芥川龍之介先生の書いた小説「鬼ごっこ」について考えてみたいと思います。この小説は、亡くなる前年の1926年、大正15年12月1日に書かれております。大正15年12月25日に大正天皇が崩御して昭和が始まりましたので、ちょうど時代の変わり目だったと言えるでしょう。
そして、芥川先生が亡くなったのが翌年の1927年7月24日です。亡くなる7カ月前である事からも、少し興味深い作品だと思います。
登場人物は「彼」と「彼女」。「彼はある町の裏に年下の彼女と鬼ごっこをしていた」と言う書き出しで始まります。彼は12歳で彼女より年上ですが、何歳年上なのかわかりません。街角の街灯に灯りが灯る頃ですから、夕方です。彼が「ここまで来い」と言うと、鬼になっている彼女が追いかけます。彼は楽々と逃げていて、彼女は真剣な表情で一生懸命に追いかけます。
後に二人は結婚しますから、兄妹ではありません。ただの暇つぶしの遊びと考えていた彼は、彼女の顔を見て不思議に思います。彼女が「妙に、真剣な表情」をしているからです。おそらく、彼の方が足が速くて、彼女はなかなか追いつけないのでしょう。負けん気の強い彼女は、無理だと思いながらも真剣に走った。「走り続ければ、きっと彼に追いつく」そう考えていたのかも知れません。彼女のその顔が、彼の心の中にずっと残っていました。
それでも、長い年月が流れるうちにいつしか消えてしまいました。その日から20年が経って、雪国の汽車に乗っていた彼は、偶然彼女と再会します。12歳から20年ですから、32歳です。彼女も、30近い年齢だと思います。
彼女は「最近夫を失った」とありますので、結婚していたのでしょう。彼女は熱心に、両親や兄弟の事を話していました。その顔を眺めた時「妙に、真剣な表情」をしているなと思いました。そんな彼女を見て彼は、12歳の少年の心に戻っていました。
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そして今、彼らは結婚して一緒に暮らしています。二人が結婚してからは、彼は一度も、彼女の「妙に、真剣な表情」を見る事はありませんでした。この話で気になるのは、同じ言葉が3回出てくる事です。芥川先生は何故、「妙に、真剣な表情」と言う言葉を3回使ったのでしょうか?
真剣な表情とは、強い意思の表れです。何としても成し遂げたい事がある時、人は真剣な表情になります。子どもの頃の場合は、どうせ捕まえられるはずがないと思っている彼に対し、自分はこんなに出来るんだと言う事を見せたかったのだと思います。彼に「私の事を認めてほしい」と言う気持ちがあったのではないでしょうか。
また、20年後に汽車で会った時は、「私の事情をわかってほしい」という気持ちなのかなと思います。そして結婚した今は、全てを「認めてもらった」「わかってもらった」からこそ、何の不満もない状態です。だから「妙に、真剣な表情」になる必要がないのでしょう。
私はこの話を読みながら、芥川先生自身の事を考えてみました。奥さんの文さんは3人の息子に恵まれ、幸せな中にいるでしょう。しかし、芥川先生は10年前から、死に対する願望を持ち続けています。そんな夫を見ていれば、奥さんも辛いかも知れません。でも、いくら夫婦でも「自分が何故死にたいか」を理解してもらえない。いつまで経っても、この話の中の「彼女」のようにはなれない。
「妙に、真剣な表情」だったのは、実は芥川先生本人なのではないでしょうか。皆さんはどう思いますか?
ご意見、ご感想などがありましたら、お気軽にお伝えください。
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