昨年のJリーグMVPは、天才と言われ続けた家長昭博選手でした。
昨季のリーグMVP・家長昭博が語る王者フロンターレと自身の現在地「勝ち続けることで、生きたいように生きられる」
2/22(金) 6:30配信
2月22日に開幕するJリーグ。その中心は、もちろん3連覇を目指す川崎フロンターレだ。
ユース年代から”天才”として知られ、激動のキャリアを経て、いま名実ともにJリーグと川崎を代表するスター&エースとなった家長昭博選手を、『真説・佐山サトル』などの著書がある作家・田崎健太氏が直撃した!
■うまい言葉では気持ちは絶対に動かない
言葉を使って自分の存在を積極的に知らしめようとするアスリートと、そうでないアスリートがいる。ビジネス面、集客、競技の普及を考えれば、前者は貴重である。ただ、僕のようなへそ曲がりは、口の重い後者に心を惹(ひ)かれることがある。もちろん、飛び抜けた力を持ったアスリートに限って、ではあるが。
例えば、昨シーズン、JリーグMVP(最優秀選手賞)を獲得した、川崎フロンターレの家長昭博である。
32歳の彼はすでに”伝説”のような話に包まれている。同じ京都府長岡京市出身、6歳下の宇佐美貴史(現・デュッセルドルフ)は小学生のときに家長の足技を見て衝撃を受けたという。
ガンバ大阪のジュニアユースでは、東口順昭(現・ガンバ大阪)、本田圭佑(現・メルボルン)と同期だった。東口は家長には敵(かな)わないと悟り、フィールドプレーヤーを諦めてゴールキーパーになった。
同じ左利きの本田は家長に押し出される形でサイドバックなどに回されている。そしてユースに昇格できず星稜高校に進学した――。
早くから光り輝く存在だったにもかかわらず、家長に関する記事は驚くほど少ない。
「取材があまり好きではないと聞きました」
取材場所に姿を現した家長に話し掛けると、彼は表情を変えずに「はい」と短く答えた。ぶっきらぼう、ではない。普通に挨拶するような調子だった。
彼が大宮アルディージャから川崎に加入したのは、2017年シーズンのことだ。16年シーズンの終わり、川崎から獲得の打診を受けたという。
「単純にいちサッカー選手として、ほかのチームから声を掛けられるのはうれしかったです。ただ、大宮との契約は残っていたので、それをまっとうするか、移籍するか」
家長は14年シーズンから大宮に在籍していた。この年、大宮はJ2に降格するも、一年でJ1へ再昇格。16年シーズンはJ1で5位に躍進していた。リーグ戦で11得点を挙げていた家長は、チームの中心的存在だった。
「いつもそうなんですけど、契約内容、来季の編成とかいろんなことを聞いて考えないといけない」
川崎側から心が動く誘い文句があったのか、と訊(たず)ねると「いや、ないです」と一瞬、口元が緩んだ。
「みんないろいろとうまいこと言うじゃないですか。誰に何と言われても、そういうのでは気持ちは動かないです」
悪戯(いたずら)っぽい笑みを見せた。
■常に論理的な自分と動物的な自分がいる
川崎への移籍を決めたのは、「単純にタイトルを獲れるチームに行きたいという思いがあった」からだった。
彼と話していてすぐに気がついたのは、自分に対して、突き放したような視線を持っていることだ。
子どもの頃の”伝説”についても、こう笑い飛ばした。
「そういうのって、みんな話を盛るじゃないですか。僕は自分のことを客観的に見ているんですけど、そんなに飛び抜けていなかった。小学校でも躯(からだ)も大きくなかった。走るのとかも、いろんな分野でほとんど一番ではなかった。トータル的に出来た感じで」
ガンバ大阪のジュニアユースに入ったときも、内心は圧倒されていたのだと微笑んだ。
「大阪のサッカー人口と京都のサッカー人口って倍ぐらい違う。レベルも必然的に違う。大阪のチームに行ったとき、萎縮した記憶があります。そのときって、(成長の度合いが違うので)体格の差って激しいじゃないですか。僕はそんなに恵まれていなかったので、競争できるように頑張りました」
家長はユースから昇格したガンバ大阪を振り出しに大分トリニータ、セレッソ大阪、スペインのマジョルカ、韓国の蔚山現代(ウルサンヒョンデ)などを渡り歩いてきた。
「僕自身、言葉数が多いほうではないし、いつも最初はなじむのに苦労します。早く溶け込もうとか、自分のストレスになるようなことはあまりしない。ただ、本当に真面目にやっていたら、いつかみんな自分のことを分かってくれるし、周りのことも分かってくる」
家長の持ち味は、ドリブル、ミドルシュートのほか、ゴールにつながる味方への鋭いパスである。パスを合わせやすい選手、合わせにくい選手はいるのかという質問をすると、首を振った。
