芥川先生の小説「おぎん」について考えてみたいと思います。「元和(げんな)か、寛永(かんえい)か、とにかく遠い昔である」と言う書き出しで始まります。元和は江戸時代の1615年から1624年まで、寛永は江戸時代の1624年から1644年まで。今から約400年前の話です。
元和8年、1622年9月10日には、長崎の西坂(にしざか)において、カトリックのキリスト教徒55名が処刑された「元和の大殉教」がありました。この物語の舞台もまた、長崎県浦上(うらかみ)山里村(やまざとむら)です。
おぎんの両親は大阪から長崎へやってきました。二人ともキリスト教の信者ではなく仏教を信じていました。両親が亡くなった後、幼いおぎんは山里村の農民の夫婦の幼女になります。ジョアン孫七と、妻のジョアンナおすみは、熱心なキリシタンです。洗礼を受けてマリヤと言う名前を与えられたおぎんは、熱心に信仰をしていました。
ある年のクリスマスの夜、何人かの役人が孫七の家に来ました。この日だけは十字架が祭ってあります。役人は孫七夫婦とおぎんを縄で縛り、そのまま代官の屋敷に連れて行きます。役人と一緒に来た悪魔は、彼らの様子を見て手を打って喜んでいます。
ジョアン孫七、ジョアンナおすみ、マリヤおぎんの三人は、土の牢(ろう)に投げこまれ、キリスト教の信仰を捨てるように拷問されますが、彼等の決心は動きません。たとえ肉体がただれても、もう一息で天国に行けると信じているのです。
キリストの教えはもちろん、釈迦の教えも知らない代官は、彼らがなぜ強情を張るのかさっぱり理解出来ません。もしかして彼らは気が狂っているのではないか。しかしそうでないなら、人間ではなく動物のような気がする。決められた法律を守らないような動物を生かしておいたら国が危ない。そう考えた代官は、三人とも焼き殺す事にしました。
村はずれの刑場(けいじょう)へ連れて行かれた三人は、右にジョアンナおすみ、中央にジョアン孫七、左にマリヤおぎんと言う順に、太い柱に括(くく)り付けられました。刑場のまわりには、大勢の見物人が取り巻いています。
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役人が「教えを捨てると言えば、すぐに縄をほどいて許してやる」と言います。しかし彼らは答えません。見物人は、火がつけられるのを今か今かと待っています。すると突然おぎんが「私は教えを捨てる事に致しました」と言いました。
孫七とおすみは「もう少しで天国に行けるのだから、辛抱して祈りなさい」と言います。しかしおぎんは返事をしません。おぎんは縄を解かれ、自由になります。孫七もおすみもおぎんを見ようともしません。おぎんは泣きながら、教えを捨てた理由を彼らに説明します。
「ふと向こうに、実の両親の墓が見えました。両親はキリストの教えも知らず、地獄に堕ちているはず。自分だけが天国に行くなんて出来ない。私も両親を追って地獄へ行きます」と言ってすすり泣きます。
それを聞いたジョアンナおすみは、幼い娘だけを地獄に行かせるわけにはいかないと、自分も教えを捨てます。ジョアン孫七は妻に向かって「お前も悪魔に魅入られたのか。教えを捨てたければ勝手に捨てろ。俺は一人でも焼け死んでみせるぞ」と言います。でも、最終的には、妻とおぎんの説得により、孫七も教えを捨てました。
これは日本のクリスチャンの受難の歴史の中で「最も恥ずべきつまずきだと伝えられている」と、作者は語っています。火あぶりを見物に来た人たちも彼らを非難したと言いますから、恐ろしい話です。
キリストの教えを信じて喜んで死んでいった人たちからしてみれば、彼らは恥ずべき存在なのかも知れません。でも、自分は非難されても、地獄にいる実の両親のために天国へ行くことを諦めたおぎんは人間的に素晴らしいと思いますし、おぎんだけを地獄に行かせることは出来ないからと、信仰を捨てた育ての親も素晴らしいと思います。
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