「お前がこんな目に遭ったのは、あまりに罰当たりな事をするからじゃ。これに懲りて、どんな生き物にも優しくしてやらねばいかんぞ」
爺さんは、床(とこ)に臥(ふ)せって寝込んでいる婆さんにそう言った。婆さんは目に涙を溜めながら、はあはあと肩で息をして苦しそうな表情で答えた。
「すまんかった、本当にすまんかったのう……。雀さんや、許しておくれ……」
虫の息の婆さんを、爺さんは心配そうに見つめるだけだった。山で怪我をしていた雀を連れて帰り、手当てをした爺さん。山に帰そうとしても帰らずに懐(なつ)いてしまったので、そのまま一緒に暮らしていた。
爺さんの愛情を雀に奪われてしまったと思い込んだ婆さんは、胸の奥で嫉妬の炎をくすぶらせていた。爺さんが家を留守にしていたある日、障子の張り替えで使おうと飯粒(めしつぶ)で作った糊(のり)を、知らずに雀は食べてしまった。
それまでの愛情の恨みが爆発してしまった婆さんは、「悪さをしやがって、この舌め」と雀の舌をハサミで切ってしまう。痛がる雀を手当する事なく、外に放りだしてしまった婆さん。
それから三日後、婆さんは突然の病(やまい)で倒れてしまった。「雀の舌を切った報(むく)いを受けたのじゃ」と諭(さと)す爺さん。婆さんは自らの悪行(あくぎょう)を心底悔いていたのだった。
すると突然、玄関の戸が開いて声がした。
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「お爺さん、お婆さんは大丈夫ですか?」
その声に爺さんが振り向くと、一人の若い男が立っている。見た事もないその顔に「あなたはどちら様でしたかの?」と尋ねると、男はこう答えた。
「お爺さんに助けてもらった雀です」
そう言って男は、背中の傷を見せた。確かにあの雀は怪我をしていたが、目の前にいる男がなぜ自分の事を雀だと言うのか、爺さんには理解出来なかった。
「お爺さんが驚くのも無理はありません。僕は、“神の手を持つ雀”と呼ばれるブラック・ジャク先生に舌の成形手術をしてもらい、呪術師のジャクババに、魔法で一日だけ人間の姿に変えてもらったのです。お婆さんをどうしても助けたくて」
爺さんは、雀が人間になるなんて俄(にわ)かには信じられなかったが、真剣な男の目を見てなんとなく受け入れる事に決めた。
「でも、君は婆さんに舌を切られて恨んでいるはずなのに、どうして助けるなんて言うんだい?」
「それは、あの飯粒で作った糊には毒が仕込まれていて、お婆さんが舌を切ってくれたお陰で僕は命が助かったのです。お婆さんが今倒れているのは、毒を吸い込んでしまったからなんです。ブラック・ジャク先生に解毒剤をいただいてきました。さあ、これをお婆さんに飲ませてください」
爺さんは雀から解毒剤を受け取ると、婆さんの体を起こして飲ませた。すると、みるみるうちに顔色が良くなり、婆さんは九死に一生を得たのである。雀は婆さんに抱きつき「良かった。本当に良かった。お婆さんのお陰で僕は命が助かりました。あの時は本当にありがとうございました」と言って涙を流した。
「そ、そうだったのかい? 私は大変な事をしてしまったと後悔していたんだよ。あの時は痛い思いをさせて悪かったね。本当にごめんなさいね」
抱き合って涙を流す婆さんと雀を見て、本当の親子のように爺さんには思えた。と同時に、誰が毒を盛ったのか気になって「それにしても、誰が毒なんかを……」
と呟いた。それに対し、雀は静かな口調で答えた。
「呪術師のジャクババが教えてくれました。お婆さんにお爺さんをとられて以来、ずっと恨みを抱いていた女性がいたんですよ」
爺さんと婆さんは「あっ」と言って顔を見合わせた。若き日、爺さんを巡って二人の女性の間で繰り広げられた愛憎バトル。その結果、婆さんが爺さんと結婚する事になった。あの時の女性が、積年の恨みを晴らすために毒を持ったのである。
「でもご安心ください。然(しか)るべき処置を施(ほどこ)しておきましたので、もう二度とお二人の前に現れる事はないでしょう」
不敵な笑みを浮かべる雀。爺さんも婆さんも、然るべき処置が何であったのか、怖くて聞く事は出来なかった。
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