第91回選抜高校野球大会で優勝投手になった石川昂弥選手は、プロでは打者として期待されています。
センバツV東邦“二刀流”石川の打撃センスは「落合プラス広澤」
4/4(木) 5:00配信
センバツ高校野球の決勝戦が3日、甲子園球場で行われ、東邦が習志野を下して30年ぶり5度目の優勝を果たした。わずか1時間30分で終わった決勝は、東邦の「エース・3番・主将」の石川昂弥ワンマンショーだった。試合前、森田泰弘監督が「今日は一人で投げて打ってやってくれ!」と、石川に声をかけたという。
初回一死一塁で外から入ってくるスライダーをしっかりとためてバックスクリーンの右に特大の先制2ラン。さらに5回2死二塁からは、習志野の2番手飯塚脩人のスライダーを引きつけて、今度は、右中間の最前列にダメ押しの2ラン。4打点の活躍で自らのピッチングを援護すると、投げては、ストレートのほとんどが、130キロ台だったにもかかわらず丁寧なコントロールと同じ腕の振りからスライダー、スプリットを落として二塁を踏ませずに3安打の完封劇。3回以降は、体力を温存するためにスリークォーターに腕を下げる器用さで低めを突き決勝という大舞台で石川の名を天下に轟かせた。
「最後は力を出し切るだけと思っていた、それができたと思った。1本目は、打った瞬間いったと思った。2本目は正直いったと思わなかった。入ってくれて良かったと思いました。今は、夢のような時間です」
地元の中日は、ずいぶん前から石川をマークしてきたが、センバツ優勝でプロの評価も急上昇。どのチームも喉から手が出るほど欲しいのは右の大砲。石川は“二刀流”で結果を出しているが、プロ側から見て垂涎の存在となっているのは、その打棒だ。
元ヤクルトのスカウト責任者だった片岡宏雄氏は「二刀流をやらせると中途半端で終わるのが怖い。打者のほうがいい。大谷翔平と比べると馬力が足りない」という。
「センターより右へ2発。あれだけ打てる打者は高校生では最近見たことがない。リストが強いことに加えて、技術がある。強引にフルスイングして引っ張るパワーヒッターではなく、バットに乗せて運んでいる。右方向へ打てるのは、右の大砲がプロで成功する条件。巨人の岡本和真でさえ、5年目になって、やっと膝に体重を乗せて右へ長打を打てるようになったが、石川は、すでにその技術とセンスを持つ。落合博満の技術と、広澤克実のパワーを足して2で割ったような大型野手だ。ピッチャーもバッターもできるのだからセンスの塊だろう。阪神の関係者には怒られるかもしれないが、ただ振っているだけの4番の大山悠輔よりも石川の方が間違いなくセンスがある」
石川は5試合で打率.300、3本塁打、2犠飛、8打点の成績を残した。片岡氏はその打撃センスを高く評価。右へ長打を打てることで3冠王を3度獲得した落合博満と、ヤクルト時代に打点王を2度獲得した広澤克実のパワーを彷彿とさせるという。
「三振がない。選球眼がいい証拠だろう。打席の中でいらないボールには一切手を出していない。選球眼のいいバッターはプロ向きだ」
石川は5試合で22打席に立ったが、三振はゼロ。しかも、広陵のドラフト候補、河野からも本塁打を放っている。決して2線級ばかりを打ち崩してきたわけではない。
投手としても5試合全部に先発して3試合に完投。2点以上を取られた試合はない。非凡だ。森田監督も「甲子園にきてピッチャーとして大きく成長した」という。
だが、片岡氏はプロでは投手は難しいと見ている。
「投げ方は野手投げ。だから逆に打者がタイミングをとり辛いのかもしれない。コントロールもいい。ただ本人がどれだけやる気があるのか、どうか。ここを見誤ると大変なことになる。私は、ヤクルトのスカウト時代に野手として獲得した宮出が投手をやりたいと主張して失敗したことがある」
ヤクルトの現打撃コーチである宮出隆自は、1995年にドラフト2位で宇和島東からヤクルトに入団。片岡氏は野手と考えて指名したが本人が投手を希望したため6年間は投手でプレー。先発チャンスももらい通算6勝5敗の成績を残したが、故障などもあって2002年から野手へ転向。2005年にはクリーンナップも任され規定打席には達しなかったが、打率.320、8本塁打、46打点の成績を残して翌年はライトのレギュラーを獲得した。片岡氏は「本人の意向など聞かず最初から野手1本で勝負させていれば、ちゃんと成功していただろう」との思いがある。だからこそ石川には野手1本での勝負を勧めるのである。
夏に激戦区の愛知県大会を石川がどう勝ち抜いてくるのか。さらなる進化と成長を各球団のスカウトは期待を込めて見守っている。
