芥川龍之介先生の書いた小説「正岡子規」について考えてみたいと思います。冒頭に「北原さん」と書いています。北原さんに「アルス新聞に子規の事を書け」と言われたそうですが、この北原さんは北原白秋か、弟の北原鉄雄の事かなと思います。子規の事は、書けと言われなくても書きたかったのですが、今は書いている暇(ひま)がないと言います。北原白秋は弟の鉄雄とともにアルスと言う出版社を設立しています。
子規の事を書く代わりに「夏目先生や大塚先生のエピソードを紹介しますよ」と言っています。夏目先生は夏目漱石、大塚先生は、美学者で東京帝国大学教授・大塚保治(おおつか・やすじ)の事だと思います。大塚保治は、漱石の友人で「吾輩は猫である」に登場する美学者・迷亭(めいてい)のモデルだとも言われています。
正岡子規が「墨汁一滴」だか「病床六尺」だかに、夏目漱石と散歩していた時「夏目先生が稲を知らなかった事に驚いた」と書いています。そこで芥川先生は、夏目先生に稲の話を聞きました。すると「なに、稲は知っていた」と言うのです。じゃあ、子規が嘘を書いたのですかと聞くと「あれも嘘じゃないがね」と言うのです。
「知らなかった」というのも本当で、「知っていた」というのも本当。それはどういう事かと言うと、「稲から米がとれるのは知っていた。田んぼに生える稲も何度も見た事はある。ただ、その田んぼに生えている稲が米のとれる稲だとは知らなかった」のだと。つまり「頭の中にある稲と、目の前に見える稲が同じものだと認識出来なかったと言うわけで、子規の言う事が嘘だとも本当だとも一概には言えない」と、夏目先生は言いました。
Sponsered Link
また、子規はいつも、夏目先生の俳句や漢詩に批評を加えていたそうです。夏目先生は子規の態度に少し腹を立てたようで、ある時英文を作ってみせたそうです。すると子規はどうしたかと言うと、平然とその上に「ベリイ・グッド!」と書いたそうです。
次に、大塚先生と子規の話です。大塚先生は1896年からヨーロッパに4年間留学して、帰国後に東京帝国大学で美学を教えています。西洋の服と日本の服の美醜を比較した内容を知った子規がこう言ったそうです。「君は、人間が立っている時の服装の美醜ばかり論じている。座っている時の服装の美醜も合わせて考えないといけない」と。
芥川先生がこの話を聞いたのは、大塚先生の美学の講義に出席した時の事です。大塚先生は「それものちに考えて見ると、子規はあの通り寝ていたのですから、座った人間ばかり見ていたのでしょうし、わたしは又、外国にいたのですから、座らない人間ばかり見ていましたし」と言いました。
大塚先生が大学で教えていたのは1900年からです。その頃、子規は、脊椎カリエスで寝たきりの状態だったわけですから、こういう話になります。そして最後に芥川先生は「子規全集の予約名簿に私の名前も加えてください」と頼んでいます。
ご意見、ご感想などがありましたら、お気軽にお伝えください。
story@kaminomamoru.com
『雨の中の女 神野 守 短編集 第1巻』amazonで販売中!
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYRKPL2/
Sponsered Link