彼に会いに東京に来た。東京タワーの周辺を散策する。緩い勾配を楽しむようにゆっくり歩いていると、二人の距離はどんどん離れていく。せめて長身な彼の影法師の中に居たいのに。
「あ、早かったね、ごめん。もっとゆっくり歩くよ。俺、ラッシュでもまれて歩く癖がついてるんだな」
「大丈夫」
振り返った彼の表情は逆光で読めないが、その声は優しい。
「いつもはスニーカーなんでしょ? 靴擦れしてない?」
(だって、こじゃれたお店に誘われたら、頑張るじゃん)
足元を恨めしげに見ながら、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。彼の位置から私の表情は見える。息があがっているのがわからないように笑ってみせたが無駄だった。
「俺は楽しんだけど、君は楽しめた?」
「もちろん」
「ホントに? 疲れたんじゃないの?」
顔を覗き込まれて元気を振り絞るが、苦笑しながら無邪気に言われた。本当は疲れた。振り返ると、赤面する出来事ばかりだった。
人混みに慣れず迷子になった私に、大袈裟なジェスチャーをしてくれたり、もたついて電車に乗り遅れそうになった私のために、扉の前に立って長い腕でアーチを作ってくれたり。
食事では、サービスの串物を品よく食べようと箸で引き抜こうとしたら、食材が弾丸ミサイルとなって彼の素敵なジャケットに見事に命中。せめてお勘定は払おうとしたら既に清算済みで、そのやりとりを彼に見られていた。
「無理はしないで。頑張る人がきらいなわけじゃないけれどね。日常があるから特別ができるでしょ?だから俺は日常が知りたい」
「は?」
久々に会ったのに、何を言っているの、この人?
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「ヒールのある靴は履かない。お化粧直しに立つことも殆どしない。迷子なのに、おばあちゃんに道を聞かれて一緒に探す。人混みでも子どもや妊婦さんを気遣ってつぶされそうになってたね。食事は楽しい。俺の食べこぼし、見逃してくれたよね。ジャケットのしみぬきもなかなかの手際。恥より誠意。ごめんなさいがちゃんと言える。そして甘え下手。俺、良く見てるだろ?」
二つ折りになって笑いながら言う。そんなところまで見られていたのか……。嬉しいのか嬉しくないのかわからない。
「さ、ひと休みの場所探すから、もう少し歩ける? 手が冷たいね」
そう言って、手を繋いだまま自分のコートのポケットに引き入れた。
「うわぁ、恥ずかしいよ。君は慣れているかも知れないけど、こういうことした事……」
「うん、ないんだろ? しないし、させないだろ? 隙あり! 誰も気にしてなんかないよ。それから、一応教えておくが、これは『恋人繋ぎ』と言う。好きなホットココアで暖まるまで俺があっためるが、異議は?」
「ありません」
有無を言わさないのも優しさだ。顔が火照る。
「あれ? それだけ? さびしいなぁ。恋人繋ぎしてるのに、なんか言うでしょ? ここは」
まるで悪戯っ子だ。
「じゃぁ、もし君が凍えそうに寒い時には、私が温めますか?」
背伸びして、耳元で囁いてみる。暗がりなのに、彼の頬と耳元が赤くなるのがわかる。ポケットの中で繋がれた手が強く握りしめられる。「これでいいのかな?」と、勇気を奮った自分に呟いたその時だった。
「あのね。『if』はいらない」
おでこに感じる、彼の顎の感触。冷たい夜の出来事。
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