20歳のサッカー日本代表・堂安律選手が、代表初ゴールを決めました。
「マラドーアン」堂安、強烈な向上心と負けん気が生んだ代表初ゴール
10/17(水) 6:08配信
「1点目はヘディングとか、(利き足ではない)右足かなと思っていたんですけど。一生思い出に残るゴールになりました」。細かいドリブルが武器の左MF中島とは対照的に、シンプルなボールタッチと力強いキープ力でDFに挑んだ。このプレースタイルは、子供のころから変わらず。小学生時、86年メキシコW杯で伝説の5人抜きゴールを決めたアルゼンチン代表ディエゴ・マラドーナの映像を見つめて、磨き上げたスタイルだ。同じ左利きで、「マラドーアン」とのニックネームで呼ばれる20歳が、持ち味を存分に見せつけた。
3兄弟の末っ子として生まれ、2人の兄の影響で幼稚園からサッカーを始めた。しかし小学3年時、C大阪ジュニアのテストを受けたが不合格に。地元の西宮SSに進み、中学進学時にはG大阪、C大阪など多くのクラブからオファーを受けた末にG大阪へ進んだが、一度は不合格となった経験から「おれはエリートじゃない」という思いを秘める。技術やフィジカルだけではなく、強烈な向上心と負けん気が、堂安の武器だ。
[出典:「マラドーアン」堂安、強烈な向上心と負けん気が生んだ代表初ゴール(スポーツ報知)(Yahoo!ニュース > ]
堂安律、その野望を大いに語る。「ムバッペを引きずり下ろしたい」
2018/07/22 11:30 生島洋介(Number編集部)
「たぶん見ないですね。日本戦以外は観ますけど」
大会開幕直前、ロシアW杯はどこで観るのか尋ねると、堂安律はちょっと困ったような表情でこういった。
もちろん、日本代表に関心がないわけではない。年代別日本代表に初めて選ばれたのは15歳。サイドバックを務めたAFC U-16選手権2014ではベスト8に終わり世界には届かなかったものの、2年後のAFC U-19選手権ではサイドアタッカーとして大会MVPの活躍。チームをU-20W杯へ導くと、ウルグアイのベンタンクール(現ユベントス)やイタリアのオルソリーニ(現ボローニャ)らと対戦したこの大会でも3ゴールを挙げ、欧州移籍を果たした。世界との接点となってきた日本代表への思いは強い。
ではなぜ見ないのか?「(W杯メンバーから落選した)いまの悔しさを持ったまま次のシーズンに入りたいから。試合を見ちゃったらそれがどうなるか……。まあ絶対に気になるんで、結局は見ちゃうかもしれないけど」
昨年6月23日に発表されたオランダ、フローニンゲンへの移籍から約1年。ヨーロッパで過ごす初めてのシーズンから、堂安はリーグ戦29試合出場9得点という堂々たる結果を残した。
ロシアW杯出場は夢と消えたが、4年後に向けて日本代表は世代交代を避けられそうにない。今後ますます存在感を高めてきそうな20歳のレフティが、オランダでの充実した日々を振り返り、悔しさをぶつける新シーズンの“成長戦略”を語ってくれた。結果が出なければ帰国だったかも。
――まずは’17-’18シーズンの話を聞かせてください。早い時期に定位置をつかんで、リーグ戦で9ゴール、さらにサポーターが選ぶシーズンMVP。いろいろ達成したシーズンだったと思いますが、自分のなかで一番満足している点は?
