賑やかだった夜の街を後にして、安田恭子は家路につく。昼の仕事に加えて夜も働く彼女の体は、くたくたに疲れきっている。夜空に浮かぶ三日月を見上げ、恭子は独り言を呟(つぶや)いてみた。
「お月さん、私を哀れに思ってくれるのかい? 私は大丈夫だよ。こんなに元気だからさ」
恭子の瞳に涙が滲(にじ)む。普段は強がって虚勢を張っているが、胸の中には寒風が吹いている。一人になると思い出す過ぎ去った日々。信じた人に裏切られ、貧乏くじを引かされたのも一度や二度ではない。
静かに玄関の鍵を開け、自宅に入る。子どもたちはもう寝入っている。彼らの寝顔を見る時が、彼女にとって至福の時間だ。どんなに苦労したとしても、この子たちのためなら耐えられる。
「随分と苦労してこられましたね」
布団に入りながら、占い師の言葉を思い出す。良く当たると評判で、いつかは観てもらいたいと思いながら、なかなか勇気が出なかったが、今日ついに鑑定をお願いしたのだ。「苦労してこられましたね」の一言で、思わず涙が零(こぼ)れた。
全てを理解し包み込むような彼の言葉が、乾いた恭子の心に沁(し)みていく。
「あなたは鏡のような人。どんな人が目の前にいるかで、どんどん変わっていきます。悪い人からは離れ、良い人と付き合っていきましょう。あなたを誉(ほ)めてくれる人、あなたを認めてくれる人、あなたの味方になってくれる人がそばにいれば、必ずあなたは大成します。あなたには金運がありますから」
金運がある? 今までお金に苦労してきた人生だけに、俄(にわ)かには信じられない言葉だった。しかし、自信を持って言われると、何だかその気になってしまう。
「人生には、良い事と悪い事が半分ずつだと言われています。今までが大変だったとしたら、これからが楽しみですね。あなたの運命は、刻一刻と変わっています。どんどん良い方向に転がっています。私に出会った事が何よりの証拠です。私に出会った人は皆、幸せになっていきます」
穏やかな目で見つめられると心が温かくなっていく。恭子の心を冷やしていた氷が少しずつ溶けていく。
「あなたはとても敏感な方です。感受性が鋭すぎて疲れています。誰も自分を誉めてくれないなら、自分で自分を誉めてあげましょう。あなたは信じやすい人です。あなたは自分を不幸だと思ってきました。もう自分で自分を不幸にする必要はありません。あなたは幸せになります。もうすぐ、あなたを幸せにしてくれる人に出会います。いえ、既に出会っているはずです」
私を幸せにしてくれる人に既に出会っている。誰だろう? 布団の中で考えながら、いつの間にか眠りについた。
「田中さん、おはようございます」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
もうすぐ八十歳になる田中和子は、恭子に家事代行を頼んでいる。
「今日もきっちりお願いしますよ」
「お任せください。誠心誠意でやらせていただきます」
気難しい和子の要求に応えるのは容易ではない。今までに何人もこの家にやってきたが、和子に嫌われて辞めさせられる者や、自分から音(ね)を上げて辞めてしまう者ばかりだった。しかし、恭子は何故か気に入られた。馬が合うと言うか、相性が良いのだろう。
「田中さん、今日もありがとうございました」
「お疲れ様。安田さん、ちょっと時間あるかしら?」
「はい、少しなら大丈夫です」
「あなた、夜のお店もやってるんでしょ?」
「はい。小さなお店ですから、お恥ずかしいです……」
「もし良かったら、私がお金出すから、もっと大きくしてみない?」
「え? お金ですか?」
「そう。あなた、どんな事がやりたいの?」
「そうですね、お金を出してもらえるとしたら、本当に困っている人、働く意欲はあるが子供が小さく中々働けない方や、自分と同じシングルマザーで苦労している方の為に、お店や家事代行を任せ私は縁の下の力を持った人間になりたいです。マンションやアパート経営もしたいです。一棟や二棟では無くて。そして、自分の人脈にいる職人さんに仕事を振り、売上に協力したいです。そして、昔死にたい程悩んでいた頃に助けてくれた方々にお礼がしたいです。それも中途半端なお礼の仕方では無く、相手様が度肝を抜く様な。最高ランクのレクサスをボロボロの T シャツにジーパンを着て、キャッシュで買いに行きたいですね。自宅も建て直し、ここら辺で 1 番の豪邸に住みたいです。人にも良くなってもらい、自分も良くなる……そんな人間に憧れます」
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瞳を輝かせて夢を語る恭子を、和子は静かに見つめていた。そして、満足そうに息を弾ませている彼女にこう言った。
「わかったわ。それ、全部やってみなさい。もちろん、これは慈善事業じゃないからね。ちゃんと利益を出して、私にも還元してもらわないといけないわよ。それでも、やる自信はあるかしら?」
鋭い目つきで覚悟を迫る和子。胸をドキドキさせながらも、恭子は占い師の言葉を思い出していた。
「もうすぐ、あなたを幸せにしてくれる人に出会います。いえ、既に出会っているはずです」
彼が言っていたのはこの人に違いない。力が抜けて崩れてしまいそうだったが、震える膝にぐっと力を入れてこう言った。
「はい。やります。やらせてください!」
「わかりました。では、具体的な事業計画書を作ってもってきてください。5 億まで用意してあげる」
「ご、5 億ですか? ありがとうございます!」
「ちょっと待ってね」
和子はそう言うと、部屋を出た。しばらくして戻ってくると、恭子に紙袋を手渡した。
「ここに 500 万入っています。まずは信頼出来るスタッフを集めなさい。しっかりと計画を立てて、必ず成功させなさい。私を失望させないでね」
現金を渡され、彼女の言っている事が嘘ではないと確信した恭子は、深々とお辞儀をしてその場を後にすると、その足で銀行に向かい現金を預けた。そして、実業家として成功している友人に連絡をとり、相談する事に。彼はマンションを 2 棟所有して家賃収入を得ている。彼の取引先の会社を紹介してもらい、共に事業計画を立てる事になった。
そして、いくら必要になるか見積書を出してもらい、業者と共に和子に説明、ゴーサインが出た。マンション経営は順調に進み、まとまった金が入ってくるようになった。次にやるのは、シングルマザーたちの働く場所を作る事。やる気のある人たちを集めてアイディアを出していく。どんどんその輪が広がって、恭子のやりたい事が形になっていった。
「安田さん、よく頑張ったわね」
「た、田中さん……」
寝たきりでやせ細った和子の手を取り、恭子は声を詰まらせる。
「私、独り身だから、遺産は全部あなたにあげるわ」
「え? そんな……」
そばにいた弁護士が遺言書を見せて頷(うなず)く。
「あなたの事は、娘のように思っていた。あなたにもらってほしいの。お願い」
「う、ううっ……」
親族と疎遠になっていた恭子にとっても、和子は本当の母のようだった。冷たくなった和子の手を、恭子はいつまでも握り続けていた。その一年後、恭子は忙しく全国を飛び回っていた。日本でも有数の実業家となった彼女は、会社は三人の息子たちに任せ、貧困に苦しむ人たちを助ける活動をしている。
「やりたい事はたくさんある!」
恭子の夢はまだまだ続いている。
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