天気予報が外れて、朝から太陽が照っている。鞄の中の折り畳み傘の重みを肩に感じながら、登紀子は何げなく街角の本屋に入ってみた。毎日のように雨が続いて、心も体も余分な水分で飽和状態。あてもなく街に出てみたが、ファッションなどには興味がない。つい、仕事関連の本を探してしまう。
ビジネス関連のコーナーを目掛けて行くと、既に先客がいた。背筋を伸ばして立ち、目当ての本を探している。銀縁眼鏡がきらりと光る横顔を見たとたん、登紀子の胸がきゅんと鳴った。
「あの、もしかして……陽介?」
「はい?」
声を掛けられて振り向いたその顔は、間違いなく陽介だ。刈り上げた襟足は清潔感を与え、出来る男を演出している。長髪だった頃の映像が頭に浮かんだ登紀子は、更に魅力を増した男の色気を感じた。
「私よ、登紀子」
「登紀子? いやー、なんか変わったんじゃない? 随分綺麗になったなあ」
「え? 前から綺麗でしょ?」
変わったと言われ、少しドキッとした。整形で目をいじっているのがバレたのかも知れない。顔が赤くなっていないか気にしながら、登紀子は話を続ける。
「今日は仕事、お休み?」
「そう。君は?」
「私も。良かったら、どこかでお話しない?」
「いいよ」
二人は本屋を出ると、同じビルの中の喫茶店に移動した。広く明るい店内には、既に数組のカップルが来ている。自分たちもカップルだった三年前の日々が、彼女の脳裏に蘇る。
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大学入学と同時に知り合い、趣味のバイクで意気投合。グループでツーリングに行ったりしながら、少しずつ距離を縮めていった二人。
ある時、陽介の提案で二人きりの旅行を計画。日帰りのつもりが、天候が崩れて雨が降り出し、一泊する事に。お互いの気持ちに気づいていた二人は、自然な流れで男女の関係になった。
今まで登紀子は、自分の人生を誰かのせいにした事はなかった。自ら望んで陽介と結ばれた。自分の行動には責任を持つ。彼に責任をとってほしいとは思わない。
「じゃあ、またね」
少しだけ近況報告をして、二人は別れた。今は誰かと付き合っているかなんて聞けない。少しだけ後ろ髪を引かれながらも、そんな素振りは見せたくない登紀子は、前へ前へと足を進めた。
その日の晩、登紀子が眠りに就こうとしていると、携帯に着信が入った。かけてきたのは陽介。昼間と違い、少し緊張した声で話し出す。
「今、一人?」
「一人って?」
「いや、誰か一緒かなと思って」
「誰もいないよ」
「そうなんだ……。付き合っている人とか、いるの?」
「いない」
「そう……。じゃあ、俺とまた、どうかな?」
この電話で、陽介も一人だとわかった。偶然の出会いに運命を感じたとか、もう一度やり直したいとか、一生懸命に話しているけど、何か違う。何故かわからないけど、ときめかない。あの頃に感じたものが、この電話から感じられない。うーん、違うなと、登紀子は思った。
「ごめん。それはないかな」
そう言って、無慈悲に電話を切る。彼が変わってしまったのか、それとも、変わったのは私の方なのか。冷たい女になってしまった自分が腹立たしい。もっと優しい言葉をかければ良かった。でも、こんな風にしか生きられない。この性格は変わらない。
もしも来世があるとするなら、彼と初めからやり直せるだろうか。切ってしまった電話はもう、二度とかかってこない。頬を伝う涙が、彼女の後悔を物語っている。
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