引用:青空文庫 芥川龍之介「大正12年9月1日の大震に際して」
芥川龍之介先生の随筆「大正12年9月1日の大震(たいしん)に際して」について考えてみたいと思います。「大正12年9月1日の大震」とは、関東大震災の事です。被害は神奈川県および東京都を中心に、隣接する茨城県・千葉県から静岡県東部に及び、死者・行方不明者は推定10万5,000人と言われています。
この文章は、一「大震雑記」、二「大震日録」、三「大震に際せる感想」、四「東京人」、五「廃都東京」、六「震災の文芸に与うる影響」と言う項目別に書いています。
一「大震雑記」は、「大正12年8月、僕は一游亭(いちゆうてい)と鎌倉へゆき、平野屋(ひらのや)別荘の客となった」と言う書き出しで始まります。芥川先生は、庭に「藤」「山吹」「菖蒲(しょうぶ)」と咲き狂っている様子から、ただ事ではないと感じ「天変地異が起こりそうだ」と予言していましたが、誰も信じませんでした。東京に帰った8日目に大地震は起こり、久米正雄は「君の予言は当たったね」と言っています。しかし芥川先生自身も、自分の予言を信用してはいませんでした。
地震が収まると、屋外に避難した人々は初めて会った人でも親しそうに話したり、タバコや梨を勧めたり互いに子どもの面倒を見たりして、ピクニックに集まったかと思うほど楽しそうに打ち解けて見えたようで、「大勢の人々の中に、いつにない親しさの湧いているのは、とにかく美しい景色だった。僕は永久にあの記憶だけは大事にして置きたいと思っている」と書いています。
阪神大震災では建物に押しつぶされての圧死、東日本大震災では水に溺れての溺死が多く、この関東大震災では火事による焼死で亡くなる人が多かったようです。芥川先生もたくさんの遺体を見ました。その中で最も記憶に残っているのが病人らしい遺体だそうです。
焼死すると大抵の場合、手足を縮めていますが、この人の場合は布団の上で足を伸ばし、覚悟を決めたように胸の上で手を組んでいました。「これは苦しみもだえた死骸ではない。静かに宿命を迎えた死骸である。もし、顔さえ焦(こ)げずにいたら、きっとあおざめた唇(くちびる)には微笑に似たものが浮んでいたであろう」この人を哀れに思って妻に言うと「それはきっと、地震の前に死んでいた人の焼けたのでしょう」と言われ、そうだったかも知れないと納得しています。
丸の内にやってくると、馬場先濠(ばばさきぼり)で泳いでいる人が何人もいました。そして突然歌を歌いだす少年がいました。その時の事をこう書いています。「僕は妙な興奮を感じた。僕の中にも、その少年に声を合せたい心持ちを感じた。少年は無心に歌っているのであろう。けれども歌は、一瞬の間(あいだ)に、いつか僕をとらえていた、否定の精神を打ち破ったのである」
震災の被害者を考えれば、歌を歌うのはいかがなものでしょうか。しかしこの芸術的行動はまた、人間が人間として生きるうえで必要な行為だとも言えます。
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二「大震日録」では、8月25日から9月2日までの行動が書かれています。8月25日に鎌倉から東京に戻ってくると、すぐに聖路加病院に見舞いに行き、その後、田端に帰ってきます。8月29日には38度6分の熱が出て下島先生に診てもらいます。8月31日、ようやく風邪も良くなってきたようです。
9月1日の昼頃、地震がきました。被害は、屋根の瓦が落ちたのと石灯籠(いしどうろう)が倒れただけでした。足立区の方に歩いていくと倒壊した家屋が数軒ありました。家に帰ると停電になっており、ロウソクや米、缶詰などを買いに行きます。夜になって月見橋から東京を見渡すと、溶鉱炉のように火事が広がっていました。
9月2日には、姉の家と弟の家が共に全焼し、彼等の生死が未だにわからないと不安を書いています。この日、家財道具の荷造りをしますが、夜になって39度の発熱。頭が重くて立てないようでした。
三「大震に際(さい)せる感想」では、雑誌社から「地震について書け」と言われて思いついた事を書いています。
「この大震を天譴(てんけん)と思えとは、渋沢子爵の言うところなり」と言う風に書いていますが、渋沢子爵とは渋沢栄一の事でしょう。天譴(てんけん)とは、天罰の事です。人間誰でも、人に隠しているやましい事があります。それがあるから、天罰だと思ってしまうのです。
「自然は人間に冷淡である。大震は金持ちと貧しい者を分けたりしない。猛火は善人か悪人かを分けたりしない。自然の眼には人間も蚤(のみ)も選ぶところなしと言える」自然の前には人間は無力だと言う事でしょうか。日比谷公園の池にいる鶴とアヒルを食べる人がいました。もしもっとひどい状況に追い込まれれば、人の肉を食べる人も出た事でしょう。
「自然は人間に冷淡である」と言う言葉は何度も出てきます。尋常ではない被害を目にしたからこそ、実感として出てくる言葉なのではないでしょうか。そして「この大震は天罰とは思えない」と言っています。思いたくない、と言う事でしょうか。「恨み言も言うべきではない」「絶望もするべきではない」そして、この章の最後にこう言っています。
「同胞よ。冷淡なる自然の前にアダム以来の人間を樹立せよ。否定的精神の奴隷となることなかれ」
人類始祖のアダムが誕生した時は、自然に対する怖(おそ)れなど持っていなかったに違いありません。ただ希望だけを持っていた事でしょう。我々も、どんなに自然の脅威にさらされたとしても、力強く生きていきたいものです。
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