近藤小夜子は今日も、テレビのワイドショーを見ながら怒っていた。お気に入りのテレビ局、お気に入りのワイドショー、代わり映えしない毎日の光景だった。
「また政治家の不倫? もうお腹いっぱいだよ、この話は!」
一緒にテレビを観ていた夫の和夫は、「またか」とうんざりとした顔をした。顔を真っ赤にしながら腹を立てている小夜子の姿は、見る人の心をげんなりさせる。
もう七十歳の齢を重ね、ただでさえ皺やしみが多いのに、目を吊り上げて怒っている顔など、いくら夫婦でも見たくはない。
元々高い血圧を、さらに高くする事もあるまいにと言いたいのだが、口にする事はない。一言喋ろうものなら、その百倍の言葉が返ってくる。それは目に見えてわかりきっている事だ。元々無口な和夫は、さらに口を閉ざすばかりだった。
「ほら見てよ。またこの人、覚醒剤で捕まった。芸能界なんて世界は、汚れきってるねえ」
和夫は、見てよと言われても見る気もしない。ただぼんやりと、顔をテレビに向けているだけだ。
「総理大臣は嘘ばっかり! 景気が良いなんて大企業ばっかりじゃない。年金暮らしの老人は、先行き不安ばかりだよ!」
そう吐き捨てて、小夜子は友人と出掛けるために家を出た。家を出ても、小夜子のイライラは収まらない。うだるような暑さには「いつまで暑いのよ!」と文句を言い、歩いていてカバンがぶつかった人には「どこ見て歩いてんのよ!」と罵った。
待ち合わせの駅に、友人の真知子はまだ来ていなかった。少し遅れて到着した真知子に、開口一番「遅いわね!」と目を吊り上げて毒づいた。長い付き合いの真知子は、悪びれもせずに「ごめんごめん」と笑いながら謝った。
目的のデパートに入ると、「どうしてこんなに人が多いの? みんな暇人なの?」と、自分の事は棚に上げて毒を吐く。隣の真知子が「あんたも暇人でしょ」と笑った。
友人と駅で別れた小夜子は、前から気になっていた零美の店にやってきた。短気な性格のため、予約などするはずもない。空いていなければ、捨て台詞でも吐いて帰るだけだ。
「こんにちは!」
大きな声で呼びかけると、奥から零美が飛んできた。客を待たせない事が常識と思っている小夜子にとって、まずは合格点だった。
「お客様は、鑑定希望の方ですか?」
「そうですけど、空いているのかしら?」
「はい。大丈夫です。中へどうぞ」
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丁寧にお辞儀をされて、悪い気はしない。小柄でぽっちゃり体型を揺すりながら、ぺたぺたと歩いて席に着いた。
「コーヒーか紅茶などはいかがですか?」
「じゃあ、コーヒーを飲ませていただこうかしら」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
零美のへりくだった態度は、小夜子の自尊心を満足させた。顔を見た瞬間から、小夜子の性格を見抜いていた零美は、出来るだけ怒らせないようにしようと気を遣っていた。
面倒な客だと思ったが、出来るだけ満足して帰ってもらいたい。これは、零美が常に心掛けている事だった。零美はコーヒーを出した後、対面の席に座った。
「お客様の知りたい事は何でしょうか?」
「そうねえ、この歳になったら、後は健康の事が気になりますねえ」
「わかりました。ではこの紙に、お客様のお名前と生年月日を書いていただけますか?」
小夜子の書いたものを基に、零美は命式を割り出した。思った通り、小夜子は自我が強く、正義感が強い。常に自分が正しいと思っている。こういう人は、自分の思っている事と違う事を言われると、「この占い師は当たらない」と言い出す。厄介な人たちだ。
小夜子の命式を観た限りでは、どこまでも強運の持ち主である。まさに「殺しても死なない」ような人だ。
「近藤さんは、すごく免疫力が高いと思いますので、体は丈夫なのではないでしょうか?」
「そうねえ、確かに風邪もあまりひいた事ないし、病院にも無縁だわ」
「そうでしょうね。何と言っても近藤さんは、すごい強運の持ち主ですから」
「あらそう? それは嬉しいわね」
小夜子は、良くも悪くも正直者だ。感情がすぐ顔に出る。毒を吐かずにいられないのも、思った事を黙っていられないからだ。
「じゃあ、当分は健康でいられるかしら?」
「はい。心配ありません。大丈夫ですよ」
「どうもありがとう」
小夜子は、終始上機嫌だった。気持ち良いまま帰ってもらえると、零美としても嬉しかった。
翌日、小夜子は、同級生の真田はつえの家を訪れた。なかなか返してもらえない借金の催促に来たのだ。
「はっちゃん、もういい加減返してよ、お金」
「もうちょっと待ってよ」
「あんたねえ、借りたお金返さないなんて、人としてどうなのよ? 信じらんない!」
「あんたも友だちなんだから、もうちょっと待ちなさいよ!」
「なんだって? あんたみたいな恩知らず、友だちなもんか! 早く返せ! 早く返せ! 早く返せ! 早く返せ! 早く返せ! 早く返せ! 早く返せ! 早く返せ!」
大声で叫び続ける小夜子。耳を塞いで震えていたはつえは、我慢の限界を迎えた。はつえは台所まで走り、包丁を握りしめると、小夜子の前に立ってこう言った。
「あんたねえ、黙らないと刺すよ!」
包丁を見た小夜子は、怖がるどころか、さらに怒りを増して叫んだ。
「上等だ! 刺せるもんなら刺してみろ! どうせ出来ないくせに、この馬鹿野郎!」
目を剥いて叫ぶ小夜子の腹を、はつえは目を瞑って刺した。
「あーーーーーーー!」
叫び声を上げながら、小夜子は刺された腹を手で押さえて外に出た。そして通行人に叫んだ。
「刺された! 電話して! 救急車、呼んで!」
たまたま通りかかった女性が驚いて、急いで救急車を呼んだ。はつえは血の付いた包丁を持ったまま、玄関に座り込んでいた。
病院に運ばれた小夜子だったが、分厚い腹の肉のお陰で、大事には至らなかった。零美の思った通り、「殺しても死なない」人だった。
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