芥川龍之介先生の書いた随筆「機関車を見ながら」について考えてみたいと思います。「わたしの子供たちは、機関車の真似をしている」と言う文章で始まります。子どもは男の子が三人で、当時、長男が7歳、次男が4歳、三男が2歳でした。昭和2年7月と言いますと、まさに芥川先生が亡くなったのが昭和2年7月24日ですから、後に遺す子どもたちの事を不憫に思いながら書いたのかも知れません。
手を振ったり「しゅっしゅっ」と言ったり、進行中の機関車の真似をする子どもたちを見ながら思ったのでしょう。なぜ機関車の真似をするのかと。それに対し「それはもちろん、機関車に何か威力を感じるからである。或いは、彼等自身も、機関車のように激しい生命を持ちたいからである」と書いています。
子どもだけでなく、大人も同じだと。何かに向かって突進したい。金銭や名誉、あるいは異性を得るために。「我々は、自由に突進したい欲望を持ち、その欲望を持つ所に、おのずから自由を失っている」とも書いています。「欲望を持っているために、自由に生きられなくなる」と言う事でしょうか。
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イタリアのムッソリーニ、シェイクスピアのマクベス、彼らもまた機関車のように、どこまでも突進したい欲望を持っていました。江戸時代の心中事件、遊女の小春と紙屋の治兵衛もまた、彼らの恋愛のためにがむしゃらに突進しました。彼らだけでなく「我々もまた機関車に変わりはない」と芥川先生は言っています。
そして「しかも、我々を走らせる軌道は、機関車にはわかっていないように、我々自身にもわかっていない」「気まぐれな神々の意志によるのである」「宗教家、芸術家、社会運動家、あらゆる機関車は、彼等の軌道により、必然にどこかへ突進しなければならぬ。もっと早く、そのほかに彼らのすることはない」と言っています。
そして文章の最後にこう書いています。「斎藤緑雨(りょくう)は、箱根の山を越える機関車の「ナンダ、コンナ山、ナンダ、コンナ山」と叫ぶことを記している。しかし、碓氷峠(うすいとうげ)を下《くだ》る機関車は、更に歓びに満ちているのであろう。彼はいつも軽快に「タカポコ高崎、タカポコ高崎」と歌っているのである。前者を悲劇的機関車とすれば、後者は喜劇的機関車かも知れない」
険しい山を登る時に「苦しいなあ」と思いながら進むのは、悲劇的機関車になりますね。どうせ進まないといけないのなら、どんなに苦しくても軽快に歌いながら進む事の出来る、喜劇的機関車になりたいなあと思います。
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