を出すことが出来る能管奏者の子もスマイリーな表情で人気だったが皇室の在り方の見通しもなく、アマビエを無邪気にキーホルダーでぶら下げるご時世に「幽玄」の美しさを語り合える女性に出逢えるだろうか。あの子は少しオタク気味なのだ。
心配なのはボーカルの子。1番右の「謡い(うたい)」は優しすぎるのだ。扇を上げ下げしながら人目を気にしすぎる。魅惑の声音なのだけれど。「殿様と姫様は婚儀だけで、家庭の厄払いや嫁入り祈願に奉られて、その後のラヴリータイムはどうしているの?」と無邪気に聞いてしまった。
宮廷で警護する役割の武官随身(ぶかんずいじん)つまりはSP(ボディガード)の左大臣・右大臣二人に睨まれた頃からややメンタルダメージを受けている。随身は老人と若者の2人組。TV番組の相棒よりもずっと歴史がある。
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官女(かんじょ)の段から左上位なので、向かって右が老人の左大臣、左が若者の右大臣。しかも今に至っても、♪あかりをつけましょぼんぼりに〜でなじみの雛祭りの「うれしいひなまつり」の3番の歌詞! 「すこし白酒めされたか 赤いお顔の右大臣」顔が赤いのは左大臣で、右大臣は白いのだ。左右間違ったままだ。
左大臣は、老人で、白くて長いひげが特徴で、知恵の持ち主。だが歌に歌われているように多少酒癖は悪い。右大臣は、若者で、顔は白く端正な顔立ちで力を司る。後輩の官女が密かに想いを寄せていることは内緒。
5段目の仕丁(しちょう)は、平安時代以降に地方から労働者で、宮廷の雑用係。君主が必要性から無報酬で住民を働かせていた徭役(ようえき)で。律令制で、50戸につき2人選ばれ、3年交代で雑役として服していた。食糧などの生活費は故郷がまかなっていたこの中で唯一の庶民だ。このセレモニーを笑い・泣き・怒りの表情でいて、親しみを感じさせる役割を果たしてきた。その3人でさえ、同じ様にぎょっとした表情をしたのだ。
親王(男雛・女雛)は役割を果したらまたふたりきりで長い間桐箱生活なのだ。その間については暗黙の了解で語るまでもあるまい。毎年新鮮な面立ちであられるよう、倦怠期がきていないよう私達は祈るだけなのだ。この国は予祝(よしゅく)文化なのだ。つまりは前祝い。盆踊りも秋の豊作をあらかじめお祝いするために踊る。毎年ひな祭りに、「将来、幸せな結婚ができますように」と、あらかじめ結婚のお祝いをする。
私達には厄を移す意味合いもある。よく「触っちゃダメと」と叱られる子がいるが手に触れなければ本来の役目を果たせない。小さな子には、手を取って触らせてあげて、大きくなったら一緒に飾り付ければいいのにと思う。壊れないよう、大切に触るにはどうしたら良いか一緒に教えてあげることすら手間なのか!今時の親は!と思う。
桜橘(さくらたちばな)が飾られた。京都御所の左近の桜、右近の橘。向かって右に桜、左に橘。三色の菱餅(ひしもち)は雪から草が出てやがて花が咲く春の訪れを表している。下から、白(雪)緑(草)赤(花)が順番だ。角張りも邪気を払う。
赤い毛氈(もうせん)は魔除けで聖域。神様の依代(よりしろ)である私達には必需品。多くの祝いの儀式のときは、赤が使われているのではないでしょうか。レッドカーペットもそのひとつだ。嫁入り道具のたんす、鏡台、針箱なども無事に飾られた。
桃の花びらを白酒に浮かべて飲むことは、風情豊か、また縁起よしとされている飲み方。大蛇を宿ってしまった女性が3月3日に白酒を飲むと、胎内の大蛇を流産させることが出来る事を聞きそのようにした話しから、胎内に悪い子が宿らないように、3月3日に白酒を飲む。どういういきさつなのかはまたの機会にしておこう。だってほら ここに並んでいるこの二人。将来の約束をしているもの。
「○○ちゃんお着物きれい」
「おひなさんみたい?」
「ううんおよめさんみだい」
「だれのおよめさんかなぁ?」
「僕のお嫁さんだよ」
いつか想いが実り、“比翼の鳥 連理の枝”にと祈る。
何より嬉しい雛祭り。
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