「まずは契約上のところですけど、完全移籍できたこと。クラブが予算的に厳しい額を出してくれた、それだけ評価してくれたことですね。たとえ得点が2点や3点でも、移籍できればいいなと思って始めたシーズンだったんです。契約的には練習生みたいなかたちでチームに飛び込んで、1年で結果を残せなければ日本に帰るという話だった。そのプレッシャーがあるなかで、我ながらよく頑張ったと思います」
――結果を出すために、どういうアプローチでチームの信頼を得ていったのですか。
「オフ・ザ・ピッチですごくコミュニケーションを取ろうと思いました。基本的にはいつもチームメイトと一緒にいて。僕はこのとおり性格的に明るいキャラなので、そこはあまり困らなかった。けど、どうしても言葉の壁で人との距離を縮めることができなくて、それがオン・ザ・ピッチにも影響しました。だから、最初の3、4カ月は難しい時期でしたね」
ヨーロッパのやつらは突き放す。
――でもいきなり開幕からスタメンでした。
「今の僕からみれば、あの時はまったくチームに馴染めていなかったんです。僕に対しての信頼もないから、ボールもこない。やっぱりボールが来る回数がぜんぜん違いますね」
――よく言われる嫌がらせとか、舐められているような感じですか?
「いえ、舐めてるというよりも、こいつにパスするなら自分で行ったほうがいいという選手としての直感的な考えですね。あいつらはそれを嫌がらせとは思ってないです。自分が成長したいんです。だから律に預けて、走って、パスが返ってくるなら自分も生きるって考える」
――それがわかると振る舞いやすくなりそうですね。
「そうなんです。だからこそ練習で、おれはできんねんぞってところを見せつける。そうしないと信頼されないから」
――それは日本でステップアップするためにしてきたこととはだいぶ違うんですか?
「違いますね。日本だったら、監督やコーチは自分にフォーカスして教えてくれます。でもヨーロッパのやつらは完全に突き放すので。試合で使われへんようになったら、もう勝手にどっか行ってくれって感じやから。
そうなった時に自分に足りないものはなんなのか、監督が僕に期待しているものはなんなのか、というのを考えられるかどうか。見つけられなければ監督に聞きにいく必要もある。僕は開幕戦のあとに、4、5試合出られないことが続いて、その時は苦しかったですけど、監督に聞きに行った。反骨心みたいなものを持ってほしいとも監督は言っていましたね」――その時に指摘された課題とは?
「お前は得点を取るタイプの選手なのに、シュートが少ないと言われました。相手の背後に行く回数ももの足りないと。やっぱりつい足元、足元で受けちゃうから。でもシュートも裏に走る動きも意識次第で変えられます。だから、意識を変えて練習中に見せつけて、というのを繰り返していました」
――そうすると、また試合でチャンスが来たと。
「そうなんです。すぐ使ってくれました。僕が完全にポジションを取りきったのがその時だったので、『ああ、こうやって上のヤツらを引きずり下ろしていくんやな』っていう感じを初めて味わった。この3カ月、4カ月は苦しかったけど、これから生きるだろうと思っています」
――Jリーグからオランダリーグへ行って、他にどんな違いを感じますか?
「考え方がだいぶ違いますね。やっぱり育成の国と言われているぐらいで、ミスが許されているリーグだと思います。それに、うちのチームなんて全員が居残りするぐらい練習量が多い。そこで若いやつらはバチバチにやりあい、削り合っています。毎日のように監督が『おまえら、明日試合だからもう練習やめろ』って居残りを止める。オランダに行ってから明らかに練習量が増えました」
――欧州へ移籍して、逆に自主練ができなくなったという例も多いですが、クラブによって違いますね。
「よくそう言いますよね。でもフローニンゲンは逆。いつも、もうやめろと言われてから、それでもみんなラスト5球、ラスト10球ってやってます。とことんサッカーに向き合える、いい環境に行けたなと思います」
日本は若手を妙に持ち上げますよね。
――年齢の捉え方に違いはありますか?
「そうですね。日本は若い選手を妙に持ち上げますよね。こっちだと10代で活躍しても記事にならないですもん。ぜんぜんですよ。若いとは見られていますけど、それがどのチームにも1、2人はいるから、まったく特別じゃない。もっとすげえのがゴロゴロおるし、話題にもならないですね。
僕はチヤホヤされたいタイプなんで、もっと言ってくれって感じ(笑)。でもそれが、調子に乗り過ぎるのを止めてくれてるなとも思います」――日本人の海外移籍を振り返ると、特に大きな壁になってきたのが言葉とフィジカルだったと思います。堂安選手の場合は、その天真爛漫なキャラクターで言葉の壁を短期間で乗り越えてきたようですね。
「そうです。初めからこのキャラを存分に使おうというつもりでオランダに行きました(笑)。それにチームメイトから監督、強化部長、社長まで、おれが苦しんでるのをわかった上で、すごく助けてくれましたね」
――フィジカルも持って生まれた強さがあるのでは?
