芥川龍之介先生の書いた小説「猿蟹合戦(さるかにがっせん)」について考えてみたいと思います。昔話として有名なお話ですが、芥川先生が生きていた大正時代と現代では、かなり話の内容が変わっています。
現代はなるべく残酷な表現をしないように書かれています。猿に柿を投げつけられたカニは甲羅にひびが入り、気絶してしまいます。気を失っている母ガニの中から、たくさんの子ガニが出てきます。彼らは母ガニを自宅に運び、看病しているところへ、友だちの「ハチ」と「クリ」と「うす」と「牛のふん」がやってきます。
話を聞いてかんかんになった「ハチ」と「クリ」と「うす」と「牛のふん」は、子ガニたちと共に猿をこらしめにいきます。散々な目に遭った猿は母ガニのお見舞いに行って謝り、母ガニは許すことにしました。それからはみんな、仲良く暮らしました、で終わります。
ところが、芥川先生の生きていた大正時代では、猿が投げつけた柿によって、カニは死んでしまいます。怒ったカニの子どもは、「ハチ」と「うす」と「卵」と共に親の敵(かたき)を討(う)ち、猿は死んでしまいます。芥川先生は、この敵(かたき)討(う)ちの後の話を書いています。
猿をやっつけた後、カニ、うす、ハチ、卵がその後どうなったのか? 彼らは警官に捕まり、裁判を受け、主犯のカニは死刑になり、うす、ハチ、卵は共犯として、無期懲役の宣告を受けたのです。芥川先生は「おとぎ話しか知らない読者は信じられないかも知れないが、これは疑いようのない事実である」と書いています。そして、何故それが事実なのかを次のように説明しています。
まず、握り飯と柿を交換する際、カニは猿と契約書を交わしていない。柿と言っても、熟した柿と断定していない。そして、青柿を投げたと言うのも、猿に悪意があったかどうかの証拠は不十分である。以上の事から、カニの弁護士は、裁判で勝ち目はないとして「諦めたまえ」と言ったそうです。
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世間の人たちも、カニに同情する人はほとんどいなかったそうです。カニが猿を殺したのは、個人的な恨みを晴らすためであり、それも己の無知と軽率からきたものだと。また、ある男爵(だんしゃく)は、カニが猿を殺したのは流行の危険思想にかぶれたからだろうと。
大学教授、社会主義者、宗教指導者なども良しとしませんでした。ある一人の代議士だけは「カニの敵討ちは武士道精神と一致する」と言いましたが、ほとんどの人がカニの死は当然だと思っていたのです。そして、カニが死んだのちのカニの家庭はどうなったのかを、芥川先生は説明しています。
カニの妻は売春婦になり、長男はある株屋の番頭に、次男は小説家になって、三男はカニ以外にはなれませんでした。そして三男のカニが歩いていると、握り飯が一つ落ちていました。握り飯が好きだった彼はそれを拾い上げました。すると、高い柿の木の上に、しらみを取っていた猿が一匹いました……。芥川先生は最後にこう書いています。
「その先は話す必要はあるまい。とにかく、猿と戦ったが最後、カニは必ず天下のために殺されることだけは事実である。君たちもたいていカニなんですよ」
最後の「君たちもたいていカニなんですよ」と言う言葉は、何を意味するのでしょうか?
猿は「ずる賢い権力者」と言う感じでしょうか。力があって、一般庶民が逆らっても勝ち目がない人かなあと思います。だからこそ、そういう人と戦ってはいけない。もし戦うなら、相応の覚悟と準備が必要だと、芥川先生は言いたかったのかなあと思いました。皆さんはどう思いますか?
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