雪がやさしく舞い降りてきた。掌(てのひら)で溶けゆく淡(あわ)さなのに、白銀の世界をつくり、幻想の彼方へもいざなう……。
こんもりと積もった雪灯りがぼんやりと映し出すスライドショー。あれは、まだ春浅い日。咳き込むほど息をあげて、プラットホームに駆け込んだ。なぜ見送りごときを迷ったんだろうと後悔している、若い日の私。私が選んだオリーブグリーンのマフラー姿を見た、最初で最後の日。
春に向かう陽ざしに散る淡い雪のなかで肩をすくめて立っていたその人は、大人びいて見えてたその日まで見たことのなかった泣きそうな笑い方をみせた。
「来ないかと思った」
【きたよ】
「10分しかない」
何かが溢れそうで一緒に見上げた空からは、いつまでもくるくると結晶が見えそうな雪が落ちてきて、私はそのまま吸い込まれて、たくさんの人の声は掻き消えた。
【列車で飲む物買ってくるよ。何がいい?】
時間の重さに耐えられなくて言ったのは私だった。
「いらないよ。寒いのかい?」
距離が狭まると直視できなくて、コートのポケットに手を入れたまま固まってしまう。うつむいていたので【ううん】と首を振った時には、もう駈け出していたことに気付けなかった。【時間がないのに……】自分が迷ったせいなのに、忘れて呟いていた。
Sponsered Link
たくさんの白い息を吐き出し、ホットココアを2缶とも私に握らせる。
【見送りに来たんだよ。自分で飲んだらいいのに】
「いいから」
【寒いからもう座席に。列車乗っていいよ】
「いいから」
【時間ないよ。乗り遅れたら洒落にならないよ】
「いいから」
たぶん……こんな会話……。長くて、短い時間。絶妙のタイミングで、転校生だった私をいつも励ましてくれていたトモダチ。穏やかで『秀才博士』という冷やかしなど一笑できる、頭脳明晰なトモダチ
【元気で……ね……】
やっと言えた言葉。発車のベル。
「うん」
【時々手紙とかでも嬉しいかも】
「うん」
何だろう。肝心なことが言えていない。言っていいのかもわからない。ふいに、耳をつんざくようなベルの音が遠ざかってオリーブグリーンに視界が染まる。
「コノイロ、アタシニイガイニニアウッテサ。ダイジニスルワ。アータニハ、ニアワナインジャナイ?」
いつのまにか、幅広のマフラーに私も巻かれていた。周りの人には異様な光景に映っただろうと、今更ながら思う。その人は、巧みにマフラーの両端をひっぱる。あたたかさと少しの苦しさでくらりとする。耳元の声も 段々掠れて「……コイ。イッショノガッコウニ……ノトコロニコイ」とだけ、微かに聞きとれた。
聞き返すことも身動きもできず、ほのかに漂ったムスクの香りを少し意外に思った。怪訝な表情の駅員の視線に気づき「ナーンテナ」とくしゃりと笑って、そっと肩を小突かれ、マフラーから押し出された。列車から力いっぱい手を振る人を 映画やテレビ以外で初めて見た。
あれから何度の冬が廻っただろう……。季節も時間も私も変わったのに……。街中でも、あのムスクの香りだけはドキリとしてしまう。
そしてあの頃のように、雪が舞う。
ご意見、ご感想などがありましたら、お気軽にお伝えください。
story@kaminomamoru.com
『心霊鑑定士 加賀美零美 第1巻 Kindle版』amazonで販売中!
『雨の中の女 神野 守 短編集 第1巻』amazonで販売中!
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYRKPL2/
Sponsered Link