「すごく助けられましたね、そこも。この2つに関しては両親に感謝しかないです。僕は時間をかけて筋トレしてこうなったわけではなくて、勝手についてるタイプですから。体の強さだけはトップでやれると思うぐらい自信がつきました。もちろんプレミアリーグとかでやってへんからわからんけど、ちょっとしたコンタクトでボールを失わないとか、そういう自信はあります。
いろんなひとのツテをお借りして、フィジカルコーチの杉本(龍勇)さんに指導してもらったり、長友(佑都)選手が体幹トレーニングに使っているフローイン(FLOWIN)の方にも来てもらった。本当にちょっとでも変わるならやりたいし、そのちょっとは自分ではなかなか気づかないと思うので」――ところで普段は日本語をぜんぜん使わない生活ですか?
「いや、僕は寂しがりやなんで頻繁に電話しますよ。普段しゃべれないものをそこで思いっきり吐き出す。家族ともほとんど毎日電話するし、ガンバの選手と連絡とったり、オリンピック世代のメンバーと連絡とったりしますね」
――同年代の選手にはいろいろこっちのことを聞かれるのでは?
「いや、それはぜんぜん。同い年の選手はやっぱり負けたくない気持ちがあるから、あえて話題にしないですね。僕が逆の立場だったら絶対に聞かないですもん、悔しいから。ぜったいそうだと思います」
フローニンゲン移籍の決め手って?
――そもそもフローニンゲンへの移籍の経緯を振り返ると、とても戦略的でしたね。
「シーズンが終わって、よくそこを評価してもらいます。移籍するときは、なんやそのチームはっていう人もいましたけど、いま振り返ると、一番のチョイスやったなと思います。確かに、あの時期はワールドユース(U-20W杯)の終わり頃やったんで、行こうと思えばいくつか話はあったんです」
――アヤックスとかPSVが接触したという報道もありました。
「まだ正式なオファーではなかったですけど。他にもドイツのクラブがいくつか興味を持ってくれていたなかで、自分の実力を冷静に考えました。おれができるかできんか考えて選択したんです」
――誰かに相談したりいいアドバイスがあったのですか?
「いや、特になかったですよ。ただ自分の実力はわかっていました。これは諦めてるんじゃなくて、いまの自分ができるかできひんか、ただそれだけを考えたら、ドイツじゃなくてオランダだなと。オランダのなかでも下位じゃなくて上位でもなくて、中位ぐらいのチームに行くべきだなと思いました」
――自分ができるかできないか、というのは、出場時間を確保できるかという意味?
「単純にどこに行けばサッカーがうまくなれるか、ですね。もし僕がドイツに行ってうまくなるならドイツに行っていました。でも試合に出られなかったらうまくなれない。条件としては、出場時間とクラブの熱量かな」
――フローニンゲンは、堂安選手のどういう点を評価していた?
「やっぱり得点力ですね」
――U-20W杯でもインパクトありましたからね。
「ただ、フローニンゲンだけはその前なんですよ。僕はイタリア戦で2点取ったじゃないですか。あれの前のウルグアイ戦後にオファーを出すと言ってくれていました。イタリア戦の後いくつかのクラブからばあーっと話が来たけど、フローニンゲンだけはその前。1年半ぐらい堂安を追っているからもう間違いないと言ってくれて。で、イタリア戦が終わってから、ほらなって、ドヤ顔で言ってきたらしいんですけど(笑)」
――ゴールを決めた瞬間に本当に連絡がどっと来る?