[出典:センバツV東邦“二刀流”石川の打撃センスは「落合プラス広澤」(THE PAGE)(Yahoo!ニュース > https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00010000-wordleafs-base ]
石川選手は中学時代から既に注目されていました。
野球選手の人生は13歳で決まる(2)愛知にいる二人の怪物1年生
2017.04.30
父が導く野球エリートへの道
その逸材は今月、愛知県半田市にある亀崎中学から、名古屋市の古豪・東邦高校に進んだ。地元の知多ボーイズで活躍、愛知選抜や野茂ジャパンのメンバーにも選ばれ、アメリカ遠征も経験した大型内野手・石川昂弥(たかや)である。
185cm 、72kgの身体はまだ成長を続けており、高校2年となる来春、早ければ1年の今夏にも内野手として甲子園出場を目指している。
彼の存在を私に教えてくれたのは、中日ドラゴンズで少年野球の担当をしている水谷啓昭だ。
「東邦に行ったら、1年からレギュラーになれる力があります。リストが強く、バットの振りが鋭い。投手としても肩が強く、球威とキレのある球を持っている。プロへ行ったら、いまの巨人の坂本(勇人)クラスの内野手になれるでしょう」
今春、甲子園での選抜大会で優勝した大阪桐蔭の西谷浩一監督も、昨年は石川を熱心に勧誘していた。西谷が目をつけるほどだから、恐らく全国の強豪校からも様々な好条件を提示されたに違いない。
石川家はなぜそうした誘いを断り、地元の東邦を選択したのか。
石川は2001年6月、自動車会社に勤務する父・尋貴(ひろたか)(45歳)、母・由香子(44歳)との間にふたり兄弟の長男として生まれた。尋貴は181cm で身体に厚みがあり、見るからにがっちりしている。
高校時代は自身も東邦で野球をしており、山田喜久夫(のち中日、広島)ら1989年選抜の優勝メンバーの同期生だ。捕手だったがベンチ入りできず、甲子園ではアルプス席で応援に声を嗄らした。1学年後輩の由香子も東邦の生徒である。
結婚して長男を授かると、尋貴はすぐに野球のボールを触らせた。保育園の年長組を対象にした野球教室に入れ、さらに野球に親しませる。
今時の子供はサッカーと野球を両方やり、次第にサッカーへと流れるケースが少なくないが、石川家は常に野球一筋だった。
石川が小学2年になると、尋貴はあえて地元で一番厳しいチーム「ツースリー大府」に入れた。監督の下村勉は東邦OBで、尋貴の先輩である。かつては口を出せば手も出して、「鬼の阪口」と恐れられた阪口慶三監督(現・大垣日大監督)に徹底的にしごかれた世代の指導者だ。
土日や祝日は一日中試合か練習で、ときに語気荒く叱り飛ばしたりもする。「実は、それで結構迷ったんですよ」と尋貴が振り返る。
「ぼくはどちらかと言うと、野球を楽しんでやりたいほうでしたが、阪口先生の時代の東邦はとてもそんな雰囲気じゃなかった。正直、それに嫌気が差した時期もあったんです。
いまは昔ほどではないにしても、あんまり厳しくされたら、昂弥も性格的に続けられないかもしれないなあ、と」
しかし、将来も野球を続けるのなら、幼いうちにそういう厳しさを経験しておくことも大切だ。そんな父の思いを背に、大府で練習に励んだころを、石川が振り返る。
「辛かったですね。中学より厳しかったかもしれない。コーチとかふつうに怖いし。嫌になったりもしたけど、それでも、何とかやってました」
東邦か、県外か
その甲斐あって、石川は小学6年で中日が主宰するドラゴンズジュニアのメンバーに選ばれた。このころにはもう、尋貴は東邦の先輩や同級生に「昂弥は東邦に入れるんだろ?」と言われるようになっていたという。
大府でのポジションは投手と内野手で、この二刀流は中学に進み、知多ボーイズに入ってからも続いた。投球練習を見ると、長身をダイナミックに使い、130km台の真っ直ぐを投げ込む。
尋貴はさらなる息子のレベルアップを図るため、ボーイズの練習の傍ら「野球道場メジャー」という塾でも打ち込みや投げ込みの個人練習を課した。
この塾を経営する戸田幸男も東邦OBで、甲子園に出場した経験の持ち主だ。実は、中日の水谷も東邦出身で、2人とも尋貴の先輩にあたる。もっと言うなら、現東邦監督の森田泰弘は、かつて阪口監督の下で尋貴らを指導していた元コーチである。
どこの地域でも、ボーイズやシニアは高校球界へ有望な選手を供給する役割を担っている。特定の強豪校と独自のパイプでつながっていて、それを選手募集のための売り物にしているチームも多い。
