ねえ、眠れないの? 困ったなあ。じゃあさ、眠くなるようにお話してあげるね。
むか~しむかし、ある森の外(はず)れに、貧乏な木こりと、妻と、二人の子ども、兄のヘンゼルと妹のグレーテルが住んでいました。これってさ、いつも、どっちが兄でどっちが妹だったか、わかんなくなっちゃうんだよね。ジョンとかルーシーなんかだとわかりやすいんだけどさ。作者のグリム兄弟がドイツの人だから、ドイツだとよく聞く名前なのかも知れないけどね。
貧乏で食べるものがなくなってしまい、ある日、妻が夫に「子どもを森の中に捨ててきましょう」って提案するんだよね。優しいお父さんは「そんな事は出来ない」って言うんだけど、強い奥さんに押し切られてしまうんだよね。
この話の背景には、1315年から1317年の中世ヨーロッパの大飢饉(だいききん)というものがあるらしい。長雨が続いて洪水が起こり、農地が荒れてしまったんだよね。そんなこんなで、子どもを売ったり森に捨ててきたりと言うのは普通にあったみたいなんだよ。
まあ日本でも昔は、貧しくて食べられないような家では、泣く泣く子どもを山に置いてくるなんて事はあったみたいだからね。今では考えられない話なんだけど、生きるためには仕方なかったんだよねえ。
両親の話を聞いていて、自分たちが捨てられる事を知った兄のヘンゼルは、前の日に白い小石を拾っておいて、森に連れていかれる途中、家までの目印として小石を置いていったおかげで、二人は帰ってくる事が出来たんだよ。まずは良かった良かっただよね。
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でもさ、二人が帰ってきた事に驚いた母親は、今度はもっと森の奥に連れていく事にしたんだよね。前日に小石を拾う事が出来なかったヘンゼルは、今度はお弁当のパンをちぎって目印にしようとしたわけ。でも、鳥にパンを食べられちゃって帰れなくなっちゃったんだよ。
これほんと、切ない話だよね。この母親は、子どもたちがまた帰ってきたら、何度でも捨てにいく人だよね。朝ドラの「おしん」のお母さんなんかさ、貧しい家のために自ら、男たちの相手をするような温泉宿で働く事を決断するんだよ。ヘンゼルとグレーテルのお母さんも、そういう人だったら良かったんだけどね。
結局、最終的には、このお母さんは病気で死んじゃうんだけどさ。帰ってきたヘンゼルとグレーテルが、魔女の家から財宝をたくさん持ってきて、家で待っていたお父さんと、お金持ちになって幸せに暮らすなんて夢にも思わずに、一人寂しく死んでしまうのは、何ともまあ、皮肉な話だなあと思うよね。
この話は、1812年の初版から、決定版と呼ばれる1857年の第七版に至るまで、付け加えや書き換えが行われているんだね。初版では実の母親だったのに、第四版からは継母(ままはは)に変わっているし、台詞(せりふ)もより冷酷なものになっているみたい。
父親も、初版では消極的ながらも母親に協力的なのに、段々と、一方的に母親だけが悪者になっちゃう。時代と共に書き換えられるのは、読者からの声が大きいのかも知れないね。昔から、クレーマーみたいな人がいたんじゃないかな。
現代でも、一部の声の大きな人の意見が、世間一般の総意みたいになっちゃうところがあるよね。ある意味、こういう物語って、時の支配者が国民の思想教育のために用いたりするよね。そう考えると、当時の時代背景などが関係してくるから、すごく勉強になると思わない?
キリスト教の力が強い中世ヨーロッパでは、魔女はキリスト教社会を破壊する存在だと信じられていたんだよね。だから、グレーテルが、パンを焼く窯(かま)の中に魔女を入れて殺したとしても、良くやったと褒(ほ)めたたえられるんだろうね。さすがに今は、魔女なんて信じられているとは思わないけど、どうだろう? 信じている人はいるのかなあ?
日本だったら山姥(やまんば)になるよね。「三枚のお札(ふだ)」で、和尚さんが山姥を小さくして食べちゃったみたいに。水戸黄門みたいに、悪なる存在は必ずやっつけられるという勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の物語は、見ていて気分が良いよね。
そうやって、政府に対する不満から、国民の目を背けさせる狙いもあったんじゃないかなと思うんだよね。どう? 眠くなった? それは良かった。じゃあ、おやすみなさい。
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