「なんとなく感覚で分かる(選手)というのはありますけど、合わないというのはないです。合う、合わないという言い方をすると、遮断する感覚があるじゃないですか。
ああして欲しいんやろうな、こっちのほうがええんかなというのが分かるときもあります。サッカーって足でやる競技なんで、(思ったところにボールが行かないため)合わない部分が多い。回数だとか一緒にいる時間だとかが大事かなと」
彼は質問に対して答えを急がず、しっくりくる表現を探す。彼の取材嫌いというのは、若くから注目された選手に特有の、言葉の怖さを知っているからだろう。
チームでの信頼関係を構築するのに大切なのは、日々の練習、そして公式戦を重ねることだと言った。
「毎日練習する中で、味方の動きがつかめてくる。そして、いつも練習でやっていることを試合でやる。練習試合と比べると公式戦のほうが数倍、感覚的に研ぎ澄まされているじゃないですか。
公式戦の緊張感、切羽詰まった中でやっていくことで分かってくるものがある。(試合を重ねるうちに)だいたいこのタイミングで走ってくれるだろうなというイメージが出来るようになる」
彼が試合中に重視しているのは、”バランス”である。
「(どこにパスを出せばいいのかと)物事を(論理的に)組み立てて考えている自分と、本能でやっている自分がいる。頭も使うんですけれど、動物的な部分も使わないといけない。(その割合は)半分半分ぐらいですかね」
■MVPで分かったのは、自分が何も変わらないこと
川崎は04年にJ1に再昇格してから17年まで2位が四度、3位が二度(2ステージ制の年の第1・2ステージの順位も含む)。頂点近くまでは辿(たど)り着くものの、そこで息切れしてしまう。タイトルをつかみきれないクラブだった。
「僕は川崎に来て、初めて(優勝にあと一歩で届かなかったという)歴史を知った。川崎の印象は川崎らしい攻撃的なサッカーが確立されているということ。
そして生え抜きの選手がチームを愛していて、チームのために献身的に動いている。(中村)憲剛さんがこれだけ長くチームを引っ張っているのに、まだタイトルを獲れていなかったとは思わなかった」
家長が加入した17年、川崎はルヴァン杯決勝に進出している。川崎にとって00年、07年、09年に続く、四度目の決勝戦だった。
「決勝の前、選手たちが憲剛さんにカップを掲げて欲しいというコメントをしているのを聞いて、みんなそういう気持ちでやっているんやなとあらためて感じた」
しかし、川崎はセレッソ大阪に敗れ、またもタイトル獲得を逃した。
家長はガンバ大阪時代の05年にリーグ、07年にカップ戦で優勝を経験している。ガンバと比べて、川崎に足りないものはあったのだろうか。
「それは分からないです。僕自身は優勝するため、優勝を目的にやってきただけなので」
17年シーズン、優勝争いは最終戦までもつれ込んだ。そして川崎は得失点差で鹿島アントラーズを上回り、初優勝を成し遂げた。優勝が決まった瞬間、チームメイトの喜ぶ姿をはっきりと覚えている。
「優勝した後に見たのは、このクラブに賭けてきた人の顔でした。ぼくは(川崎在籍)一年目で優勝できたし、生え抜きの選手のように苦しんでもいない。優勝の重みが全然違うんだろうなと感じていました」
翌18年シーズン、川崎は二連覇を成し遂げ、家長は年間MVPに選出された。彼の才能にようやく評価が追いついた、とも言える。
「この年齢になっても思うのは、やってみないと分からないこと、なってみないと分からないことがあるということ。そういう意味で(MVPを)獲ってみて思ったのは、何も変わらないということ。
もちろん、周りからの見られ方というのは多少変わったかもしれない。でも、日常生活の中で変わったことは何ひとつなかった。それを自分自身、感じられたことは良かったなと思ってます」
Jリーガーとして頂点を極めた今、選手として何に価値を置いているのか――。
「表現として難しいんですけれど、僕自身として生きたいように生きたい。サッカーなんで楽しみたいじゃないですか? 楽しめるサッカーをやらせてもらうためには勝利が必要になってくる。
この世界って、負けたら(周囲が)納得しない。そういうものに大きく左右される。でも、左右されたくないじゃないですか。自分がやりたいことをするために勝つ。ポジションとかフォーメーションとかどうでもいい。
勝利することによって全てを納得させられる。それがベストやなと感じる。だから、勝ち続けなければならない。それがモチベーションになってます」