石川の場合は、父の意思を継ぎ、東邦で甲子園を目指すべく運命づけられていたようにも思える。
尋貴が言う。
「東邦以外の高校へ行く選択肢もあることはありました。でも、県外だとなかなか、実際のチーム事情は見えない。東邦ならぼくらも試合を見に行けるし、環境もチーム状態もよくわかる。早い段階でレギュラーになるチャンスもあるはずだ、と考えたんですよ」
しかし、それほど才能に恵まれている石川に、水谷は少なからぬ不満を抱いている。ひとつは、一向に身体が逞しくならないことだ。「もっと腰回りや尻のあたりに肉がつかなきゃいけない」と言うのである。母・由香子に聞くと、ご飯の量が少なく、油っこいものが苦手で食が細いらしい。
ちなみに「二刀流」の先輩、大谷翔平(現日本ハム)も中学まではガリガリで、花巻東では1食につき丼飯3杯の食事を佐々木洋監督に義務づけられていた時期がある。石川にとっても、食事と増量は大きな課題だ。
好対照のライバル
もうひとつ、「性格的におとなしくて、プレーが淡泊になりがち」だと水谷は指摘する。
例えば昨年、ボーイズリーグの府県選抜大会に愛知県西選抜のチームで出場した京都府戦でのこと。1点差に追い上げていた九回1死一、二塁、カウント3-0から、石川は三塁併殺打に打ち取られた。
「ああいう場面でもっと粘るとか、しっかり見ていくとか、勝つためには何をするべきか、という意識を持てない。簡単に打って出て、注文通りに仕留められちゃう。そういう脆さがあるんです」
そんな水谷のぼやきに対し、父の尋貴が言う。
「昂弥はまだ挫折を知らないんです。どこかで壁にぶつかれば、水谷さんの言う弱い部分も変わるんじゃないか。ここまでは生まれながらの素質と身体で、中心選手としてやってこられた。東邦では、そうはいかない場面にも出くわすでしょう。親としては、早くそんな壁にぶつかってほしい」
自分の目の届く母校で野球をやらせたい半面、将来のためには挫折体験も必要だと考える。3年後には現実としてプロ入りも視野に入ってくる。父の葛藤は尽きない。
[出典:野球選手の人生は13歳で決まる(2)愛知にいる二人の怪物1年生(現代ビジネス 講談社 > https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51472 ]
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そんな石川昂弥選手の四柱推命です。
石川昂弥選手(2001年6月22日生まれ)
年 辛巳 正財 建禄
月 甲午 偏印 帝旺
日 丙辰 冠帯
大運 辛卯 正財 沐浴
流年 己亥 傷官 絶
比肩星 火 ●●●
食傷星 土 ●
財星 金 ●
官星 水 △
印星 木 ●
石川昂弥選手の命式
石川選手は丙辰日生まれで、丙火に、辰は春(4月)の土(陽)です。
「春の大地に太陽が燦燦と輝いている」といった感じです。
辰は十二支の中で唯一「架空の動物」です。
そのため丙辰日生まれの人は、カリスマ性があり天才肌、気分やインスピレーションで物事を決め、自由を好みます。
高橋一生さん、本田真凛選手、安田純平さん、瀬戸サオリさん、鈴木亮平さん、武田梨奈さん、冨安健洋選手、阿部瑠璃子さん、太田光代さん、宇垣美里アナウンサー、上白石萌歌さん、冨永愛さんも丙辰日生まれです。
俳優・高橋一生さんと女優・森川葵さんの相性
フィギュアスケート・本田真凛選手
ジャーナリスト・安田純平さん
ジャングルポケット・斉藤慎二さんとタレント・瀬戸サオリさんの相性
俳優・鈴木亮平さん
女優・武田梨奈さんと俳優・矢野聖人さんの相性
サッカー日本代表・冨安健洋選手
芸人・出川哲朗さんと元レースクイーン・阿部瑠理子さんの相性
爆笑問題・太田光さんとタイタン社長・太田光代さんの相性
TBS・宇垣美里アナウンサー
女優・上白石萌歌さん
モデル・冨永愛さん
特徴的なのは強い比肩です。
さらに地支には冠帯・帝旺・建禄といった強い星が並んでいます。
かなりの強運の持ち主であり、自信家であり、努力家です。
月柱はその人の40%の性格を占めています。
偏印:帝旺からは、強烈な個性が伺えます。
孤独に強く、カリスマ性とリーダーシップを持ち合わせています。
丙辰日生まれ、偏印:帝旺から天才的センスは納得できます。
間違いなく将来のスター選手ですから、怪我をしないように気をつけてもらいたいですね。
これからの活躍が楽しみです。
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