「ピピピピッ、ピピピピッ……」
携帯のアラームが鳴る。スヌーズ設定にしているのか、止めても再び鳴り始める。横にいる彼は、無邪気な寝顔を私に向けている。
ここは日本から遠く離れた国。普段はテレビやラジオに忙しい彼も、今日は慌てて起きる必要がない。ゆっくり寝て、日頃の疲れをとってほしい。それなのに、切り忘れたアラームが彼を起こそうとしている。
「よっぽど疲れているんだね」
何度も起床を促すアラームにも気づかず、時々むにゃむにゃと口を動かす彼が可愛い。八歳も年上の人を可愛いなんて失礼かも知れないが、頭が良くて普段はしっかり者の彼が、無防備な姿を私にだけ見せている。これは妻の特権である。私はこの人の妻なのだ。
十代でデビューし、いろんな映画にも出させてもらった。役作りのため、体重を七キロ落とした事もある。任せられた役柄をこなし、周囲の期待に応える、それが私の仕事。どんな役にだって自分を嵌(は)め込み、その人に成りきる。私は女優なんだから。
良い作品に巡り合い、日本アカデミー賞主演女優にも選ばれた。自分で自分を誉めてあげたい。だけど、人々の期待が大きくなればなるほど、その重圧に押しつぶされそうになる。
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「うっ、うーーーーーん……」
寝返りを打って、向こうを向いた彼。大きな体の割に、繊細な心を持ち合わせている。誰に聞いても、彼の悪口を言う人はいない。場の空気を読み、いろんな人に気を遣っている。売れっ子になった今でも、決して横柄になる事はない。
背も高く高学歴、高収入の彼。笑いのためにかけているメガネを外せば、松田優作に似てなくもない。本人は自己評価が低いけれど、それは理想が高いから。二枚目の役柄がきても、彼なら充分通用するはず。
私は女優。みんなが女優に求めるイメージを壊したくない。その責任感から、いつも綺麗でいなくちゃと思ってしまう。だけどここは日本じゃないし、すっぴんだって良いよね。この人の前では、素の自分をさらけ出せる。
私が彼の顔を覗(のぞ)きこんだ瞬間、彼の大きな手が私の頬をかすめた。私は驚いて、「きゃっ!」と声を上げてしまった。
「顔ぶたないで! 私、女優なんだから!」
「優ちゃん、それ、薬師丸ひろ子さんのWの悲劇」
「ピンポーン! 正解!」
目を覚ました瞬間に、的確な突っ込みを入れる彼。私は思わず微笑んで、彼の唇を奪う。それはまるで、映画のワンシーンのように。
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