「興味があるから継続的に追いかけたい、だから連絡を取り合おうぜと。もともと僕も、自分の夢を掴むために、人生を変えるつもりであの大会に臨んでいましたから」
――どうやってステップアップしていくか、ここまで戦略どおり?
「いやいや、もっともっとしないといけない。一番はもっとガンバで試合に出て、タイトルも取ってから行きたかった。やっぱり7、8年間も育ててもらったクラブですから。それが果たせなかったのがプロになってから一番の悔いですね」
ムバッペ、イ・スンウは意識する。
――2年前にNumberに出てもらった時は、ガンバ大阪のU-23。当時は自分の理想と現実のギャップが大きすぎると言っていましたが、あれから1年、2年でだいぶ追いついてきたのでは?
「まだまだです。いまの理想で言えば、ロシアW杯に出てますよ。実際、オランダであと5点でも取っていれば選ばれていただろうし」
――現在19歳(インタビュー当時)ですが、同年代で意識している選手はいますか?
「ムバッペ。同世代ではダントツですもん。フランス代表の10番ですし、年俸12億ぐらい稼いでるらしい。そういう選手を引きずり下ろせるように、日々練習しているんで」
――個人競技だと顕著ですが、サッカーでも子供時代からライバル関係が続くことは多々ありますよね。堂安選手の場合は?
「ムバッペは接点がないですが、韓国代表のイ・スンウはまさにそうですね。最初は中3だったかな。ガンバでスペイン遠征に行ったときにあいつはバルサにいて、でも僕が点を取って勝ったんですよ。大会MVPが僕で、得点王があいつやったんです。
で高1になったら、あいつは韓国代表でAFC U-16に来ていて、僕は日本代表のキャプテンでした。そのときは独走されて2点決められました。その後、ワールドユースであいつもおれも3点取って。だから1勝1分1敗。でも、あいつはバルサからベローナに行って1点しか取ってないけどA代表でW杯へ。イタリアはレベル高いから、そういう評価なんでしょうね。でもイ・スンウには絶対負けないですよ」――オランダにも19、20歳のライバルがたくさんいます。
「多いですね。対戦したなかではアヤックスのクライファート(パトリック・クライファートの息子)。たぶんあいつはローマに行きますけど、そのレベルに追いつけたらライバル関係は続きます」
――ビッグクラブへのステップアップが本当に身近ですね。
「すごいなとは思うけど、そんな驚くほどの差は感じないですよ。チームメイトとは、あいつがどこそこ行くらしいでみたいな話をいつもしてます。みんな飢えてるから、飢えすぎてウハウハ聞こえるくらいですよ(笑)」
――では堂安選手自身は、2年目以降はどんな戦略を?
「それが少し難しいところで。いまチャンスがあれば行くべきなのか、それとも半年か1年プレーして、もっと出場機会を確保してから行くべきなのか。僕は来年1月の代表のアジアカップを見ているので、それを考えるとフローニンゲンでプレーするべきなのかもしれない。でも早く違うチームに行って活躍すればもっと世界の視野は広がるし」
――クラブ選びの優先順位は?
「やっぱり自分が一番うまくなるチームです。でも、代表入りするチャンスが近づけば近づくほど、それがよぎってしまうと思うから、いかにシャットアウトして自分の行くべきところにいけるか、挑戦し続けるかというのは大事だなと思います。ただ、いまはまだ考えるもなにも、今年はW杯でヨーロッパの市場が動いてなかったので、ぐわっと選手が入れ替わるのはこれから。
だから最初のキャンプは自分のチームに戻って、キャンプの最中に抜けていく選手がめっちゃ多くなるそうです。どんどん移籍して別のチームのキャンプに移っていく。そこで、あいつが抜けたから堂安を取ろうってなるチームがいくつか出てくれば、もしかしたら」CL出るクラブに行って優勝したい。
――サッカー界の中心に身を置いているのを実感する場面ですね。
「本当にそうですね。えっ、明日からおらんの? って言ったかと思えば、お前だれ? みたいなやつがすぐに来る。でもまたそういうやつらといちからコミュニケーションとって一緒に仕事していかんとあかんわけで。僕は新シーズンもフローニンゲンに残るのであれば、(得点を)2けた取らないとだめですし、絶対的中心でやらないとなと思っています」
――その先々はどんなキャリアを目指していますか。
「実はもう35歳ぐらいまで、成長曲線的なことはイメージできているんですよ。絶対にここで移籍するとかまで決めてないですけど、何年ここでプレーして、何年からはここでプレーして、いつ日本に帰るのか、それとも中国行くのか(笑)。それは冗談ですけど」
――キャリアをイメージする時に参考にする選手はいますか?
