長く長く振り続ける雨。窓の外を眺めながら、奈央(なお)の脳裏に過ぎし日の思い出が蘇る。雨が降る度に思い出すあの日の記憶。本当は思い出したくないのに、昨日のように鮮明に蘇ってくる。
あれは、半年以上前の出来事。傘も持たずに飛び出した奈央の体を、冷えた雨が容赦なく叩き続けている。昨日、せっかく美容院に行ったのに。雨に恨み言を言う奈央は、飛び出した原因の糸を辿ってみる事にした。
きっかけは些細な口喧嘩だった。同棲を始めて半年。子どもの頃から我慢する事に慣れている奈央は、悟志(さとし)の上から目線の物言いにも何とか堪(こら)えてきた。しかし、ちょうど生理で気分が滅入っていた事と、雨の日でむちうちの古傷が痛みだすという何とも最悪な日で、それまでの不満が一気に爆発したのだ。
「何よ、私が全部悪いんでしょ?」
そう吐き捨てて、部屋を飛び出した奈央。しばらくして、Tシャツと短パンだった事に気づくが、部屋に戻る気にはなれない。意地と言うかプライドのようなものが、奈央の心を頑(かたく)なにさせる。
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行く当てもなく、街をただただ彷徨(さまよ)ってみる。母親と歩いている幼子が、彼女に向かって指を差す。幼子の母親は、それを窘(たしな)めようともしない。母子の些細な行動が、奈央の心の傷を抉(えぐ)る。
夏とは言え、雨に打たれ続けるのは体に良くない。体調が悪いせいか、気持ちがどんどん落ち込んでくる。奈央は自分も言い過ぎたと反省し、部屋に戻る決心をした。
階段を駆け上ると、二人の部屋の玄関のドアが開いている。その横には、赤い傘が立てかけてある。自分の傘とは違う、女物の傘。冷え切った背筋が、更に冷たくなってしまう。
恐る恐る玄関の中を覗(のぞ)くと、彼の靴の横に赤い靴が見える。明らかに、自分が持っている靴ではない。奥の部屋から、男女の笑い声が聞こえてくる。その瞬間、奈央は悟った。もうここに、私の居場所はない。
下を向いたまま踵(きびす)を返すと、さっき駆け上った階段を急いで駆け下りた。そして、近くに住む親友の部屋を目指して走り続けた。その後の記憶は、何故かはっきりしない。
雨が降る度に、彼の事を思い出してしまう。彼が何故あの時、彼女といたのか、今どうしているかなんて、知る由もない。知ったところでもう、どうする事も出来ない。ただ、思い出すと涙が出る奈央だった。
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