そして自分に言い聞かせるようにこう呟(つぶや)いた。
「自分らしく生きるためには勝たないといけない」
それが天才と称された男が辿り着いた境地なのだろう。
二度の優勝を経て、川崎はひとつの壁を越えたのだろうか。
「優勝することの壁は越えたと思うんですけれど、また違う壁がやってきている気がします。つまり今年も(リーグで)優勝しないといけない。これまでは優勝しておめでとうってなってましたけど、これからは(リーグ)優勝に加えて、ひとつ以上タイトルを獲らないといいシーズンだったねと認めてもらえない。その壁のほうが難しくて、高い。
リーグ、カップ戦、天皇杯、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)、全部獲りに行きます。求められているところはそこだと思うし、それを目指したい」
19年シーズンは2月22日から開幕。家長と川崎の新たな挑戦が始まる。
●家長昭博(いえなが・あきひろ)
1986年生まれ、京都府出身。32歳。
G大阪の下部組織を経て、2004年にトップチームデビュー。
11年にスペイン1部・マジョルカに移籍。
韓国1部・蔚山現代などを経て、14年から大宮でプレー。
17年に川崎に加入し、昨季はMVP、ベストイレブンを獲得。
173cm、70kg。左利きのMF。
日本代表3試合・0得点取材・文/田崎健太 撮影/黒田史夫
[出典:昨季のリーグMVP・家長昭博が語る王者フロンターレと自身の現在地「勝ち続けることで、生きたいように生きられる」(週プレNEWS)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190222-01082400-playboyz-socc ]
Sponsered Link
そんな家長昭博選手と本田圭佑選手は同じ生年月日です。
生まれ時刻が不明のため三柱しかわかりませんが、お二人の四柱推命を考えてみたいと思います。
家長昭博選手・本田圭佑選手(1986年6月13日生まれ)
年 丙寅 偏印 長生
月 甲午 偏官 帝旺
日 戊子 胎
大運 戊戌 比肩 墓
流年 己亥 敗財 絶
比肩星 土 ●
食傷星 金
財星 水 ●
官星 木 ●●
印星 火 ●●△
家長昭博選手・本田圭佑選手の命式
家長選手・本田選手は戊子日生まれで、 戊は陽の土、子は冬(12月)の水(陽)です。
「冬に冷たい雪が降る山」といった感じです。
三輪麻未さん、霜降り明星・粗品さんも戊子日生まれです。
サッカー日本代表・大迫勇也選手とモデルの妻・三輪麻未さんの相性
2018M-1王者の霜降り明星・粗品さんとせいやさん
四柱に官星と印星が並ぶ「官印両全の命」の形です。
官星は社会性や行動力を表し、印星は才能や思考を表します。
責任感が強く、行動力と頭脳を備え持つ素晴らしい星の並びです。
お二人の現在の成功はこれらの星のお陰でしょう。
印星が強いと頭の中で言葉を選びますから、口数は少なくなります。
そして偏官という強い星に帝旺がありますから、周囲には近寄りがたさを感じさせます。
しかし、比肩が弱い事から、自分本位ではなく自信のなさが伺えます。
比肩が弱い人は運の弱さを自覚していますから、周りに気を遣って自分を引き立ててもらいたいのですが、プライドの高さから本音が言えません。
そこで、どんな人が傍にいるかで運が開けるかどうかが変わってきます。
家長選手はユースの頃から天才と呼ばれ、本田選手は彼が同じチームにいた事から星稜高校のサッカー部に進学します。
早くから頭角を現した家長選手でしたが、所属先でのチーム事情で本来の輝きを表せませんでした。
一方の本田選手は、ガンバ大阪ユースからJリーグではなく、星稜高校で活躍する事でJリーグデビューしました。
ここで大きな挫折をしたと考えられます。
子どもの頃から「ACミランの10番」を夢見ていた本田選手にとって、家長選手は追いつき追い越したい目標だった事でしょう。
お二人とも海外移籍をしますが、本田選手は自分を活かしてくれるチームに恵まれ、家長選手はその逆でした。
同じ生年月日ですが(生まれ時刻は不明ですが)、育った環境や出会った人たちによって運命が変わっていく事を証明しています。
川崎フロンターレで輝きを取り戻した家長選手の今後が楽しみです。
『雨の中の女 神野 守 短編集 第1巻』amazonで販売中!
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYRKPL2/
Sponsered Link