とまどいながら

【この作品は、嵐の歌にインスパイアされて書きました。~まさに嵐のようなその女性(ひと)~】

 その年、バイト先の喫茶店に風鈴を飾った日、その不思議なお客様はやってきた――。

 チリン……と風鈴の音にバイクの音が混ざってきて、店先の駐車場に止まったから気になった。バイクのお客様珍しいなぁ。このお店は、学生か近所の方がほとんどなのに、なんて思っていたらカウベルが鳴り、ヘルメット姿の女性が颯爽と入ってきた。

 喫茶店内の雰囲気が一気に変わる。ランチを過ぎて、ティータイムまでの平和な一時に似つかわないお客様。のんびり残っている、少ない他のお客様の目も引いた。

 「こんにちは。喫煙席は?」

 メットを取って片手に持ち、彼女は聴いてきた。長い髪がサラリと揺れる。オレはしばらく、ぼうっとしてしまった。うわ、美人だ。二十代後半……いや、わっかんねー。好奇心旺盛そうな大きな瞳が印象的だ。

 「あ、いらっしゃいませ。こちらです」

 首を傾げられて慌てて駆け寄り、喫煙席を手で示す。

 「ありがとう」

 涼やかな声に合う柑橘系の香水が、鼻をくすぐる。背が高いからか、スタイルも良い。

 「どうぞ」

 空いてる席へ促すと、微笑んでストンと座った。オレは頬に熱を感じながら、水とおしぼりをそそくさと取りにいく。

 「お水です」

 多少緊張しながら出したから、水がこぼれてしまった。氷がカランと音を立てて崩れた。あぁ、何やってんだオレ。

 「すみません!」
 「全然いいの」

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 慌てて謝るオレに笑って応えると、彼女はタバコを取り出した。吸うのかなと思ったら、テーブルに置く。え? この銘柄……。思わず、彼女をじっと見つめる。親父と同じタバコだ……あんまり吸う人いないのになぁ。オレの視線に気づいたのか、彼女はまた微笑すると、おしぼりを袋から出して水を拭いた。

 「あぁ、すみませ……」
 「君はバイト君?」

 こぼれた水を気にする様子もなく、オレの言葉に被(かぶ)せるようにして訊いてくる。

 「え、はい」
 「大学生?」

 その目は、喫茶店の向こうにある美大をとらえている。

 「あぁ……いえ、ただのバイトです」

 オレの声は自然と小さくなり、視界に風鈴が入ってくる。

 「私ね、最近まで会社に勤めてたんだけど。親父が、後を継げ継げうるさくって。私も昔から、親父の背中見てきたから、継ぐ事にしたんだ。その代わり、会社辞めたらしばらく、全国放浪させろって言ったの」

 彼女は急にペラペラとしゃべりだし、水をゴクゴクと飲んだ。喉、乾いてたんだ。

 「でね、たまたまここにきたんだ。あ、ブレンド一つ」

 いきなり注文されて、まごついてしまう。

 「は、はい。ブレンド」
 「あなたは、美大に入りたいの?」

 直球で訊かれたオレは、思わずフリーズした。容赦ないけど、不思議と嫌な感じはしない。涼やかな声の中に、温かみを感じるせいかな。

 「……はい。夢は職人でした。父が急に亡くなるまでは」

 オレは素直に答えた。すると今度は、彼女が黙る。でも、視線は外れない。その瞳は、黒曜石のようだ。まるで、全てを飲み込み、穏やかに包んでくれそうな。

 「何をやるにも、お金って必要だからね……あ」

 タイミングが良いのか悪いのか、スマホが鳴る。

 「ごめんなさい。注文キャンセルで。はいはいもしもし」

 口早にそう言うと、電話に出ながらヘルメットを持って、出て行こうとして立ち止まる。

 「またね」

 わざわざ振り返って言った後、扉を閉めた。カウベルの音と、風鈴の音が重なる。

 「嵐みたいな人だな……」

 しばらく呆然とした後、お水とおしぼりを片付けようとした時、椅子に忘れ物がある事に気づいた。

 「お客様、忘れ物!」

 急いでそれを引っ掴んで店先まで出たものの、彼女はバイクに跨って走り去ってしまった。バイク音が次第に遠のいていく。

 「遅かった……ん? 今時、マッチ?」

 チロル工房ってお店かぁ。あの人が継ぐ事になるって言ってた店? オレは何気なく箱を開けてみた。

 そこには、電話番号と共にこんな言葉が書いてあった。

 「いつでも歓迎……」

 え? あの人何者? 思わず、もう影も見えない彼女が行った方向を見つめる。オレが職人になりたい事……は訊いたか。でもあの人、タバコ吸わなかったなぁ。匂いもしなかった。香水がしたくらいだもんなぁ。普段吸わないんだよなぁ。え?……ってことは、誰のタバコ?

 「え……ますます何者……?」

 オレの声は、風にかき消される。でも、風鈴が鳴った気がして店に戻った。いつでも歓迎か……。夢……追いかけてもいいかな。今なら、追いかけられるかもなぁ……。オレはマッチをぎゅっと握りしめた。

 そんなオレは、結構近くでバイクを止めて、彼女がこんな話をしていたなんて知るはずもない。

 『電話、ナイスタイミングだよ! 金銭的な話になって暗くなってたから……うんうん。ちゃんとマッチは置いてきたって。私が放浪の身で良かったね……あー、はいはい。もう旅も終えて帰りますー。じゃあね、お父さん』

 そしてオレは一か月後、この工房を訪れ、居座る事となる。そこで、喫茶店の件は彼女が父親に頼まれてした事だと知った。彼女の父親とオレの親父は親友だった。

 なんでも、親父がここに旅行で来た時、オレの夢を知っていた親父は、わざわざ評判の良いこの工房を訪れたらしい。そしてタバコの銘柄の話で一気に仲が深まり、彼女の家へ厚かましくも泊ったと言う。親父はオレの夢を応援していて、万が一の時はオレの事をよろしくと託したらしい。男同士の秘密として――。

 全然知らなかった。ありがとうな、親父。

 そして更にこの後オレは、彼女にもその父親にも、恋する事になるんだ。いや、もう出会った時に、既に惚れていたのかも知れない。

 嵐のような、この女性に。

    作:asuka

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