芥川龍之介先生の書いた随筆「鴨猟(かもりょう)」について考えてみたいと思います。ここに登場する大川とは、現在の隅田川になります。江戸時代は、吾妻橋(あづまばし)周辺より下流は大川と呼ばれていました。
大町先生とは、大町桂月(おおまち・けいげつ)の事です。大町先生は、明治2年生まれの随筆家、文芸評論家です。大正13年の正月ですから、芥川先生は31歳、大町先生は54歳でした。その他に小杉未醒(こすぎ・みせい)、神代種亮(こうじろ・たねすけ)、石川寅吉(いしかわ・とらきち)と一緒に、品川沖へ鴨猟に行った時の話です。
鴨猟は、網漁(あみりょう)と銃猟(じゅうりょう)があります。網漁は網を使って鴨を捕まえます。銃猟は散弾銃やライフル銃、空気銃などを使用します。小杉未醒、神代種亮、船の船頭の三人が禽獣殺戮業(きんじゅうさつりくぎょう)の大家だと言っていますから、銃で撃つのでしょう。しかしこの日は、そんなにすごい三人がいるのに、鴨は一羽も獲れません。
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大町桂月先生は鴨が獲れないのが大いに嬉しいようで「えらい、このごろの鴨は字が読めるから、みんな禁猟区域へ入ってしまう」と言って手を叩いて笑っていました。そして芥川先生が大町先生を見て「しかもまた、何だか頭巾に似た怪しげな狐色の帽子を被って、口髭に酒のしずくを溜めて傍若無人に笑うのだから、それだけでも鴨は逃げてしまう」と言っています。
結局、10時間海の風に吹かれただけで、鴨は一羽も獲れませんでした。川岸へあがった桂月先生は酔いが醒めたのか「僕は子どもに、鴨を二羽持って帰ると約束をしてきたのだが、どうにかならないものかなあ、何でも子どもはその鴨を学校の先生にあげるんだそうだ」と言い出しました。
そこで、近所の鳥屋からトリモチで獲った鴨を二羽買って帰る事にしました。小杉未醒が「鉄砲の傷がないといけないだろうから、一発ずつ穴をあけてやろうか」と言いますが、桂月先生は「なに、これでたくさんだ」と言って、モチだらけの二羽の鴨を古新聞に包んで持って帰りました。その光景が目に浮かぶようで、なんだかほっこりした気持ちになりました。
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