「いないですね。僕は日本人がいったことのないクラブでやっていきたいので。日本人がいったことのあるクラブは嫌なんです。まずはフローニンゲンを制覇したので(笑)、次もタイミングあれば誰も行ったことのないクラブに行きたいですね」
――成長曲線のピークで目指すのは?
「常時チャンピオンズリーグに出るようなビッグクラブに行って優勝したいですね。そのためにも問題は、その道筋をどう描いていくか。いろいろ選択肢、道筋がある。どれが自分に合っているか見極めながら選ばないとなと思っています。年齢的には、東京五輪の時が22歳で、次のワールドカップが24歳。その後ぐらいで行けるんじゃないですか。まあ夢ですけど。それがプレミアのビッグクラブだといいですね」
――プレミアリーグのどこに惹かれるのですか?
「全体的なレベルで言えばプレミアが抜けてると思ってます。自分のフィジカルを活かせるので、特徴的にも合う。それに最近はプレミアも、マンCが結果を残してサッカーがかわりつつあります。いまリーグからリーグの移籍で一番多いのが、スペインからプレミアらしくて、プレミアのチームがスペインのうまさを取り入れたいという狙いでそうなっていると。
フィジカル+技術となれば、もしかしたら僕に合うクラブが見つかるかもしれない。ただ現実的には、次にもし移籍するにしてもオランダ内がベストな選択かなとは思っています。PSV、アヤックス、フェイエノールト。どれもいいチームですよ。W杯が終わったら僕が移籍していないか、チェックしておいてくださいね」
[出典:堂安律、その野望を大いに語る。「ムバッペを引きずり下ろしたい」(Number Web ナンバー > https://number.bunshun.jp/articles/-/831394 ]
Sponsered Link
そんな堂安選手の四柱推命です。
堂安律選手(1998年6月16日生まれ)
年 戊寅 偏財 建禄
月 戊午 偏財 死
日 甲午 死
大運 庚申 偏官 絶
流年 戊戌 偏財 養
比肩星 木 ●●
食傷星 火 ●●△△
財星 土 ●●
官星 金
印星 水
堂安選手の命式
堂安選手は甲午日生まれで、甲は陽の木、午は夏(6月)の火(陽)です。
「夏の太陽の下の大樹」といった感じです。
みやぞんさん、柄本佑さん、小泉今日子さんも甲午日生まれです。
芸人・みやぞんさん
女優・安藤サクラさんと俳優・柄本佑さんの相性
女優・小泉今日子さんと俳優・豊原功補さんの相性
甲の木は上へ上へと伸びますので、向上心が強いでしょう。
より高いレベルを目指します。
特徴的なのは、食傷星と財星が強いことです。
こういう人は楽天的思考で、「自分は大丈夫」という”根拠のない自信”を持っています。
だからこそ、チャレンジ精神が強く、物怖じしない性格になるのでしょう。
財星が強いということは、それだけで自信が持てるものです。
自信があれば余裕が出てきます。
偏財は利他的な星なので、自分に余裕があるからこそ、周囲のためにも動く事が出来ます。
サッカー選手に必要なのは瞬時の判断力だと思います。
食傷星が強く、ひらめきと直感に優れている堂安選手は、瞬時に次のプレーを選択できるのが強みでしょう。
まだ20歳、今後どれほど成長するのかが楽しみです。
『雨の中の女 神野 守 短編集 第1巻』amazonで販売中!
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYRKPL2/
Sponsered Link