もうすぐ日が沈もうとしている中、駅に向かう人々が道に溢れている。その集団に混じって歩を進めながら、裕子(ゆうこ)が何気なく喫茶店を覗(のぞ)いてみると、一人の女性と目が合った。
見覚えがあるのに思い出せない。誰だろうと思い、近づいてみる。向こうがしきりに呼んでいるので、裕子は仕方なく店に入ってみる。
「裕子、久しぶり!」
「えっ? もしかして……京子?」
「そうそう、中学二年の時、一緒のクラスだったじゃない。懐かしいわ」
「そうそう、そうだよね。思い出した」
京子だとは、本当にわからなかった。それほど、彼女が変わっていたのだ。
「ねえ、この人はわかる?」
「えっ?」
実は、さっきから気になっていた。京子の前に座り、彼女に笑顔を向けている彼。忘れるはずもない、裕子の初恋の相手である。
「野球部の緑川君だよ」
「あー、そうそう。緑川君ね。懐かしい」
さっきから胸がどきどきしている事を悟られないように、わざとらしくオーバーアクションをとってみる。顔が熱く感じるが、赤くなっていないだろうか。裕子はそれが気になっていた。
「裕子ちゃん、綺麗になったんじゃない?」
「え、うそ? 口が上手いなあ、相変わらず」
緑川に綺麗になったと言われ、顔がさらに火照(ほて)ってしまう。これ以上ここにいたら危険だ。
「あれ? 二人はもしかして、付き合っているの?」
京子に尋ねてみる。
「わかる? そう、半年になるかな、ね?」
「うん、そのくらい」
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笑顔で同意を求める京子に笑顔で答える彼。間違いない、二人は付き合っている。黄色信号の点滅から赤になりかけている。早くここを退散しなければ。
「邪魔しちゃ悪いから、私行くね。ごゆっくり」
小さくお辞儀をしてその場を離れ、裕子は足早に外に出た。
「恋をすると女は、綺麗になるんだな……」
歩きながら、裕子は独り言を呟いてみる。京子は明らかに、中学時代よりも綺麗になっていた。顔では京子に負けていないと思っていたのに、彼と付き合っている現実が許せなくて腹が立った。
自宅に帰ってから、親友の涼子(りょうこ)に電話してみた。友人たちの色恋関係は、情報通の涼子に聞けばすぐにわかる。
やはり、二人が付き合っている事は既に知っていた。二人は高校は別だったが、大学で一緒になり、京子が積極的にアプローチして付き合い始めたらしい。
涼子が腹立たし気に話している。彼女は、媚(こ)びを売るような女を嫌う。京子は昔からそういう女だったと悪口を言った後、裕子の気持ちに寄り添った。そんな親友の思いやりが裕子は嬉しかった。
三か月後、涼子が電話をかけてきた。京子が緑川に振られたと言うのだ。隠していた裏の性格がバレてしまったようで、涼子は笑いが止まらないと言った様子だ。
「裕子、チャンスじゃない?」
「そうだよね、私もそう思う」
涼子の情報によれば、彼はぐいぐい来るタイプの女は苦手との事。京子の失敗を教訓に、二人はいろいろと戦略を練った。
「時間をかけてじっくり、焦らず慎重にしないとね」
「そうだよね」
「私が彼の行動パターンを調べておくからさ、裕子と偶然会う事が多いなと思えるような行動をしていこうよ」
「うんうん」
「彼の方が、どうも裕子が気になるなあと思うようにしたいよね」
「うん、そうだね。私、彼を振り向かせてみせるよ、絶対」
「頑張ってね」
「うん、私、頑張るよ」
一度は諦めた初恋が、涼子に勇気をもらって再び動き出す。不器用な裕子の恋の駆け引きが始まる。
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